写真
「わ、やっぱり顔めちゃめちゃいいなあ……可愛い」
海斗と写真を撮った日から3日後の木曜日。満月の光が差し込む自室のベッド上で横になりながら、芽衣は件の写真をぼうっと眺めていた。
そこに映っているのは花が咲いたような笑顔を浮かべる彼と、驚きのあまり目線が下へと向いている自身の姿。
(この差……見れないって)
自身の姿を親指で隠しながら、視線は彼の笑顔に釘付けのまま動かない。翔とは違い感情豊か、ましてや人懐こい性格も相まって、おそらく彼の学校でも人気者なのではないだろうか。
(翔もおんなじ名前の俳優くらい顔いいけどさ……実際モテてるし)
ふと、仏頂面の翔が脳裏を過ぎった。
最近分かったのだが、彼がモテているというのにはちゃんとした根拠がある。
例を挙げるとすればここ数日、たまに同級生の女子から好きな食べ物や休日の過ごし方などを聞いてきて欲しいと頼まれることが増えたことだろうか。おそらく会話の接点を探しているのだとは思うが、それほどまでに興味を持たれているということ。
しかし今のところ、自分から翔に話しかけた生徒は男女問わず見たことがない。聞いたら答えてはくれるだろうし、せっかくだから話しかけてみればいいのに。
と思ったのだが、残念なことに彼は何を聞いても「お前は興味ないだろ」としか答えてくれないためこれといった収穫が得られていないのが現状。『お前は』という言い回しが少々引っかかるが、他の生徒が尋ねても返答は変わらないのかもしれない。
(私が知りたい訳じゃないけど、吸血鬼のこと以外でも教えてくれたっていいじゃん)
吸血鬼のこともあまり教えてもらえないけど、とぼやいたところで思わず苦笑いが溢れた。
月曜日の言葉通り、今日に至るまで調査は再開していない。しかし吸血鬼の話題がなくとも、翔と言葉を交わす時間は自然と長くなっていた。
(雰囲気ちょっと怖いけど、話してみればいい人だし)
そんな『いい人』について考えるたび、胸の辺りがほんのり温かくなる。
吸血鬼の調査を提案して一緒に考えてくれていること、休んだ時にわざわざ連絡をくれたこと、先を見据えて行動していること。
自身にはないその行動力全てが芽衣の目には頼もしく、そして眩しいくらいに輝いていた。
「もっとクラスのみんなと会話したらいい人だってのが伝わるのになあ。もったいない」
紺碧の空間の中独り言ちる。そして再度、画面内で笑顔を浮かべる海斗へ視線を戻した。
「おっと」
不意に自身を隠していた親指をスライドしたことにより、彼との2ショットが小さくなり写真の列が現れる。それをもう一度拡大表示するためタップしようとした時ふと、
(ん……?)
その左隣にある『黒い写真』の存在に気が付いた。
撮った覚えのないその写真。小さく列に収まるそれは所々に白が見えているが、全体的に黒いもの。
(なんだろ……間違って撮っちゃったやつかな)
ポケットの中などで間違ってシャッターを切ることはたまにある。今回もその類だろう。
そう考えた芽衣はその写真をタップして拡大し、ゴミ箱のアイコンに指を伸ばした。
その時。
(…あ、れ)
画面上部に表示された日付に思わず手が止まった。
そこに書かれていた1週間前の日付、時間は真夜中。
そして写真内には、逆光に縁取られた人間のような姿。
「──っ!!!」
刹那、芽衣は呼吸が飛ぶほどの衝撃に勢いよく上体を起こした。
ぐるぐると回る頭があの夜の写真だとすぐに理解する。カメラのシャッターを利用したのだから、当然写真も撮られているはず。
何故、今まで気が付かなかったのだろう。
(撮れてるじゃん!!)
