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仮説②

「芽衣、ほら行くぞ」


 放課後、帰りの挨拶を終えるなり翔は真っ先に自身の机の前にやって来た。目の前に立つ彼の後ろから相変わらず物珍しそうな視線を感じるが、芽衣はそれを極力視界に入れないよう努め口を開く。

 

「場所どこがいい?」

「?公園じゃ駄目なのか」

 そう不思議そうに尋ねてくるのも無理はない。だが今朝のように紙に書き起こすためには机が必要であり、出来るなら図書館のような屋内が望ましい。


「紙に書ける場所がいいと思うんだよねえ…」

 顎に手を当てつつ独りごちる。そのまま小さく唸りつつ、条件に当てはまりそうな場所をぐるぐると考えていた時だった。

(あ、別にどこでも良いなら)

 ふと、とある場所が思い浮かぶ。


「私の家はどう?」

「……正気か?」


(え、ダメかな)

 一瞬にして提案を切り捨てた声に固まった芽衣。彼女にしてみれば家のリビングは誰かに話を聞かれることのない安全地帯。加えて紙に書き起こすという観点から見てもうってつけの場所だった。

 しかし翔は『あり得ない』とでも言いたげな表情を浮かべながら、ただこちらを凝視するばかり。


「昨日も言ったが、警戒心がないな」


 ややあって聞こえた言葉に、昨日の朝の会話が蘇る。彼の兄弟に会ったことを指摘された際と同じ発言だが、そこまで警戒心が薄そうに見えるだろうか。


「あると思うんだけどなあ」

「会ったばかりの男を家に招こうとする時点でないと言えるが」

 

 ぶっきらぼうにそう言い放つと、翔はやれやれと言うように目元を右手で覆った。しかし芽衣は他意なく発した提案、それも現状思い浮かぶ最適解だったためにその言葉の真意がよく解らない。


「あ〜、散らかってるしなあ」

 なんとも的外れな部分を気にしている彼女の耳に「……もういい」と呆れたような声が届く。そのまま右手を下ろした翔ははあ、と大きなため息を一つ吐くと、それ以上の会話を諦めたように口を引き結んでしまった。


(別に片付ければ良いだけなんだけど)

 兎にも角にも自宅が駄目だと言うなら屋内で思いつく場所はない。となるとやはり、適する場所は1つしかないだろう。


「じゃあやっぱり公園しかないかあ……」

「ああ、今日は流石に兄さんも来ないだろうからな」

 肯定の後に間髪入れず聞こえた言葉に対し、芽衣は思わず今朝抱いた疑問を口にした。


「……思ったんだけどさ、和海さんとそんなに仲悪いの?」

 

 そう言い終えたところで芽衣は咄嗟に口を片手で覆った。ほぼ反射で口を衝いたとはいえ、『吸血鬼の調査』に必要ない質問をするつもりはなかったのだ。何より家庭の事情に首を突っ込まれるなど誰も良い気分にはならないだろう。

 後悔の2文字が頭を過ぎるが、こちらを睨め付けるように見つめている時点で時すでに遅し。


「お前には関係ないだろ。兄さんのことが気になるのか」


 やはり地雷を踏んでしまったようだが、最後の問いが引っかかる。兄弟間の仲について指摘されることを嫌がるというよりも、彼の兄について言及したことが良くなかったのか。

(名前出すのもアウトなんだ……?)


「あの人のことは気にしても無駄だ」


 そう言われてしまっては何も言葉がない。しかし不思議と翔の雰囲気はいつもと変わりなく、その様子は芽衣を安堵させるには十分なものだった。 

 彼の兄弟と初めて会った後、雰囲気に()されてしまうほど機嫌が悪くなっていたのだから。


(翔抜きで会ったから機嫌悪かったんだろうけどさ……仲良いんだか悪いんだか)

 結局明確な答えは得られなかったが、彼は何か誤解をしているようだ。それを解くため、芽衣は視線を合わせながら言葉を紡ぐ。


「別に気になるってわけじゃな……っ、?」

 全て言い終える前に、左肩に僅かな重さを感じた。咄嗟に見やるとそこには自身よりも大きな手が置かれており、再度翔に視線を戻せばそのまま顔を近づけてきた。「ひっ」と彼の後ろの方で小さい声が上がる。


(見られてんだけど!?)

 突然触れた手と視線に慌てる芽衣だったが、構わず翔はその体勢を崩さない。そうして長い一瞬の後、おもむろに彼は口を開いた。


「吸血鬼の正体知りたいんだろ。ならさっさと来い」

 

 誰にも聞こえないように耳元に顔を寄せ、囁くように言葉を紡いだ翔。近すぎる距離のせいで表情は見えないものの、心なしかその声色には愉楽の色が滲んでいた、ような気がした。


 **


 だんだんと日が長くなる空の下、芽衣は翔の背中を見ながら昨日と同じ道を歩いていた。その頭の中では吸血鬼についての仮説が繰り返し浮かんでは消えていき、無言の時間が続く。

 そうして言葉を交わすことなく公園に移動した2人。示し合わせたように横並びでベンチに腰を下ろした時ふと、芽衣の脳裏に昼休みの会話が過った。


(あ、これ誤解されるんじゃ)


