ヒント
2回しか顔を合わせたことのない和海からの電話。表示されたその名前に一瞬フリーズした後、じわじわと純粋な驚きと僅かな困惑が混ざった感情が湧き上がる。そうして携帯を手にしたまま戸惑う芽衣だったが、依然として自身を呼び続けるその振動は止まらない。
(関わるなって言われたけどこれ、私が出るまで鳴らす気じゃ……)
なおも続く呼び出し音に出るか否か逡巡したのは、ほんの一瞬のこと。耳に届く軽快な音に申し訳なさを覚えた芽衣は、とりあえずボタンを操作して電話に出た。
画面上に通話時間が表示されると共に、明るく低い声が電話口から届く。
『あ、芽衣ちゃんこんばんは。出てくれないかと思ったよ』
先ほどの躊躇を見透かされたような言葉にドクッと心臓が跳ねた。いくら戸惑ったからとはいえ、すぐに出なかったのはまずかったのかもしれない。
「こんばんは、すみません」
気付けば、そう謝罪を口にしていた。しかし和海は気に留めていない様子で『謝らなくてもいいのに』と、変わらず明るい声で返事を紡ぐ。皮肉や嫌味が一切含まれていない声色に、芽衣は思わず身体の力が抜けるほどの安堵を覚えた。
そのままゆっくりと壁に背を預けると、向こうに聞こえないほどの小さい息を吐く。
(やっぱりいい人じゃんね)
翔が何に対して警戒心を抱いているかは分からないが、少なくとも芽衣にとってはそう感じられた。感覚的には面倒見が良く気のいい年上、といったところか。
ところで、彼がどんな理由で自身に電話を掛けてきたのかが気になる。なにか用事でもあったのだろうか。
「電話、どうしたんですか?」
幾分か緊張の解れた芽衣は、とりあえず目の前の疑問から投げてかけてみる。すると電話の向こうはほんの一瞬無音になったが、すぐに明るい声が届いた。
『翔がまた具合悪いんじゃないかと思って。その確認なんだけど最近どう?』
連絡先を交換した目的である『翔の話を聞くため』という内容に、兄として心配しているのだろうという考えが真っ先に浮かんだ。しかしそれと同時に
(翔に電話してもいいと思うんだけどなあ)
という考えも脳裏を掠める。
だが、翔の口数が少ないのもまた事実で。もしかしたら既に電話を掛けて玉砕した後かもしれない。
家族として、離れて暮らす身内を気にかけるのは当然のこと。そう考えた芽衣は、和海に翔の近況について教えることにした。
「昨日も休んでましたね。……やっぱり具合悪いのかな」
言いながら考えたことが口を衝く。最近は特に顔色が悪そうにも見えなかったが、季節の変わり目ということもあって体調を崩しているのだろうか。
(……あ)
こんなことを伝えてしまっては更に不安を煽るのではないかと、言い終えた後に気が付いた芽衣。だが誤魔化す理由もないため、間違ったことはしていない。
「ああ、やっぱり。なんとなくそんな気がしてさ」
しかし、次に電話の向こうから届いた抑揚のない返事。それは心配などという感情を感じさせるものではなかった。失礼だが例えるなら、台本に書かれた台詞を述べたような、そんな口調。
(あれ、別に心配ってわけじゃないのかな)
この兄弟について違和感を覚えるのは、何も今に始まったことではない。最早当たり前のようにさえ感じられるそれは、だんだんと芽衣の中で『気にするほどでもないこと』に分類されていた。
とりあえず、和海の不安を煽るようなことにはならなかったらしい。そうしてほっと胸を撫で下ろした時不意に『そうだ』と、話題を切り替える声が耳に届く。
『吸血鬼の『調査』してるって翔から聞いたんだけど、進んでるのかな』
「っえ」
予想だにしていなかった言葉に、手から滑り落ちそうになった携帯を慌てて持ち直す。今、彼の口から飛び出した吸血鬼という単語は明らかに聞き間違いではない。
以前公園で和海と会話をした際も吸血鬼について尋ねられたが、まさか本当に兄弟間で話をしているとは思っていなかった衝撃に口をあんぐりとさせたまま固まってしまった。
(どんな会話してたら吸血鬼の話題になるの……!?)
