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無意識に

「芽衣、今日の放課後──」

「……っ、ごめん!今日はちょっと用事が……」


 翌朝の登校後、いつもの様に始業前の準備をしていると不意に目の前から影が落ちた。直感的に影の正体を理解した芽衣はばっと顔を上げるが、無意識に目線は目の前の男の首元に向かう。

 そうして言いかけた翔の言葉に被せるように、矢継ぎ早にありもしない予定を紡いだ。 

 

「……そうか」

「ご、めんね……っあ、ちょっと用事思い出したから行ってくる!」

「……」

 一瞬眉が動いたものの引き下がった翔を確認するや否や彼に背を向け、準備も放り出して早足で教室の外へと向かう。

(こんなことしたいわけじゃないんだけどなあ……ごめん翔)

 

 心の中で謝罪しつつ、踵を返した彼が自席に戻るのを教室の扉からこっそりと窺うことしか出来ない。

 

 昨夜見た吸血鬼の写真。そこに映っていたチョーカーのせいで、芽衣は翔への接し方が分からなくなってしまったのだ。


(どうしてもチラついちゃって……)


 今までも彼の姿を視認した瞬間に身体は強張っていた。しかし、今はその首元に飾られたチョーカーにばかり自然と目線が縫い付けられてしまうわけで。

 それを見た瞬間、今まで彼と関わる際に抱いていた甘酸っぱい感覚ではないものが芽衣の身体を縛り付ける。


 例えるなら、地面から這い上がってきた氷で身動きが取れないような、そんな感覚。


(っ……)

 今までどうやって会話していたかすら思い出せない。縛り付ける感覚とは別に時間が止まるような錯覚にも襲われてしまい、訳も分からないままに逃げるしかなかった。


(ほんっとうにごめんね……)

 胸中で呟いた謝罪は音にならないまま消えていく。

 そうして自席に戻った彼が突っ伏したのを確認したところで、ようやく芽衣は教室内に足を踏み入れることが出来たのだった。


 これが今朝、金曜の話。


(翔じゃないのは分かってるんだけど……)


 頭ではそう理解しているが、残念なことに身体が言うことを聞いてくれない。

 加えて今日に限って、どうしてか翔はやたらとこちらへ近付こうとしてくる。今朝のように始業前に声を掛けてくることはあっても、授業の合間ごとに来ることなどなかったではないか。

 

 しかし、もしかしたら大事な用事があるのかもしれない。そうは思っても彼と目が合いそうになった途端、視線は勝手に明後日の方向を向いてしまうのだ。

 挙げ句の果てには、こちらへ近づいてくる翔を見た途端に理由をつけて逃げてしまう始末。


 席を立ち歩を進めかけた姿を遠くからちらっと窺うが、いつもの仏頂面のまま踵を返していた。正直、心が痛い。

 

(側から見たら、私かなりヤなやつだよね)

 彼にしてみれば、訳もわからずに他人(ひと)に避けられていることになるのだ。

 あからさますぎる自身の行動は、誰だっていい気分にはならないだろう。


「……い?」


 このままでは調査もままならない。抱いた疑念──吸血鬼が翔でないと証明するためにも必要なことなのに。


「……おーい」


 今まで通りに会話するためには、果たしてどうすればいいのか。


「おーい芽衣、どしたの?」

「わっ」

 ぐるぐると考え事をしていた頭に声が届き、思わず肩が跳ねた。

 はっと我に返り目の前に視線を向ければ、顔の前で手を上下に振る紗季の姿が。


「っあ、ごめんごめん。ぼーっとしてた」

「大丈夫?眠い?まあ昼ご飯食べた後だから分からなくもないけど」


 そう言いながら欠伸をこぼす紗季を見つつも、無意識に視線は主のいない翔の席へと向かう。

 そういえば、現在に至るまで昼食の時間に翔の姿を見かけたことはない。午後の授業が始まる頃にはいつの間にか席に着いているのだが、いつもどこで何をしているのだろうか。


 とりとめのない疑問が浮かび上がるが、考えたところで仕方がない。目の前には、もっと明確な問題があるのだから。


「ねえ紗季、人と上手く話せない時ってどうすればいいの?」

 

 独り言のような質問が口から溢れ落ちる。それを聞き逃さなかった親友は頬杖をつきながらこちらへと質問を返してきた。

「ん、珍しい質問じゃん。誰と?」

「翔。なんかどうしても避けちゃうっていうか」

「えっ!」


 響くほどの驚声を上げた紗季に対し、教室中の視線が一瞬こちらへと集まる。しかしそれをものともせず、目の前でなにやらニヤニヤとした笑みを浮かべているような……。


「笑ってる?」

「かも。だってさ、それって好き避けじゃないの?」

「……へ?」


 ニヤニヤと言うよりニヨニヨ。そんな擬音が似合うくらいに細められた目元と同じく、紗季の口元は緩んでいる。


(好き避けって?)

