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反撃

 紺色の空に上弦の月が輝く真夜中。

 窓際に佇む吸血鬼が目に映ったのは最後に彼が現れた日から2週間と少し、翔に手首を掴まれた日から3日後の木曜のことだった。


(っ!!)

 一瞬ドクっと跳ねた心臓もすぐに落ち着きを取り戻す。着実にこの状況に慣れ始めている芽衣にとって、彼が現れることは正体に近づく好機。回数を重ねることは手がかりが増えることに他ならない。

 だからこそ、気付かないうちに危機感は薄れていく一方だった。


 コツッ──。


 吸血鬼の右足が自室の床を踏む。その音が静かに響く中、芽衣は思考に穴が空いた感覚を覚えた。なにか、大事なことを忘れているような。


 その感覚に導かれるまま自身の周りを素早く見渡した時、月明かりを反射する四角い物体が視界に映り──


「……あ」


(フラッシュ!!)

 

 一瞬にして、思考のパズルにピースが嵌る。そして脳裏に蘇った真っ白な閃光。

 あれから毎日、芽衣はこの時のために携帯電話を枕元に常備していた。それを今、(ようや)く使うことが出来るのだ。


 勝負は一度きり。


 じりじりとベッド上で後退り、背を限界まで壁に押し付け身体を小さくして身構える。つう、と額から嫌な汗が伝うのも構わずに、芽衣の瞳孔は吸血鬼を捉え続けたまま動かない。


 目の前の男は、まさか一方的に襲っている相手から反撃されるとは思ってもいないだろう。


 しかし翔曰く、自身は他者が気付くほどに思考が顔に出てしまっているらしい。万一にでもこの作戦まで悟られたら、もう二度と機会は巡ってこないかもしれない。

 そう考えた芽衣は後ろ手で携帯電話を隠しつつ、次第に大きくなる影を息を殺して待ち構えていた。


(あともうちょっと近づいたら……!)

 


 自分でも驚くほどに、今日の芽衣は極めて冷静だった。


 ──『吸血鬼(やつ)は、お前を殺さない』


 根拠はないが確信に満ちた、その言葉があったから。

 

 白い月明かりに照らされた彼女の表情(かお)は強張っており、彼にしてみれば怯えているようにしか見えないはず。

 そうして耳に響く鼓動と緊張感を表に出すことなく、ただ静かに時を待っていた。



 しかしこの時、芽衣は気付いていなかった。

 相手に違和感を悟らせるのは、決して自身の表情だけではないことに。



(っ、よし)

 後ろ手でロック画面をスライドさせ、カメラモードになったのを一瞥する。

 すぐに目の前へ視線を戻せば、逆光で隠された身体がベッドを軋ませる。携帯を握る手が震え、ぐっしょりと湿っていることにさえもう気が付かない。

 芽衣の全感覚は、こちらにゆっくりと上体を迫らせる吸血鬼を捉えるためだけに研ぎ澄まされていた。


 ──ギシッ……。


(今!!)


 カシャッ!


「っ!」


 刹那、短い音と共に放たれた閃光が顔全体を照らす。白飛びで顔が隠された直後、吸血鬼は反射的に片腕で目を覆った。

 

 作戦通りにことが進んだと脳が素早く理解する。しかし、芽衣の視界もフラッシュの影響を受けてしまう誤算が発生した。

 強い光が視界を支配した直後の空間はより一層の紺碧に包まれてしまい、明暗の落差で彼の顔はおろか周りまでもが一瞬見えなくなった。


 だが。


 閃光に呑まれる直前、芽衣の目にはっきりと焼き付いた色がある。

 それは一瞬のうちに隠されてしまった彼の、鮮血のように赤い瞳。


 顔を片腕で覆う彼を視認した瞬間、自然と視線は無防備な鳩尾へと向かう。ここで押し倒すことさえ出来れば彼の全貌を見ることが出来る。

 そんな考えが光のように脳裏を掠めた極限状態、腕を引いた芽衣は無意識下の本能で咄嗟に拳を前に突き出した。


 ──ドサッ。


「……え」


 直後。

 背に感じた衝撃が遅れて伝わる中、芽衣の瞳に映ったのは紺碧に染まる見慣れた天井。

 そして、すぐに自身に覆い被さる吸血鬼の姿で見えなくなった。


 つまり。


「…っ!!え、なんっ、うそ」


 逆に押し倒されてしまった状況をじわじわと理解するにつれ、喉が焼け付くような錯覚を覚えた。反対に、手先が氷のように冷たくなっていく。

 相反する温度に飲み込まれながら、次第に息が浅くなっていることを他人事のように感じていた。

 

 予想だにしなかった状況に身体が凍てつく中、まだ冷静な頭の片隅で素早く思考を巡らせる。

 さっき、突き出した拳はどうなった?

 

 その答えは、自身の手首を宙で捕らえた彼を見て自ずと察しがついた。


「あ、……あぁ」

 ──失敗した。してしまった。

 

 しかし彼が顔を覆ってから自身の背がベッドに沈むまで、その間10秒にも満たない。反応速度は悪くなかったはず。

 ならば一体何故、彼は(かわ)すことが出来たのだろうか?


