仮説
次の日の朝。
いつも通り始業1時間前に登校した芽衣は荷物を下ろすと、これまでタイミングを逃して読めずにいた小説をロッカーから取り出し自席に着いた。しおりを挟んでいたページは丁度、主人公が吸血鬼について探っているところ。
自身も今現在吸血鬼の正体について調査しているためか感情移入しやすく、誰にも遮られないことも手伝って次々とページが捲られる。
(何かと共通点多いんだよね)
偶然だと言うことは百も承知だが、やはり似ている。
夜な夜な現れる人ならざる者も、主人公がその正体を追いかけていることも。しかしこの少女は他者と違う特徴があるようで、それは現実の芽衣と違う点でもあった。
自身を改めて客観視してみるものの色素が若干薄い容姿以外、別段変わっているところは無いように思う。
(別に大して血も美味しくないだろうに……物好きなのかな)
誰に聞いてもどうしようもないことは解るが、それでもなぜ自身なのだろうと疑問を抱かずにはいられない。この主人公とは違う、どこにでもいるような高校生なのに。
そう考えつつも続きが気になる芽衣の手は止まることなく、自然光が包む教室にはページを捲る紙の音が時折響いていた。
ところで、この小説は一体いつから売られているのだろうか?
今まで気にしたことはなかったが、ふと頭に浮かんだ疑問に手が止まった。そうして現実と妙に似通っていることが気になった芽衣は出版日を見ようと一番後ろのページを捲る。紙の中央付近に書かれていたのは『出版日 2013年7月14日 初版第1刷発行』の文字であり、今からおおよそ5年前の日付だった。どうやら自身が本屋で見つけたのは最近重版されたものだったらしい。
(意外と前じゃん……このタイミングで売られてて良かったのかも)
吸血鬼が自身の前に現れる少し前に見つけたこの小説。数奇な偶然もあるものだと感心した次に脳裏を過ったのは、同じくこの小説を持っている無表情の人物だった。
(翔は貰ったって言ってた気がするけど、誰からなんだろ)
彼がこの本に目を通したであろう事実も十分衝撃的たが、それよりもこの本を譲渡した人物が気になって仕方がない。一体どんな気持ちで、あの無愛想な人間にこれを読ませようと思ったのだろうか。
それに5年も前からある本ということは、貰ったというのも今の話ではないのかもしれない。だとすれば彼は何かしらのタイミングで吸血鬼と遭遇した後、この本に影響されて『調査』というものを開始したということも考えられる。もちろん、小説を参考とした前提の話ではあるが。
(っていうことは調査ってこれが初めてじゃなかったりするのかな)
無意識にも近い感覚でそう思い至った瞬間ピタッと、芽衣の思考が一瞬止まる。何故、今まで気が付かなかったのか。
思えば最初に翔が提案してきた際、やけに慣れた様子でスッと『吸血鬼の正体を探るための調査』という目的が出てきた。後に彼は吸血鬼を見たことがあると知ったが、だとしても正体を探るという考えに至るにはもう少し時間がかかるだろう。
それに紗季と夢の話をした際、翔は確かに教室内にはいなかった。しかし『吸血鬼の夢』だとピンポイントで言い当てたのは、以前にも同じようなことがあったからではないか。
つまり、翔は過去にも吸血鬼の夢を見た者と『調査』を行ったことがある、ということになるのだろうか?
