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気をとりなおして

「ふう……」 

 自室に辿り着くなり、壁際のベッドに向けて崩れるように身を投げる。ギシッという音と共に衝撃が全身に伝わり、ズキズキとした頭に痛みを加えたことを少しばかり後悔した。しかしすぐに身体を丸く縮こめ楽な体勢を取ると、視界に広がる壁をただぼうっと見つめる。


(日常生活にがっつり支障出てんじゃん……許さん)

 心の中で愚痴を溢しつつ紗季に『熱出たから今日休む』と手短にメッセージを送る。送信が完了したのを見届けるとマナーモードにし、目の前の枕元へと無造作に置いた。


 そうしてそのまま腕を額に持ってくると、触れ合った肌から慣れない熱が伝わってくる。

「熱は……測るまでもないかな…」

 寒気を伴う熱さのせいで、気付けば瞳が潤んでいる。薄く輪郭のぼやけた世界は昨夜の光景を呼び起こし、芋蔓式に吸血鬼の言動を断片的に思い出させた。

 しかし目が腫れるまで涙を溢した後の記憶は限りなく朧げであり、自身が何を言ったのかさえよく覚えていない。肌に残る吸血鬼の体温と鮮血の瞳は確かに焼きついてはいるが、その他のことが雲のように曖昧な輪郭を残す。

 それこそ夢だと言われてしまえば、すんなりと信じられそうなほどの脆い記憶。


 だが、()()()()()()()()()と頬を撫でる手の温かさだけは間違いなく現実のもの。


 ……たとえあの言葉が本当だったとしても、あんな恐怖を味わうのは二度と御免だが。


 考えを掻き消すように視線を滑らせ枕の上を見やった時ふと、太陽光を反射する一本の細い糸が目に入った。おもむろに手に取り目を細めて見れば、糸よりも細いそれはどうやら白い髪の毛のよう。


(えっ白髪?私の?)


 もう白髪が出始めているのかと、咄嗟に前髪を摘んで眼前へと伸ばす。しかしすぐに昨夜見た吸血鬼の姿が脳裏に浮かび上がった。確か、彼は白い髪色をしていたはず。


 そういえば、彼は自身の肌に頭を擦り付けていた気がしないでもない。突然肌に蘇るくすぐったさに赤い顔を更に上気させながら、芽衣は蘇りつつあった昨夜の記憶を辿る。

 確か自身を緩く抱きしめた彼は、頭を左右に振りながらこちらに体温を分けていた。だから、髪の毛が落ちているのも不思議ではないのかもしれない。


(これでDNA鑑定的なのできないかな……やっても意味ないか)

「……あれ」

 そうして目の前の髪の毛をぼんやり睨んでいた時ふと、細い髪の毛のとある違和感に気が付いた。


 目の前にかざしているのは確かに毛髪。しかし、よく見れば白から黒へと色が変わっている。

 1本の中に2つの色が混在している。自身は白髪が無いので分からないが、そんな白髪などあるのだろうか。


(白髪になりかけとか?)

 しかし、芽衣が見た限りでは頭頂部の生え際に近い部分が白かった。彼の髪が元々白いのだとしたら白髪(しらが)という認識自体がそもそも誤りであり、前髪にかけて黒へと髪色が変化している地毛と考えるべきなのだろうか。兎にも角にも自身の茶髪に現れた白髪ではないことだけは確か。


(益々目立ちそうだけど……)

 

 そこまで思い至った時。不意にズキっとした頭痛に襲われ、芽衣は思わず「うぅ」と小さくうめき声を上げた。せっかく吸血鬼の外見的特徴が揃ってきたというのに、体調の悪さが推理の邪魔をする。 


 短時間で頭を回転させた代償だろうか、こめかみをギュッと縛られているような感覚が明らかに強くなった。久しぶりに感じる不快感に眉を顰めつつ、持っていた髪の毛をそのまま枕元に戻す。

 それがなおも光を反射し、まるで存在を主張しているかのようだった。


(起きたら考えよ……)

 

 限界を感じながら瞼を伏せ、ぼやけた世界を遮断する。自然光が包む明るい暗闇の中、芽衣の意識はだんだんと夢の世界へ落ちていった。




 ──……ヴーッ、ヴーッ



 遠くから耳に届いたバイブ音に意識が浮上する。

 目が半開きのまま、頭痛の和らぎと熱が引いたことをぼうっと感じた。が、そのまま寝ぼけながらに振動する携帯を手に取ると、相手を確認しないまま通話ボタンを押下し携帯を耳に押し当てた。

(おかーさん、かな……?)


『おい』


 しかし直後、電話口から直に伝わったのは低い男性の声。


(っ!?)


 曖昧だった意識が一気に明瞭になる。さあっと首の後ろが冷えるのを感じつつ携帯を勢いよく耳から離すと、芽衣は相手を確認するために画面を1回叩いた。

 そこに表示されていたのは──


「翔!?」


 ディスプレイに表示された『涼崎翔』の文字。思考がより一層鮮明になるのを感じながら、芽衣はその名前に驚きを隠せずにいた。半分意識が覚醒していなかったとはいえ、電話越しだと本当に誰か分からない。

 加えて、初めて彼と電話で話すという実感が遅れてやって来る。


『っ、大きい声を出すな』

 電話の向こうの男は少しばかり抗議をすると黙った。刹那の静寂の中、突然目に飛び込んできた名前と声を飲み込んだ芽衣は咄嗟に「ごめん」と一言だけ謝罪をする。

  

(っていうか、今日平日じゃん…?)