その写真はブレており顔の造形は判別出来ないが、確かに人の形をしている。そして幸いだったのは、シャッターに照らされたことにより首や腕などの大まかな位置や服の色が分かったこと。細くも太くもない身体は白く色が飛んでいるが、おおよそで見分けはつく。
「すご……!!」
思わぬ大収穫に浮き足立った芽衣。明日にでも翔や紗季に見せようと胸の高鳴りが止まらないが、そのためにはまず自分の目で確認して情報を得よう。
そう決めて写真をまじまじと見つめれば、最初に目が引きつけられたのは彼の白い頭頂部。少し目線を下に移せば、今度は反対に黒い毛髪らしき部分が確認出来る。
「やっぱり前髪黒いんだ…なるほど」
枕元に落ちていた髪の毛から導き出した彼の髪色。それが合っていたことが証明され、芽衣は僅かばかり気が緩んだ。しかしやはり、この特徴的な髪色で行動していれば嫌でも目に付くはずなのだが。
生活圏はここら辺ではないのだろうか?しかし、ならば何故わざわざ自身に狙いを定めたのか。
疑問を抱きつつ吸血鬼の2色の頭から視線を下に移せば、ブレてはいるものの白飛びした肌色が目に入った。おそらく顔だろう。
そしてその中から、今でも鮮明に焼き付いている鮮血のような瞳がこちらを見据えていた。
(っ……)
ブレていても焦点のはっきりしている視線に、写真だというのに思わず身構える。
自身を見下ろすこの瞳。冷たくも熱くも感じられるそれは、おそらく今後も頭から離れてくれることはないだろう。
だが、そんなことを気にしている余裕はない。
(顔さえ分かればなあ……撮るっていう前提だったらもっと上手くやったのに)
過去の自身に文句を言いつつも、瞬きを忘れて彼の赤い瞳から視線を下へと移していく。
順繰りに目に映るのは顔の肌色、首の肌色、黒い線、襟元からのぞく肌色、黒い服。
──黒い、線?
「っえ」
当たり前のように下へと滑った視線を慌てて首元へ戻す。今、一瞬視界に映った黒い線は一体。
(なにこれ)
目を細めて睨むようにしてみても、やはりそこには肌色に挟まれた黒い線がはっきりと映っている。
カメラの不具合だろうか?それとも、彼が身に付けている何か?
「なんだろ?紐…にしては太いか」
気付けば、すっかり首元の黒に釘付けになっていた。紐よりも太いそれ、仮に紐だとするなら首付近に映っているのは不自然ではないか。
紐を首に巻き付けているのなら話は別だが、おそらく紐ではない。とすると、これは一体。
紐より太い、黒いもの。何かあっただろうか。
そうして思考の渦に飲まれそうになった芽衣の脳裏にふと、いつしか見慣れたとある光景が浮かび上がる。
2ヶ月前に初めて見て以来、ほぼ毎日のように見ている黒いもの。
それは肌色の真ん中を走る、首に映えた黒くて太い線。
「!!!!!」
次の瞬間勢いよく投げられた携帯が弧を描いて宙を舞った。弾みの付いたそれは自身の手の届かないところへ飛んでいく。
まるで頭から冷水を浴びたように、全身からさあっと血の気が引いていった。
(……え?)
これに酷似したチョーカーを着用している人物など、1人しか心当たりがない。
呼吸が少しずつ浅くなる中、大きな鼓動が耳に届く。次第に四肢が凍てつくのを感じながら、芽衣は上体を倒して携帯に手を伸ばした。
震える指先で携帯を手繰り寄せ、再度画面を食い入るように見つめる。
揺れる瞳が捉え続けるのは、まるで翔の首飾りのような見慣れた黒。
「っ、え……なんで」
答えのない疑問が口から溢れ落ちる。翔を目にするたびに自然と視界に映るチョーカーに似たものを、なぜ吸血鬼が身に付けているのだろうか?
(同じじゃ、ないよね……?)
もちろん翔を疑っているわけではない。チョーカーなどどこにでもあるのだから、疑う根拠としてはあまりにも弱い。
そう理解しようと、思考が疑惑を押し込めようとする。しかし胸の辺りに生じたザワザワとした不快感は増すばかり。
(だって、目の色も、髪の色も)
違う。決して彼ではない。
そもそも吸血鬼の調査は彼から言い出したのだ。ただ首元の飾りが似ているというだけで疑うのは流石に無理がある。
加えて、前提として彼は人間だ。いくら非現実的な存在が本当にいたからといって、人間を候補に入れるのは飛躍しすぎではないか。
ぐるぐると否定するための根拠ばかりが渦を巻く。疑う必要のない事柄に対して、なぜこんなにも必死になっているのか自分でも分からない。
確かに、調査は彼から言い出した。
だが──。
吸血鬼の存在を提言した本人が吸血鬼ではないと、どうして言い切れる?
(……っ)
途端芽衣の全身から力が抜け、後ろに倒れた上体がベッドを軋ませる。
6月28日。この日初めて生まれた小さな疑念はその後も消えることなく、いい人への信用を少しずつ削っていくこととなる。




