付き合ってるの?
──『翔くんと付き合ってるの?』
電話口から届いた質問に理解がまるで追いつかず、芽衣は開いた口が塞がらない。
(私が、翔と……?)
「なわけないじゃん…!?」
数秒の間の後、口からはそんな否定の言葉しか出てこなかった。それに驚愕のあまり、若干語気が強くなったことに後から気が付く。
加えて当惑しているせいだろうか、言葉を返した直後から心臓がドクドクと早い鼓動を刻み始めていた。
『わ、そんなにムキになったら翔くん可哀想だよ』
と、案の定いつぞやと同じ答えが返ってくるが
「いやむしろ誤解された方が可哀想だよ」
それに対する答えもやはり否定的なものだった。
「っていうか、どこ見ればそんな勘違いされるの……」
変な誤解をされる方がよっぽど申し訳ない、と思いつつも純粋な疑問が口から溢れ落ちる。それもそのはずで翔と会話をするとき、彼はほとんどがあの無愛想な表情。あんな表情で接しているところを見ても仲が良さそうには見えないだろう。
『うーん、例えばねえ…』
そうして唸りつつ少しばかり考える気配の後、電話口から少し声を顰めた紗季の言葉が聞こえた。
『芽衣のこと聞きに来たとことか、すぐ帰っちゃったところとか?』
「え?」
途端、芽衣の脳内が?で埋め尽くされる。確かに具合が悪いと聞いたこと、早退したことは翔本人に確認済みだが、それとこの話題がどう繋がるのだろうか。
状況が飲み込めずに訪れた沈黙をよそに、少し早口になりながら紗希は言葉を続ける。
『だって、「具合悪くて休むんだって」って言った後翔くんなんて言ったと思う?』
「え、なんか言ったの?」
反射的に言葉を返した後、関係を誤解されるほどの言葉を言ったであろう事実を遅れて理解する。
一体、何を言えばそんな風に思われてしまうのだろう。それにあの無愛想から出てくる言葉など全く想像がつかない。
そうして自身でも気が付かないうちに呼吸を止めて言葉を待っていた芽衣の耳に、一層明るくなった声で答えが飛び込んで来る。
『「芽衣がいないなら帰る」って言って朝のうちに帰ったんだよ』
「えっ」
まさか、あの翔が?
(私がいないから……?)
途端心臓がきゅっと締め付けられるような、それでいてむず痒いような感覚を覚えた。彼の言葉を口の中で転がし飲み込めば、その感覚がさらに鮮明に浮かび上がる。
しかし自身がいないから帰るなど、一体どんな理屈なのだろうか。
(どういうことなの……)
また熱がぶり返してしまったのだろうか、心なしか頬から耳にかけてが熱いような気がする。それに、鼓動もなんだか先ほどより早いような。
『しかも現状会話してるの芽衣だけじゃん。…付き合ってないの?』
「ないない!会話だって吸血鬼のことだし……。大体、あんないい人と付き合えるわけないじゃん」
自身の『吸血鬼に関する問題』に、翔は時間を割いてくれている。おそらくこの問題がなけれは彼は他のことに時間を充てることが出来ただろうから、この時点で十二分にいい人だと言えるだろう。
加えて芽衣の言う『いい人』には、彼の俳優顔負けの容姿も含まれていた。同じ学年には可愛い子が何人もいるのだから、お似合いなのは明らかにそういう人たちではないか。
一見すると無愛想ではあるものの、自身に協力してくれる優しさや容姿があれば選り取り見取りなことは間違いない。
本来なら彼と会話する機会すらなかったのだから、芽衣は彼をそういう対象として認識してはいなかった。
あくまで、意識的には。
(好きとか分かんないからなあ……)
──しかしならば、彼の優しさに触れるたびに感じる胸の疼きは一体なんなのだろうか。
キュッと甘く締められるその感覚は、16年生きてきた中で一度も味わったことがないもの。
じわっと胸に広がる砂糖のような甘さの正体は、この時の芽衣には解らなかった。
「そもそも彼女とかに興味ないって本人言ってたよ」
喉まで迫り上がってきたむず痒さを掻き消すように明るく、そしてさりげなく話題を転換させようと試みる。
『マジ!?もったいないねえ……』
「やっぱそう思うよね」
今の今まで浮ついた話が聞こえてこないことが何よりの証明だろう。他の女子が残念がりそうなどと他人事のように考えつつ、吸血鬼の調査が終われば自身も会話する機会がなくなるのだとぼんやり考えつく。
(っ?)
