第3話
「小さい頃のエピソードですの。彼の両親からは『まーくん』だったから、いつのまにか牧彦ったら、自分でも自分のこと『まーくん』と呼びようになって……」
明美の表情がやわらかくなる。今この瞬間の状況を忘れて、昔を懐かしんでいるらしい。
「……でも『ま』の『M』の子音が、うまく発音できなかったみたい。牧彦が『まーくん』と言っても、私たちには『あーくん』としか聞こえなくて……。だから私たちも『あーくん』と呼ぶようになったのです」
「酷いなあ、明美姉さん。かなり昔の話じゃないか」
「あら、今でも私たちの間では、時々使う呼び方でしょう?」
黙って聞いていた警部が、ここで会話に割り込んでくる。
「『私たち』というのは、あなた方三人のことですか? それとも、被害者の春樹さんも含めて?」
重要なポイントだ、と言わんばかりの口ぶりだった。
その意味を理解したらしく――そして現状を思い出したらしく――、明美が緊張の様子を見せる。
「はい、私たち従兄弟同士の間だけです。伯父が牧彦を『あーくん』と呼んだことは、一度もないんじゃないかしら? でも……」
言いづらそうな態度だが、そこまで言ったのであれば、ここで止めても今更だろう。
そう思ったから、俺が彼女の言葉を引き継いだ。
「……『あーくん』が牧彦を示すってこと、知識としては伯父も知っていましたよ。彼の前で、何度も使われた呼び方ですからね」
そう言いながら、チラリと牧彦に視線を向ける。嫌そうな表情ではあるけれど、仕方がないと覚悟している顔にも感じられた。
それを見て、つい調子に乗って、俺は続けてしまう。
「だから伯父の血文字の『あ』は、『あーくん』の意味かもしれません」