一体何故、兄弟間で一見空想上の生物の話題など出てくるのか。
しかし翔が調査のことまで話をしているのなら、ここで誤魔化すと逆に不自然になるかもしれない。そう判断した芽衣は身体を前に屈めながら電話口に口元を寄せ、少しばかりトーンを落とした声で答えを返した。
「あんまり進展してなくて……」
『だよね。難しいから仕方ないよ』
尻すぼみになりながら答えれば労わるような声色が返ってくる。やはり、翔が何度も調査を行なっているだけあり一筋縄ではいかないらしい。
「手がかりがあんまりなくてですね…」
『手掛かりねえ……』
思案するように呟いたまま、少しの静寂が訪れた。もしかしたら彼も協力してくれているのかと勝手に心強く思っていると、再度電話口から明るい声が聞こえる。
『その吸血鬼の髪色って見たことある?』
──『なら、髪はどうだ』
和海のその言葉に、いつかの翔の言葉が脳裏に蘇った。何故、兄弟揃って同じ質問をするのだろうか。
(髪色ってそんな重要?)
顔ならまだしも、髪はそこまで大した手がかりではないはず。そう思いつつも、問われたからには答えを返すのが礼儀というものだろう。
「ん、と……白っぽい色でした」
あの日見た銀糸のような煌めきを思い出しながら呟けば「そっか」と、なんとも短い返事が返ってくる。
『白だと目立つと思うけどなあ』
(あ、確かに)
何気なく呟かれた一言。今まで考え付かなかったその着眼点に、パッと目の前が明るくなった気がした。
確かに白髪の男性ならば、日常生活を送る上でかなり目立つのではないか。自身の茶髪でさえ他の人よりも見分けやすいのだから、黒髪の反対色ならばなおのこと浮いて見えるはず。
だがそこに気が付いたところでその先、彼の言葉の真意までは辿り着くことが出来ない。
(まあ、今の時代染めたり出来るからなあ……)
うーんと無意識に唸る芽衣を見かねたのか、和海はさらに続ける。
『特別にヒントあげようか。翔には内緒ね』
なんとも楽しそうな声色に聞こえるのは果たして気のせいか。それに
(ヒントって?)
まさか、吸血鬼の正体を知っている?
その疑問が言葉となって芽衣の口から滑り落ちる。
「和海さんは吸血鬼の正体知ってるんですか?」
『……さあ、どうだろね。知ってることは多いよ』
まるで、煙に巻かれているような。どこか弄ぶような言葉に焦ったさを感じた芽衣だが、和海が易々と教えてくれないことだけは直感で理解した。
おそらく和海も吸血鬼の正体までには至っていないが、彼が得た何かしらの手がかりをを共有してくれるのだろう。
そう、思っていたのだが。
『木を隠すならどこが最適でしょう?』
「っ?」
まるで謎かけのような言葉に対し、一瞬理解が遅れた。まさか、これが『ヒント』?
(木?え、木ってあの生えてる木?)
一瞬にして『木』という単語が芽衣の脳内を埋め尽くす。手がかりどころか、一見関係のないような文言に益々謎が深まってしまった。
加えて謎かけなのだとしたら、それを解くためのヒントも欲しい。そうして続けて和海に言葉を乞おうと口を開きかけた、その時だった。
不意に、電話の向こうから扉の開閉音と誰かの声が聞こえた。その声は距離があるため不明瞭で分かりにくいが、どうやら和海に話しかけている模様。
しかし彼はその声に答えることなく、明るい声で再度こちらへ声を掛けてくる。
『あ、翔戻って来たから今日はお終いにしよっか』
「えっ」
(一緒の部屋にいるの!?)
まさかの声の主。それに唖然としたまま、芽衣は開いた口が塞がらない。
翔と同じ場所に居るのなら、最初のあの発言は一体なんだったのか。そんな疑問を投げかける暇も与えずに和海は続ける。
『電話してるのバレると厄介だからね。じゃあ、おやすみ芽衣ちゃん。またね』
「……おやすみ、なさい」
一拍置いた後、画面上の通話時間が通話終了の文字に変わった。今度こそ静寂が訪れた部屋の中で携帯を置いた芽衣は、目まぐるしく変わった電話の内容と謎かけを飲み込むのが精一杯の状態。
(え、翔のこと見てるんじゃんね……木ってなに)
狐につままれるとはこういうことを指すのだろうと、図らずもぼんやりと理解した。
それにしても『木を隠すのに最適な場所』とは、一体何を意味するのだろうか?
**
「あれ、翔くん久しぶりじゃない?」
翌々日の月曜日、一緒に登校した紗季の言葉で目が行った翔の席。そこにいた席の主の姿に思わず「ほんとだ」と声が溢れる。
ここ最近の休み続きのせいで、長いこと会っていなかったような錯覚を覚えた。加えて『関わるな』と釘を刺されていた彼の兄と電話したことも相まって、罪悪感にも似た灰色の感情が湧き上がる。
(まあ別に、悪いことしたわけじゃないし)
翔に言うほどのことでもないだろう。そう考えつつ軽い足取りで自席に向かい、再度彼の席を見やった時。
芽衣の視線を感じたかのように振り返った彼と、ぱちっと目が合った。