(前にもやったことがあるんだとしたらヒントとかいっぱいあるんじゃ?……とりあえずメモしよ)
考えながら芽衣は以前使用したルーズリーフを取り出すと『調査』についての仮説を書き留めた。こればかりは実際に翔に聞いてみるしかない。しかしこの仮説が合っているとしたら何故、彼は一歩引いた態度で傍観し続けているのだろう。
答えの出ない疑問がぐるぐると脳内を回り、いつしか疲れを覚えた芽衣は目を緩く瞑る。するとだんだんと眠気を覚えたため、そのまま机に突っ伏して少しばかり仮眠をとった。
「芽衣おはよ!」
ポンっと肩を軽く叩かれ思考が浮上する。ビクッと肩を跳ねさせ上体を起こせば、そこには朝から元気な紗季の姿があった。目を擦りつつ辺りを見れば、教室内に生徒が何人か増えているのが確認できる。
「おはよ紗季」
「眠そうだね。また寝不足?」
欠伸をしつつ「かもしれない」と返事をした芽衣。思い返してみれば吸血鬼のせいで睡眠時間が明らかに削られており、ここ最近は特に眠い。
「そうだ!そういえば聞こうと思ったんだけどさ」
突然何かを思い出した紗季の言葉を受け、どうしたのかと首を傾げる芽衣。それに対し心なしか目をキラキラとさせた紗季は飛び跳ねそうな声色で言葉を続ける。
「翔くんの兄弟カッコよかったって聞いたけどほんと?」
「あ〜、昨日の話?」
「そ。見た子達皆騒いでたから気になって」
自身も含め、やはり女子生徒はイケメンに目がないと再認識した芽衣は2名の姿を思い出してみる。兄の和海は背も高く鼻目立ちもはっきりしており、風に揺れていた長い黒髪は清潔感すら感じさせた。対する海斗は垂れ目で可愛い方の分類だと思うが、それでも人目を引く顔立ちは兄弟共通だった。
「かっこいいんじゃないかな。あんまり翔と似てなかったけど」
「そうなの!?別ベクトルの良さってことだねきっと」
うんうんと頷きつつ感心した様子の紗季を横目に、芽衣は昨日会った際の和海との会話を思い出していた。
(そういえば和海さん吸血鬼の話してたね……翔と話してるのかな)
仲が悪いわけではないようだが、特別良いようにも見えなかった兄と弟。吸血鬼などという小説の生き物について会話しているところなど想像もつかなかった。それに加え自身の話もしていたとのことだが、とてもそのような雰囲気には見えない。
そうして、しばらくぼんやりと思考を巡らせていた時だった。
「あ、翔くんだ」
紗季のその呟きを受け、頬杖をついていた芽衣は教室後方の戸に目を向ける。そこには同級生に続いて登校してきたばかりの無愛想な男がおり、こちらと目が合うなり荷物を持ったまま近づいてきた。
昨日ぶりのその姿に、今日は何故か安心感を覚えた。おそらく『吸血鬼は人を殺さない』発言のおかげだろうが、あの言葉は芽衣にとって救いとも呼べるものだった。
一昨日現れた吸血鬼は、下手をしたら自身を喰い殺しかねないほどに飢えていたのだから。
「昨日会った後、兄さんと連絡取ったりしてないだろうな」
こちらを見下ろし開口一番にそう言い放った翔から、昨日のような不機嫌さは見られない。その様子に、彼が不在の時に和海と会うのがまずいのだろうかと思い至る。
(自分の兄弟と勝手に会うのが気に入らないんだろうけど……なんでだろ)
そう疑問を抱くものの、これも本人に聞いてみなければ分からない。だが今聞かなければならないほど切迫しているわけでもないため、とりあえずは翔の問いかけに対する答えを紡ぐ。
「もちろんしてないよ」
そう答えれば「そうか」と短い返事が返ってくる。一体何を心配しているのか分からないが、今後も特に連絡する必要性が生じることはないだろう。
と、思ったのも束の間。
「えっ、また放課後デートしたの!?」
「ちょっ紗季」
紗季の言葉に驚いた芽衣は勢いよく椅子を引いて立ち上がった。同級生の話し声が飛びかう教室内ではその驚声も小さいものだが、翔の耳に入るには十分すぎる声量と距離だった。
(そんなんじゃないのに)
軽口だとは思うが和海と同じことをまた言われてしまい、気まずさと申し訳なさを含んだ視線を翔に送る。しかし当の本人は気にも留めていないらしく、こちらを静かに見下ろしたまま口を引き結んでいる。
昨日の和海の発言時もそうだが、否定してくれないとこちらが気まずい。
「それで、今日は放課後どうなんだ」
内心落ち着かない芽衣だが、それを知ってか知らずか耳に届いた問いかけ。瞬時に調査のことだと理解した彼女はまた誤解を生みそうだと苦笑しつつ、翔の言葉を二つ返事で了承した。
「言っておくけどこれ調査の会議だからね」
そう紗季に対し釘を刺すことも忘れない。「分かってるよ〜」とニヤニヤしながら答える姿に本当かと疑問に思ったが、これ以上堂々巡りになることは御免だと考えた芽衣は何も言わなかった。
なにはともあれ今日の予定が決まった芽衣は紗季と翔が自席に戻るのを見届けつつ、吸血鬼と小説についてぼんやりと考えていた。
**
「吸血鬼ってさ、ご飯とか食べると思う?」
昼休み、顔を突き合わせて弁当を広げていた紗季からそんな疑問が飛んできた。卵焼きを咀嚼していた芽衣はそれを嚥下すると、吸血鬼という生き物の生態について少しばかり考えてから口を開く。
「えーどうなんだろ?吸血鬼って血が主食だと思ってたんだけど。人間と同じご飯って食べないんじゃない?」
「確かに。でもさ、血だけでお腹いっぱいになるのかな」
そう言われて初めて、芽衣は吸血鬼の具体的な生活について深く考えてこなかったことに気が付いた。外見や行動などの見える部分はともかく、彼の生活スタイルを知ることが出来れば何かしらの手掛かりになるのではないか。
(毎日来てるわけじゃないってことは、ある程度血がなくても生きられるとか?)