 もし彼に恋人と呼べる存在がいた場合、この状況を目撃されてしまうと厄介ではないか。それにいくら吸血鬼の正体を知るためとはいえ、自身のような人間と変な誤解をされ続けるのは不快だろう。

 しかし彼に浮ついた噂がないのもまた事実。ならばとりあえず恋人の有無から聞こうと、芽衣はおずおずと口を開いた。


「翔ってさ、彼女さんとかいるの?」


 少しばかり勇気を出してそう聞いてみた。途端、翔の目が正面を向いたまま見開かれる。

 関わりを持つようになって2週間そこらの相手に対する質問ではないが、不本意な誤解は彼にとっても都合が良くないだろう。そう気遣ったつもりの問いだったが、目の前の男はそれはそれは怪訝な表情(かお)でこちらを振り返るなり


「……は?」


 と、一層低くなった声で聞き返した。刺すような視線に射竦められこれも地雷だったのかと気付かされるが、口から紡がれてしまった以上後の祭りだった。それに、心なしか先ほどよりも発言に対する『お前は何を言ってるんだ』感が強いのは思い違いか。

(まあ確かにがっつりプライベートな部分だし……怒られたりして)

 その勢いで見捨てられてしまうなんてことがあれば、それこそ一巻の終わりだ。


「いるように見えるのか」

「へ?」


 しかし次に耳に届いた言葉。全く予想していなかったそれに呆気に取られたまま、芽衣は口をパクパクとさせ固まってしまった。てっきりまた「関係ないだろ」とでも言われるのかと身構えていたものの杞憂に終わり、身体を強張らせている力が抜けない。

 そうしている間にも目の前の男は眉を顰めながら、どこか呆れたようにこちらを見つめ続けていた。


「いないの?」

 引く手数多だろうに意外、そう思ったものの口には出さなかった。また変に地雷を踏み抜いても困る。

 などと考えていると目の前の男は緩く瞼を伏せ、髪をくしゃっと片手でかきあげると


「俺はそういうのには興味がない。分かったか」


 と、他の男子が聞いたら血涙を流しそうな台詞をいとも容易く言ってのけた。その様子から心底そう思っていることを察した芽衣は「そっか」と小さく返事をする。


(まあ無愛想だしこれじゃあね、モテてんのにもったいない)

 

 とりあえず誤解されて困るような存在がいないことは理解した。それにデートと言われても言い返さないところを見るに、少なくとも本人はその言葉を気にしていないようだ。


(慣れてるように見えなくもないんだけど……。私も頑張って気にしないようにしよ)

 自身は別に誤解されても困らないが、翔も気にならないのであれば別段不都合はないだろう。


 これで、心置きなく調査が出来そうだ。そう考えつつ大きく伸びをすると、気持ちを切り替えるようにふうと息を一つ吐いた。



「そうだ、私今日吸血鬼について考えたことがあるんだよね」

 気を取り直し口を開いた芽衣は今朝のルーズリーフとシャープペンシル、下敷きになるような教科書を一冊リュックサックから取り出した。


(どれか1個でも合ってれば儲けもんだよね)


「どんなのだ」

 短く問われ、白い紙面に走る文字に目を落とす。そこで1番最初に目についたのは弁当を広げていた時に立てた仮説。


「吸血鬼はある程度なら血がなくても大丈夫、とか」


 芽衣にしてみればまだ根拠の不確かな仮説ではあるが、翔は上体を前に倒して続きを待っているようだった。特に否定されない様子を見るに、まさか彼も既に分かっていることだったのか。


(なんで教えてくれないのかな)


 自身の問いに対する答えを翔が提示する不思議な状況。まるで授業の答え合わせをしているような緊張感の中、芽衣は続きを促す視線と目を合わせる。


「多分1週間くらいは大丈夫な気がするんだけど……」

『血がなくてもある程度は大丈夫』という仮説は、彼の態度を見るに立証されたも同然だろう。それに一昨日現れるまで吸血鬼は1週間ほど姿を現さなかったのだから、こちらもほぼ確実とみて良いのではないか。

 

「ある程度無くても大丈夫、は合ってるな。期間は俺も分からないが」


 最初から情報を開示してくれても不都合はないだろうに、なぜ答え合わせのような形式にするのだろう。

 しかしとりあえず第一の仮説は合っていたことが証明され、ほっと胸を撫で下ろす。これでまた、吸血鬼に1歩近づくことが出来た。


「他にはないのか」

 芽衣の立てた仮説に興味を持ったらしく、翔は続けるよう催促してきた。そこで再度紙面に目を落とした時、1番上に書かれたとある文字が飛び込んでくる。

 それは吸血鬼に関するものではないが、今朝ふと思い浮かんだ()()()()()疑問。目の前で続きを待っている本人に対し、芽衣は軽い気持ちで尋ねてみた。


「もしかして、『調査』するの初めてじゃなかったりする?」


 そう口にした瞬間。

 まるで予想外の質問だとでもいうように、翔の目が大きく見開かれた。



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