ヒントの答え
「写真?」
海斗の口から飛び出した『お願い』を小さく反芻すれば、まるで子供のようにキラキラとした視線がこちらに注がれる。
「そ!翔兄に自慢しようと思って〜」
そう言い切った彼は手早くポケットから携帯を取り出すと、カメラをセルフィーにして片手で持ち上げる。小さな画面に映る彼の笑顔を前にして『海斗くんが翔に怒られないか心配』との言葉は口にすることが出来なかった。
(まあ、弟との仲は良いみたいだし──)
「っ、わっ!?」
嬉々とした横顔に視線を移し眺めていれば突然肩を引き寄せられ、自分でも驚くほどの大きな声が漏れる。
「?嫌だった?」
口ではそう聞いているが、肩に回った手は離れる気配を見せない。しゅん、と眉尻を下げた彼の顔を見て咄嗟に首を横に振ると、ぱあっと一瞬にして顔が綻んだ。
「よかった!ほら、笑って笑って〜」
「えっ」
パシャッ!
(うっ)
間髪入れずに発せられたシャッター音を拾った途端、芽衣の身体には少しだけ力が籠った。図らずもあの夜と同じ音が耳に届き、危うく記憶の蓋が開きそうになる。
出来れば思い出したくない吸血鬼の記憶。無意識の中、あの夜の体験は芽衣にとってちょっとしたトラウマになっていた。
「芽衣さんにもこの写真あげるね!チャットで送ると劣化しそうだから転送するよ!」
思考がどんどんと曇りかけたその時、弾むような彼の声で意識を引き戻される。いつの間にか肩から手を離した彼を見ると同時に、自身のスカートのポケットが振動したのが分かった。
そのままポケットから携帯を取り出せば、彼から転送されてきた2ショット写真が画面に表示されていた。それを認識した次の瞬間には、自然と視線が画面内の海斗の顔に向かう。実物が映えるだけあって、写真映りも良いところは心底羨ましい。
(それに比べて私は……)
微塵も笑っていないどころか驚いた表情を浮かべ、視線が下を向きかけている自身の姿。それを親指で隠すようにしながらすぐに電源を落とし、元あった場所へとしまう。
(兄弟みんな顔が映えるのすごいなあ……見てるだけでお腹いっぱいだよ)
すぐに隣の彼に視線を戻した時、ふとそんな思いが過った。
笑顔を咲かせたり眉を下げたり感情表現の上手な海斗に、無愛想だが俳優顔負けの翔。そして、切れ長の目に底なしにも思える瞳を持つ和海。
(あ、和海さんといえば)
「海斗くん、1個クイズいい?」
和海の姿を思い浮かべた時不意に、以前彼から貰った謎かけが聞こえたような気がした。翔に聞くつもりで気付けばタイミングを逃していたのだが、この際海斗に聞いてみよう。そう考えていた芽衣の耳に「ん、いいよ!」と、なんとも明るい返事が届く。
そうして肯定的な意見を得られた芽衣はどこかほっとしつつ良い機会とばかりに、目をキラキラとさせた彼に対して『クイズ』を投げかけた。
「じゃあ、木を隠すならどこがいいと思う?」
「…木?」
途端先ほどまでの笑顔から一転、その整った顔になんとも難しい表情が浮かび上がった。想像していたクイズとはかけ離れたものだっただろうから無理もない。
(……やっぱりそういう反応なるよね)
あの時の自身と寸分違わぬ反応をした彼を見て思わず苦笑いが溢れる。一見訳の分からないクイズを出題した時点で、これじゃあただの変な人ではないか。
顎に手を当てつつ考え続ける彼を横目に、突拍子もない質問をしてしまったと今更ながらに落ち着かない。やはり、自分で考えるべきだったのだろうか。
「ごめん海斗くん、やっぱなんでもな──」
「森の中、じゃない?」
(っえ?)