「……は、なるほどな」

 

 はっと、低い男の声で我に返る。気付かないうちに呼吸さえ止めながら、芽衣は黙って見えない顔を見据え続ける。

(……あ)

 ふと、吸血鬼の赤い双眸と目が合った気がした。

 

 逆光に縁取られた彼の姿。しかし目が慣れてきたのか、影に隠れた部分が少しづつ輪郭を露わにしていく。

 今まですぐ肌に(うず)められていた顔をまじまじと目にし続けられるのは、これが初めてのことだった。


 もう少しこのままでいれば、いずれは彼の顔が見られる。 

 あと、少し。


 そうして期待に瞳孔が開いた僅かな瞬間を、吸血鬼は見逃さなかった。


「っ!!」

 不意に、芽衣の視界が闇に包まれた。目元に乗せられた体温が脳に伝わったのは数秒後のこと。

 咄嗟の暗闇に思考が追いつくにつれて、いつかのように視界を手で塞がれたことを察した。


(あともう少しで見れるのにっ!)

 全貌を露わにした彼の顔を再び目にしようと、捕まれていない片手で目を覆う手に触れた瞬間。


「『目を開けるな』」


 髪が自身の頬をくすぐるほどに、耳元へ寄せられた唇から紡がれた言葉。そうしてゆっくりと、目元から体温が離れていく。


 あまりにもすんなりと離れた体温に僅かな疑問を抱きつつも、芽衣の心に浸透したのは解放されたことによる安堵。

 だが、依然として彼女の視界は闇に包まれたままだった。


(あ、れ)

 自身でも気が付かぬうちに瞼を伏せていたことを遅れて理解し、慌てて目を開けようとした。

 

 が、軽く開くはずの瞼はどうしても持ち上がらない。ぎゅっと目元に皺を寄せ反動で開こうとしても、意思に反して月明かりを目にすることが出来なかった。


「え、なんで開かな」

「諦めろ」


 遮るように語気強く言い切られたその言葉は、芽衣の足掻きを止めるに足りるもの。そして、彼女は瞬時に理解した。


 どうやったのかは分からないが、吸血鬼は逃れようのない闇に自身を落としたことを。


 それに気付いた瞬間、ぐらりと脳が大きく揺れる感覚に襲われた。

 ほとんどの情報源である視界を奪われ、相手の動き、表情が何一つ読めない。


「今日は逃げねえのかと思ったが、甘かったな」


(っあ)

 

 無機質にも思える声が響いたこの瞬間、嫌でも悟ってしまった。

 いつもならすぐに部屋のドアへ向かうはずのところを、ベッド上で彼が近づいてくるのをただ待っていたことに。その時点で何かあると勘づかれていたのだ。

 加えて自身は『自衛策』という名の反撃を敢行し、抵抗する意思を示した。それが、相手を逆上させたのだとしたら。

 

 それはつまり、相手が自分を殺す可能性が再び浮上したということ。


「あ、う…そ、いやだ。ごめんなさ」

 最悪の結末が脳裏を掠める。それが具体的な輪郭を(えが)く中、閉ざされた瞼から大粒の涙がこめかみを伝い茶の海へとめどなく滴り落ちていく。


 まだ、死にたくない。


 暗闇の中無我夢中で足をばたつかせるが、まるで手応えが感じられない。それどころか空を切ったはずのふくらはぎから、はっきりとした体温と大きな手の感覚が伝わった。


「暴れるな」


 短いその言葉を残し内腿に感じた吐息に全身が粟立つ。視界を奪われたことで鋭敏になった感覚、そこに感じた気配は次の痛みを察するには十分すぎるものだった。

 

「ひっ、いや……、ゆるし、」

 極限の緊張感と暗闇に窒息しそうなほど呼吸が早まる。強張った身体に脈打つ破裂しそうな鼓動と、思考と感覚が乖離するほどに速くなる呼吸。

 

 それが次第に一定の間隔へと変わっていき──


「っぅ…?、はっ…え、はぁっ……はっ、」


 ついには、自分の意思で呼吸することが出来なくなってしまった。


 ドクドクと大きな鼓動だけが耳朶を打つ中、首を左右に振って苦しさから逃れようとするも恐怖心がそれを許さない。遠くで苦しそうな息遣いは聞こえるが、それが自分のものなのかさえもう分からなくなっていた。



 飢えた彼を目の前にした時でさえ、ここまで身近に迫る死の音は感じなかったのに。

 このままでは、本当に──。



 だんだんと思考が暗い奥底に沈んでいく。ゆったりとした波に飲み込まれる中、芽衣は眠るように意識を手放す一歩手前の感覚を味わっていた。

 しかしなおも恐怖と苦しさを溶かした涙は目元を濡らし、引き攣る呼吸は酸素を求めてさらに速くなる。


「はっ…あ、たす、け」


「……おい」

 上擦った声で無意識に呟いた時、いつの間にか足から離れた温かい空気が首元にふわりと当たる。


「もういい、『目を開けろ』」


 泣きじゃくる芽衣の顔をゆっくりと、まるであやすように撫でながら、吸血鬼は彼女の耳に言葉を注いだ。



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