作戦
(よし)
とある策を思いついた芽衣はおもむろに携帯を手に取ると、画面を操作して背面のフラッシュライトを灯す。それを最大まで明るくすると携帯を裏返し、ライトを至近距離から右目に当ててみた。
「うっ」
一瞬にして視界を支配する真っ白な光にギュッと目を瞑る。その暗闇の中、瞼の裏に残り続ける閃光を見て確信した。
これは、使える。
「おっ、どしたの芽衣。ついに狂ったか」
持ち寄ったお菓子を頬張りながら軽口を言う紗季に対し、芽衣は閃いたとでも言いたげな表情で
「このライト使えばどうかな!?」
と、跳ねるほど明るい声色で言葉を返した。
芽衣の思いついた作戦。それは吸血鬼の目を眩ませ、その隙を狙って腹部に打撃を与えるというものだった。我ながら名案を思いついたとばかりにそわそわする芽衣に対し、紗季は「あっ、なるほどね!」と察したように声を上げる。
「目眩しするってカンジだ!」
瞬時の理解力に流石は幼馴染だと感心しつつ、肯定を得られた勢いでもう一度ライトを顔に当ててみる。が。
(あれ、眩しくないね)
同じことを二度もすれば流石に耐性が付くのか、眩しさはあるものの目を瞑るまでには至らなかったことに思わず首を傾げた。先ほどの明るい表情からは打って変わり、口元をへの字に曲げたまま「んー」と唸っている。
それによく考えてみて気が付いたのだが、この作戦を実行するためには予めライトを点ける必要がある。しかし、相手がわざわざ待ってくれるとは到底考えにくい。それに灯した段階で目的を察する可能性も大いにあるため、万が一目眩し前に目を瞑られてしまえば本末転倒ではないか。
なにか、相手をもっと驚かせることが出来る光らせ方はないだろうか?
例えば宵闇を一瞬で駆け抜ける、稲妻のように。
(……あ)
不意に、先ほどメッセージが来た際の光が頭を過った。ピカっと灯った次の瞬間には消えたあの白い光。
それが浮かぶと同時に、芽衣の口からは無意識に言葉が溢れる。
「カメラのフラッシュ使うってのは?」
一瞬の閃光。それを浴びせることが出来れば相手が油断した隙を作れるかもしれない。しかし相手は人語を操り、ヒトと同じくらい知能の高い生き物。同じ手は通じないため失敗は出来ない。
勝負は一度きりだが、試してみる価値はあるだろう。
「それで目瞑った隙になら一発いけるかも」
もし吸血鬼を怯ませることが出来たとして、彼の特徴を翔に伝えられれば。そうすれば彼の記憶の吸血鬼か否かくらいは分かるだろう。
未だに彼の言う『吸血鬼の正体を暴く』という目的の本質は分からないが、もしかしたら彼は何かしら心当たりがあり、それを確かめようとしているのではないか。
なら、自身は出来ることをするまで。あとは吸血鬼について詳しい彼に任せよう。
そう考えていると突然、紗季が「そういえば」と思い出したように声を上げた。
「聞こうと思ってたんだけどさ、吸血鬼に咬まれるのって痛いの?」
そう問われ、芽衣の口からは脊髄反射で答えが飛び出す。
「痛いよ〜。決まってんじゃん」
「うわ…やっぱ痛いんだ」
注射嫌いだから絶対やだ、と付け加えた紗季に対し「私もいやだよ」と答えた芽衣。それは一方的に襲われ続けている彼女の、本心からの言葉だった。
毎度かなりの痛みと非日常的な極限の恐怖を味わされているのだから、もちろん嫌に決まっている。
加えて今のところ咬まれているのは首周辺が多い。皮膚の薄いそこに牙が沈むあの感覚は、おそらく今後も慣れることはないだろう。
(あれ?でもさ)
そこでふと、とある光景が蘇る。
あの日、紺碧に彼の白髪が煌めいていたのを視認した日。初めは飢えに突き動かされるままの吸血のはずだったが、最後に喉元に突き立てられた牙はなぜ痛みを感じさせなかったのか。
続けて思案しようと記憶を辿った芽衣。しかしその光景と共に喉を掠めた熱い吐息までもが蘇り、彼女はギュッと身体を強張らせた。そうしてゾワゾワとする感覚を掻き消すように首をブンブンと横に振ると、小さく息を吐く。
(痛くしないでくれればまだ良いんだけど……。っていうかさ)
「吸血鬼も頭良いよね多分……」
(話し合いでなんとかならないのかな……)