するとキュッと、先ほどとは違う感覚が心臓を締め付ける。
まるで冷え込んだ風が吹いたかのような、心のどこかがスッと抜け落ちたような感覚。
(……?寂しいのかな)
それほどまでに、彼は自身の心に居場所を作っていたということだろうか。
『やっと芽衣にも春が来たのかと思ったのに』
「あはは」
胸の辺りに生じた小さなモヤモヤから目を背けるように、芽衣は軽く流して言葉を紡ぐ。
「まあ、月曜日はちゃんと学校行くよ」
『お、3年ぶりの再会楽しみにしてるよ〜』
「3日ね」
いつも通りの軽い言葉の応酬。それが出来るほど回復した体調とは裏腹に、胸の辺りでは初めての感覚がなおも存在を主張していた。
**
「あれ〜!芽衣さんじゃん久しぶり!!」
「あ、え、海斗くん?」
週明けの月曜日、放課後。いつものように帰路に着こうとしていた芽衣だったが、校門付近にいた見覚えのある人物に足が止まった。「覚えててくれたんだ!嬉し〜」と茶色に縁取られた顔を綻ばせながら近づいて来たのは、翔の弟である海斗。そんな彼は以前と同じく人に囲まれていたようで、背後には先ほどまで会話していたであろう女子生徒達がちらほらと見えている。
(このふわふわ感で翔の兄弟、なんて言われたらびっくりするよなあ)
会うのは2回目だが纏う雰囲気から表情の柔らかさまで、まるで翔とは似ていないと改めて実感した。
「どうしたの?…あ、翔待ってるとか?」
「そーそー!中々来ないなあと思って」
目の前で止まった彼は明るい声でそう紡いだ。通う学校も住むところも違う兄にわざわざ会いに来るところを見るに、やはり兄弟仲は良好なのだろう。
そして記憶が正しければ自身が教室を出る際、翔はまだ席に着いていたような気がする。
(そういえば今日はあんまり会話してないけど)
今日は移動教室が多く、加えて放課後の調査の声掛けもなかったために会話をする機会がほとんどなかった。いつもの誘いがないために何か用事があるのかと思ったが、弟に会うことが用事だったのかもしれないとストンと腑に落ちる。
「電話してみたら来るんじゃない?」
「ん〜大丈夫だよ、待ってればそのうち来るだろうから。それまで一緒に待っててくれない?」
(えっ)
「無理にとは言わないけど〜」と笑顔を向けてくる彼に対し、芽衣は何故か少しばかりの緊張を覚えた。それは目の前の海斗に対するものではなく、これから来るであろう翔に対するもの。
金曜の一件があったからだろうか、朝から放課後に至るまで気付けば翔が視界にいたような気がする。しかし、彼を認識した途端に微妙に身体が強張る感覚に陥るようになってしまったのもまた事実で。
それでも会話をする時は不思議と力が抜けるため、芽衣にはその正体がやはり分からない。
「芽衣さん大丈夫?」
「えっ、あ、ごめんね」
ハッと我に返れば、いつの間にかこちらを覗き込んでいたベージュの瞳と目が合った。心配そうに眉尻を下げる彼に「大丈夫だよ」と返せば、パッと花が咲いたような表情に変わる。
この笑顔に絆されない人間など果たして存在するのだろうか。
(まあ、今日は特に予定ないし)
初めて会った時もそうだったように、やはり芽衣には断るという選択肢が存在していなかった。
「一緒に待ってよっか」
「ありがと〜!あ、せっかくだから芽衣さんにお願いがあるんだけど」
満面の笑みが咲いた直後、不意に彼から紡がれた思わぬ言葉に首を傾げる。そうして海斗の口から飛び出した『お願い』は
「一緒に写真撮らない?」
という、芽衣の予想の斜め上を行くものだった。