言いかけた言葉に被せるようにして紡がれた答え。突然聞こえたそれに驚く自身に気付いたのか、先ほどとは打って変わって明るくなった表情で続きを口にする。
「ほら、『木を隠すなら森の中』っていうでしょ?どう?合ってるかな」
ふふん、と得意げな表情を浮かべながらクイズ回答者のようになった彼を見つつ、芽衣はそのことわざがストンと腑に落ちた。
木を隠すなら森の中、つまり物を隠すなら同じような物に紛れ込ませるのが最適であるという意味。
(確かに……それ以外思い浮かばないかも)
言われた後に改めて考えれば思い至らなかったことが不思議だが、これが灯台下暗しというやつなのだろう。森の中、という言葉に縛られすぎてことわざまでは辿り着くことが出来ていなかったのだから。
だがその答えに辿り着いたところで、和海の真意までは汲み取ることが出来ない。
(なんの会話からこうなったんだっけ)
記憶の糸を辿り彼との電話を思い出す。確か、最初は吸血鬼の髪色の話になったはず。
そこから吸血鬼が白髪なことを話し『白髪だと目立つ』と言われた後、ヒントと称した先ほどの謎かけを頂いたわけだが。
(森の中……に住んでるとか?いや違うか)
和海の含みのある口ぶりからして、吸血鬼について何かしらの手がかりを得ていることは間違いない。
手のひらで転がされている気がしないでもないが、『ヒント』と名を冠している以上貴重な情報源だ。この真意さえ汲み取ることが出来れば、吸血鬼の手がかりをまた得ることが出来るだろう。
謎かけの答えはおそらく『森の中』。しかし、果たして本当にその答えがヒントになるのだろうか。
あるいは、浮かび上がったことわざそのものがヒントなのか──。
(木……同じものに混ぜる……)
唸りながら考えていた芽衣の横で「あ、」と小さい声が上がったことに気が付かないほど、その謎かけの答えを追うことに多大な集中力を要していた。
「何してるんだ」
「っ!?」
背後、それも至近距離から届いた聞き覚えのある声に弾かれたように振り返る。そうして目の前に立つ男を視認した瞬間、身体が強張るような奇妙な感覚が芽衣を襲った。
それでもなお、見開かれた瞳は彼の顔に固定されたまま逸らすことが出来ない。
「翔兄久しぶり!」
「ああ」
茶色の瞳いっぱいに映るのは、いつもの無愛想でこちらを見下ろし続けている翔の姿。パッと花が咲いたように笑みを浮かべる海斗に一瞥をくれた後「2人で何をしてる」と、交互にこちらを見やりつつ先ほどとまるで同じ質問が降ってくる。
その声はいつか聞いたものと同じくらいに低く、彼の気に触ったことをしたのだろうと察するには十分なものだった。
そしてここに来てようやく確信したのだが、どうやら翔の兄弟と関わることが彼の地雷を踏み抜いてしまうらしい。それほどまでに兄弟が大事、ということだろうか。
(家族愛ってやつかなあ。……にしても、やっぱり似てないなあ)
2人を揃って目にするのは初めてのことだったが、黒髪で切れ長の目を持つ翔に対し海斗は茶髪の垂れ目。雰囲気もまるで真逆な2人を兄弟だと言われても、やはり信じるまでには少し時間がかかるだろう。
「写真撮ってただけだよ〜」
(えっ)
突如耳に届いた言葉に開いた口が塞がらない。さらりと事実を述べる海斗に対し焦りが芽生えると同時に、無意識に視線は翔へと吸い込まれる。それでもまじまじと見つめることに抵抗があるのか、時折視線を外して盗み見するような形になってしまった。
(怒ってる……訳じゃないけど、機嫌は良くないかも)
以前翔の兄弟と会っていた時ですらあれほどまでに不機嫌になっていたのだから、今回もおそらくそうなのだろう。それを証明するかのように、先ほどから鋭い視線がこちらを射抜いてくる。
「……写真?」
流れるようにこちらから視線を外した彼は、いつもより一層低くなった声で弟に問い返す。それに対し「自撮りってヤツ、2ショットだよ」と、これまた神経を逆撫でしそうな事実を躊躇いもなくスラスラと述べる海斗。その言葉が彼の耳に届いた瞬間、眉間の皺が一瞬濃くなったように見えた。
「海、携帯を寄越せ」
「え〜、どうせ貸したら写真消しちゃうでしょ?」
「ああ」
「どうせ言っても無駄だろうが」と言いつつ手を出し続ける彼を見て、こちらに転送したことを言っていないのが幸いと若干の安堵を覚えた芽衣。後から見ようと思っていたのだから、消されたらたまったものではない。
そうしてほっとしたのも束の間、次に翔の口から聞こえた言葉にぐいと意識を引き戻された。
「というか海、お前今日なんでここにいるんだ」
(……え?)