「なにそれ」

「あ、そっか。芽衣好きな人出来たことないもんね」


 しょうがないな〜、と得意気になった紗季は『好き避け』について語り始めた。要約すると、好意を抱いている対象を見た瞬間に身体が言うことを聞かなくなってしまい、結果的にそっけない態度を取ってしまうこと……らしい。

 目を逸らす、相手から距離を置こうとする等々思い当たる節は確かにあるのだが、この場合は少し違うような。


「ええ……別にそんなんじゃ」

「だって!今まで普通に話せてたじゃん?それが出来ないってことはそういうことじゃない?」


(うーん……別に好きって訳でもないし……)

 彼のことは好意的に思ってはいるが、それはあくまで『いい人』に対する信頼的なもの。恋愛的な好意ではない。


 それに加え、現在彼を避けてしまう最大の原因はあのチョーカー。それだけは分かっている。

 ここまできたら吸血鬼の写真を見せてしまおうかとも考えたが、余計な混乱を招いてややこしくはしたくない。

 至極不本意だが、ここは紗季の好きなように解釈させておこう。


「じゃあ、まあ違うけど……好き避けだとして、どうやって話せばいいの?」

「ん〜、勇気持って正面から話しかけにいくしかないと思うけど」

「……身体が勝手に逃げちゃうもんなあ。あ、電話なら」


 そう言いかけたところで「えっ」と、まるで怪物でも見たかのような視線がこちらへと向けられる。


「え、翔くんの電話番号知ってるの?」

「うん、前に交換したよ。言ってなかったっけ?」

「聞いてないんだけど……!?」


(あちゃ〜)

 途端に表情が騒がしくなった紗季の質問攻めを覚悟しつつ、頭では彼に話しかける場面を想像出来ないまま。


 正面から向かうどころか、彼が振り返りそうになっただけで視線が泳ぐ。

 そんな状態が、かれこれ1週間近く続いてしまった。


 

(流石にやばいよなあ)

 彼とちゃんと会話がしたいと、頭ではそう言っている。

 しかし彼の姿を見ただけで、身体は無意識に逃げてしまう。電話をしようにも、彼の名前を見てごくりと唾を飲み込むことしか出来なかった。


「はあ……」

 紺碧に染まる自室で、ぼうっと吸血鬼の写真を眺め続ける。彼の髪も目も、まるで翔とは違う色。

 しかし彼の首元を飾るチョーカーは、やはり見慣れた翔のもの。


「まあ、チョーカーなんてどこにでも売ってるし……」


 夜の気温もだんだんと上がってきたこの頃。タオルケット1枚に身を包み、芽衣はふうと息を吐いた。

 そうしてロック画面に戻れば、表示された日付は7月4日の水曜日。月を跨いでから数日ではあるが、果たして翔の声をまともに聞いたのはいつのことだったか。


(……あれ、もう7月じゃん。やば)


 ──『1ヶ月で正体暴いて見せようか』

 以前宣言した言葉がふと蘇る。冗談半分のつもりでこの言葉を口にしたのは確か6月の頭頃。もう、1ヶ月経ってしまった。


「やっぱ無理だったか〜」

 自身で宣言しておいて有言不実行だと思わず苦笑する。こうなった以上、翔の提示した2ヶ月という猶予の中で正体を暴くしかない。

 あと1ヶ月。その間に、吸血鬼が翔でない根拠を見つけないといけない。


 一度生まれてしまった疑念。簡単に消えてくれない()()はまだ小さな芽だとしても、それが膨らむか枯れるかは誰にも分からないのだ。


(うーん、よし)

 やはり、当人の口から聞かないことには何も始まらない。そう思い直した芽衣は緩く瞼を閉じると、彼と会話する状況を頭の中で思い描いた。


 吸血鬼のチョーカーのことを聞いて、避けてたことを謝って。


「まあ、明日こそはちゃんと話そ」


 そう、決意したのだが。


 **


「おい、いい加減にしろ。なんで()けるんだ」


 久しぶりに思える低い声は、放課後の静かな校舎へと融けていく。


「っ…な、んのこと?」

「とぼけるな」


 傾き始めた太陽が作る2つの影。

 それは壁際に追い詰められ逃げ場を失った自身と、そんな自身の前に立ちはだかりこちらを見下ろす翔のもの。


(なんで……)

 この状況は、一体。



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