そう仮説を立ててみた。もちろん自身のみがターゲットだと仮定した場合の話ではあるが、もし他にも吸血する相手がいるとするなら日曜日の彼の様子はとても不自然に思える。
──何故あの日、吸血鬼はあんなにも飢えているように見えたのだろうか。
(もしかして)
「狙われてるのって私1人?」
「え?」
考えついた仮定がそのまま口から溢れる。だとすればやはり、1週間程度なら吸血しなくても生きていけるのではないか。
「少しの期間なら血がなくても大丈夫なんじゃないかな」
箸を止めて芽衣は答えを出した。対する紗季は「毎日来てるわけじゃないもんね」と納得した様子。確かに日を置いて現れているが、毎日食事をしなくても体調を崩すことがないのは少しばかり羨ましいかもしれない。
(そうだ、具合が悪いといえば)
「ところで、翔はこの時間食堂に行って食べてるのかな」
金曜日の青白い顔が過った芽衣は言いつつ彼の席を見やる。しかしそこに席の主の姿はなく、教室を見渡してみるもののどうやら不在のようだった。
「ほんとだいない。なんか気になることでもあるの?」
「うーん。この前めちゃめちゃ具合悪そうだったから、ちゃんと食べてないんじゃないかと思って」
海斗の言葉によれば翔は一人暮らしをしているらしく、食事を抜くこともままあるかもしれない。加えて彼が授業の合間に間食をしている姿を見たことがないし、ましてや昼食を摂っているところなど想像もつかなかった。
「確かに食べないと具合も悪くなるね。でもほら、他のクラスで食べてるかもだし」
紗季の言葉にそれもそうかと思い直す。しかし失礼ながら、翔が誰かと一緒にいるところを見たことがなかったため腑に落ちない。
「翔って友達いるのかな」
「わお失礼。友達じゃなくて彼女かもしれないじゃん?」
「そっちの方がいなさそうだけど」
そういえば彼が転校してきて2ヶ月が経とうとしているが、そういう浮ついた話は1つも聞こえてきていない。だが彼を見掛ける度に声をかけようとしている子がいるのもまた事実であり、客観的に見ればモテてはいるのだろう。
(まあ前の学校にいるかもだし……あれ、もし彼女さんいるんだとしたら私だいぶ鬱陶しくない?)
ここ最近会話の頻度が増えてきた芽衣は改めて思い返してみて、肩や腕に触れる等のスキンシップが多いことに気が付いた。加えて放課後は2人で行動する機会も増えてきており、彼女がいるのであればこの状況はまずい。
(もしいたとして、一緒に調査してるところなんて見られたらキレられるでしょ……)
同級生に誤解されるどころか、もしかしたらもっと誤解されてはいけない人がいるかもしれない。そう考えた芽衣はこの疑問を翔に尋ねてみようと心の片隅に置きつつ、吸血鬼について書き留めるためいつもより早く箸を動かしていた。