途端に納得していた事実が違和感を帯びる。てっきり、翔の声かけがなかったのは弟に会うからだと思っていたのに。
「あれ、2人って会う約束してたとかじゃないの?」
疑問が反射的に口を突く。すると、それまで押し問答を繰り広げていた2名の視線が一斉にこちらへと向けられた。
「していないが」
先に答えを返してきたのは、なおもこちらを視線で射抜き続ける翔。それに続いて「アポ無しだよ〜」と、明るい声が耳に届いた。
しかしその答えを聞いた瞬間、芽衣の心の中には小さなモヤが生まれる。
いつもなら彼から誘ってくる調査。しかし最近それがないということは……。
(もしかして見切りつけられてる……とか?)
考えすぎなのは十分解っている。しかし吸血鬼をあれだけの回数目にしているにも関わらず、未だに手がかりさえ掴めていないこともまた事実。それがじわじわと心に浸食し、焦りと申し訳なさを生み出していく。
せっかく、彼は自身に期待してくれているというのに。
「何を考えてる」
「っ!?」
瞬間、聞こえた言葉に芽衣は勢いよく顔を上げた。そのまま後ろによろけそうになる身体をなんとか持ち直すが、瞠目したままに彼の姿を見続ける。
「……言っておくが、お前の考えていることはハズレだ。俺が諦めたとでも思っているんだろ」
──すぐに思っていることが顔に出る。言外にまた、そう言われたような気がした。
「…す、ごいね、正解」
「……今下手に先入観を持つより、目の前の情報に目を向けられた方がいいだろ。誤解するな」
(っ……)
言い聞かせるように紡がれたその言葉で、生まれたモヤが煙のように消えていく。
確かに今のところ大した手がかりも揃っていないのだから、今日調査をしたとしても収穫が得られる可能性は低い。そればかりか不明瞭な部分を補う仮定が、返って目を曇らせてしまうのではないか。
言われるまで気が付かなかったその事実。一体どんな人生経験を積めば、ここまで先を見据えることができるのだろうか。
(人生2週目どころじゃないよね……すごいなあ)
「なんの話してるの?」
「何でもない。携帯寄越せ」
「まだ言ってるの!?」
隣で不思議そうな表情を浮かべていた海斗の携帯を強奪しようと、またも間髪入れずに手を伸ばした翔。その光景に笑みを溢しながら、芽衣は彼の期待が想像以上に大きいものだと再確認したのだった。
「ほら、翔兄がこんなことするから人集まって来ちゃったんじゃないの〜?」
その言葉を受け辺りをちらりと見れば、校門付近に集まる生徒がちらほらと視界に映った。この2人を見に来ているのだと瞬時に理解するが、それと同時になんとも言えぬ居心地の悪さが芽衣を襲う。
(私絶対場違いじゃん……翔も来たしもういいよね)
またヒソヒソされるのはごめんだと、2人を残してその場を静かに立ち去ろうとした、その時。
「芽衣、帰るのか」
背を向けた瞬間に耳に届いた声に身体が強張る。目敏いと感心しつつ顔だけ振り返ると「うん」と短く返事をした。
しかし目線はアスファルトを捉えたままで、なんとなく彼と視線を合わせることが出来ない。
「なら俺も帰ろうか」
「えっ」
「問題でもあるのか」
言い終わるが早いか、背後から2つの足音が近づいてくる。そうして何事もないかのように「行くぞ」と、いつも通りの声色が降ってきた。
有無を言わせないまま進み始めた翔の背中を見ていると「止まるな。置いていくぞ」とぶっきらぼうな声が届く。なおも根が生えていた足は自身の横で立ち止まった海斗に促されたことにより、ようやく前へと動き始めた。
少しばかり日が傾いた青空の下を帰路に着く。今までなんともなかったその道のりが、今日は少し短く感じられた。