姿形がヒトに似ているだけでなく、知能までもがおそらくヒト並みかそれ以上。殺されることはないにしても、なにか妥協してもらえることはないのだろうか。
答えはおそらく否。自分を襲う相手に一体何を期待しているのだろうと、思わず苦笑いが溢れる。
やはり、一発くらいは反撃しても文句は言われないのではないか。
そう決意を新たにする芽衣に対し、お菓子をジュースと共に嚥下した紗季はおもむろに口を開いた。
「頭が良いといえば、芽衣見た?中間テストの上位者」
「あ〜、廊下に貼られてたやつでしょ?見た見た」
昨日、学年で上位50名の名前と点数が記載された模造紙が掲示板に貼り出されていた。自身の名前が無いことは分かりきっているが興味本位で覗いた際、いつものメンバーに混ざっていた見慣れぬ名前に思わず足が止まった。
そこで見つけたのは『9位 涼崎翔 783点』の文字。
「1桁台に翔くんの名前あって二度見したもん。8教科であの点数って頭良いんだね」
「私らは一生かかっても無理だね」
「うっ、否定はしないけども」
(まあ、頭は良い、のかな)
思い返してみればテスト返却の際、教師は皆口を揃えて翔に対し『手抜きしただろ』と言っていた。つまり他者が気が付くほどに、彼は力を抜いていたということ。
彼は一言「いえ」と返事をして自席に戻っていたが。
「吸血鬼の調査しながら勉強したってことでしょ?すごいねえ」
紗季は感心したようにそう呟くが、芽衣には彼が机に向かっている姿が想像出来ずにいた。それもそのはずで、教室後方にある芽衣の席からは翔の姿がよく見えるが、授業中に目に入る姿は大抵つまらなさそうに窓の外を見ているか突っ伏しているかの二択。
翔との話題は専ら吸血鬼についてのため、目に付くことのなかった彼のポテンシャルの高さにはただただ驚嘆するばかり。そして同時に彼という人物がよく分からなくなった。
少し会話をする頻度が高いとはいえ、どうやら翔についても知らないことが多いらしい。
(あれで運動も出来るんだったらモテない理由ないもんね。まあでも、本人が興味ないって言ってるし)
そう思い至ったところでふと、芽衣はいつの間にか思考のほとんどが翔で埋まっていることに気が付いた。最初はテスト順位の話だったはずなのに、気付けば彼の普段の姿が思い浮かんでいる。
そういえば最近は紗季と話していても、気がつけば話題は吸血鬼か翔に関してのものに変わっている。色々議論すること自体は芽衣としても助かるのだが、次から次へと疑問ばかりが生まれて頭が回らなくなりそうだ。
(あんまり考えすぎると分かんなくなりそ。切り替え大事)
ふうと深呼吸した芽衣は今までの話題を頭の片隅に置いておき、その後は日常に関する他愛もない話に花を咲かせていた。
**
その夜、芽衣はスタンドライトの淡い光が照らす自室のベッド上に座っていた。ぼうっと何の気なしに窓の外を見やれば、弓形に弧を描いた三日月が静謐な西の空に沈もうとしている。
(いつ来てもおかしくないし…とりあえず枕元に置いとこ)
携帯を充電器に繋ぎ点灯した画面には、21時を少しばかり過ぎた時間が表示されていた。それを確認すると、くるっと裏返したまま枕元に無造作に置く。
(この前来たのは……ちょうど1時半ごろだっけか)
あの時はもう来ないだろうと油断した矢先に現れてしまい、準備も何も出来てはいなかった。しかし今度ばかりは違う。
昼間に思いついた作戦はささやかな抵抗かもしれないが、芽衣にとっては十分に反撃と呼べるものだった。
(これで特徴さえ分かればね。1ヶ月経つ前に終わったりして)
翔に宣言した通りの期間で正体を突き止めることが出来るかもしれない。その希望が見えてきたことに、内心安堵と勝ち誇ったような感情が生まれていた。
兎にも角にも、やってみるしかない。
新しい挑戦を前に心躍らせながら、大きく伸びをした時。不意に、芽衣の携帯から軽快な着信音が響き渡った。
(こんな夜に誰だろ。紗季かな)
十分に夜中と呼べるこの時間帯に電話してくる者は限られている。不思議に思いつつ背面から光を発するそれを手に取り、ディスプレイを確認した際目に飛び込んできた名前。
(えっ、和海さん?)
それは何かの冗談だと思いつつ連絡先を交換した翔の兄からの、初めての着信だった。