 不思議に思いつつ部屋の時計に視線を向ければ、ちょうど昼休みの時間帯。わざわざ休み時間に電話をしてくれているのだろうかと、なんとも落ち着かない心地になった。


『具合が悪いと聞いたが、案外元気そうだな』


 もちろんそんな芽衣の様子など知らない彼の声が、電話口からこちらに届く。危うく吸血鬼のせいだと愚痴を溢しそうになったが、彼に言ったところで八つ当たりに過ぎない。それに顔を見られなかった手前、吸血鬼が来たという事実を話すことに引け目すら感じる。

 そうして吸血鬼の話題を無意識に避けた芽衣は逡巡の後、「寝たらよくなった」と無難な答えを返した。


(こういうところはいい人なんだけどね)

 まさか心配して電話を掛けて来るなど、夢にも思っていなかった。純粋に受け止めたその事実に胸の片隅が少しばかり疼いた。


『……ならいいが』


 相も変わらず短い返事が耳に届く。しかしその言葉が空気に融けた直後、芽衣はとあることに気が付いた。


(空き教室とかで電話してるのかな)


 電話の向こうが、やけに静かすぎる。昼休みにしては生徒の賑やかな声が全く聞こえない。

 そんな疑問が、するりと口から溢れ落ちる。


「すごい静かだけど……どこで電話してるの?」

『俺の部屋だが』

「……え」


 つまり、彼が1人で暮らしている自宅。『具合が悪いと聞いて』と言っていたことから、学校に行って紗季と会話したであろうことは察しがつく。なら、早退したということになるが。


「え、また具合悪いの?」

 すっかり自分の体調を忘れ、頭に過ぎったあの青白い顔色が心配になった。もしかしたら彼は案外、身体が弱いのかもしれない。


 と、思ったのも束の間。

 

『……違う。人の心配をしている場合か』

 真面目な口調で真っ当な意見を返され、ぐうの音も出ない。しかし彼は元気だという事実に、心のどこかが温かくなった。体調不良になることがあまりないために、自分のことよりも他者のことが気になってしまう。芽衣はそういう性分だった。


「ならいいんだけどさ」

 そんな翔の言葉をものともせずに、明るく返事を返す。言い終えた途端はあ、と聞き慣れたため息が聞こえた気がした。


『なあ、一つ聞きたいんだが』

「ん?」


 少しの静けさの後突然改まったように問われ、寝ながら自然と背筋が伸びる。


『吸血鬼のこと、まだ怖いのか』


 次に投げかけられた今直面している問題に、ドクっと心臓が大きく跳ねた。

 なぜ、よりによってこのタイミングなのだろうか。


 確かに以前、同じ問いに『殺される可能性が怖い』と返事をした。もちろん昨夜の恐怖はもう体験したくはない。

 しかし、『殺さない』という言葉が確かに吸血鬼の口から紡がれたのもまた事実で。


(変な話だけどさ)

 自身を襲っている者に対する謎の信頼。それを覚えるほどに、昨日の彼は以前と言動が異なっていた。


「……咬まれるのは嫌だけど,翔の言った通り人間は殺さないっぽいから。だからそんなに」


 依然として彼の目的は見えないが、あやすような手つきと温かさは本物だったから。


『……そうか。なら、早いところ正体を暴いてみせてくれ』


 紡がれた言葉は、どこか挑発するような口ぶり。しかし少しばかりトーンの上がった声は自身を鼓舞しているようでもあり、芽衣は翔に背中を押されたような気がした。


 **


 その日の夜。すっかり元の調子に戻った芽衣は、スタンドライトが照らす室内で紗季からの電話に応えていた。


『いや〜元気になったみたいでよかったよかった。あんまり体調崩したことのないのにね』

「あはは、まあね」


 昨日の出来事にはあまり触れたくなかった芽衣は、体調不良の原因の話題をあえて避けた。紗季も特に言及する気配を見せないため、芽衣は別の話題を繋げる。


「小学校の時にインフルで熱出たのが多分最後かな」

『タフだねえ。羨ましいわ』

「紗季もそんなに具合悪くなるイメージないけど」

『運動してるからそれなりには強いのだ〜』


 そうして軽い言葉の応酬をしていた時、「あ、そうだ」という声と共に電話の向こうが一瞬静まり返る。

 携帯により一層顔が近づいた気配がした後、紗季は何故か内緒話をするように声を顰めとある質問を投げかけてきた。


『っていうか野暮な質問するんだけどさ、芽衣と翔くんって付き合ってるの?』


「へ!?」


 今日1番の大声が出てしまい、咄嗟に慌てて口元を覆う。電話の向こうから聞こえた言葉がまるで理解できないまま、芽衣は石のように固まってしまった。



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