09
べたべた油汚れには重曹。
いや、プラークは油汚れじゃないし聖魔力は重曹じゃないけれど。
昨日は聖魔力を注ぎ続けたせいで、魔力枯渇に近い状態になってしまった。同じようなやり方をしたら今日もフラフラになるだろう。
神殿騎士にクオーツよりもグレインのほうが即効性があると聞いたし、別のやり方をちょっと試してみよう。
魔力栓は昨日と同じように魔力を注げば簡単に溶ける。私に見える範囲にあった4つの団子が無くなったら、今度は聖魔力をミスト状にしてプラークに振りかけた。魔力は塊よりも細かくしたほうが瘴気に手早く効くと仮定してのこと。
聖魔力ミストがプラークに満遍なく浸透したら、今度は聖魔力を薄く延ばして覆う。油汚れに練った重曹を塗ってラップで覆うイメージで。家事を手伝っていてよかった。じゃなきゃこういう発想は出なかったかもしれない。
魔力を注ぎ続けるのはしんどいのでこれで上手くいけばいいと思うけど、ダメだったらまた昨日のように力技だな。
油汚れ落としなら、これで少々時間を置くところなのでそれに倣って放置しておこう。魔力の減りは昨日とは比べ物にならないほどに僅かだ。
「聖女殿、面白いやり方だな」
不機嫌だった実行犯が、私の作業工程を見て目を見張っている。魔導士長だそうだし、変わった魔力行使を目の当たりにして苛立ちよりも興味のほうが勝ったんだろう。
「効果があるかどうかは時間が経ってみないとわからない」
上手くいけば、プラークは溶けてくれるだろう。それが無理でも剥がしやすくなってくれるとありがたい。
正常化は出来ていないけれど瘴気が溢れ出てくることもないこの状況は、聖魔力でなくても同じようなことができるだろう。それも一時しのぎではあるけれど、正常化の術がなかったのなら応急処置でもしないよりましだったろうに。そういう発想はなかったのか。
「効果?瘴気の発生を抑えるだけではなく?」
実行犯はお馬鹿か。お馬鹿なんだろうな、うん。
「臭いものに蓋をしても根本的な解決にはならない。覆い隠しても異常は無くならない。けど、昨日のやり方だと効率が悪いから、時間や魔力を最低限にするベストな正常化のやり方を模索中」
「おお……」
実行犯が欣喜雀躍の体であるけど、こっちはため息が出るよ。
単純に喜んでるけどさ、なんで誘拐されて無理やり聖女やらされている私が、一番真剣に魔脈の正常化について考えてるんだよ。アンタらが聖魔力があったら出来ることを考えて、お膳立てして、すべてを整えてから私にどうぞ力をお貸しくださいって流れになるのが順当なんじゃないの?
結果から言うと、聖魔力ミスト+ラップ作戦はうまくいった。
一時間ほどほかの作業をして魔脈に戻り、ラップ状の聖魔力を剥がすとねばねばプラークがするすると溶けて流れていったのだ。多少残ったねばねばは少々の追い魔力でどうにかなった。
このやり方なら、この規模の魔脈の乱れを正常化するのにかかる時間は2時間といったところだろう。魔力消費もぐっと減ったのでもっと大規模な乱れでも対応できる。
コスパがいい方法が見つかってよかった。
実行犯が大喜びしている姿がむかつく。アンタ、何にもしてないじゃん。アンタを喜ばせることになるかと思うと、魔脈の対処をする気が著しく低下するんだけど?
馬車に戻ろうとしたとき、昨日、私の陰口を言った騎士たちがこちらを見ていることに気づく。なんだよ、今日は虚弱くんには見えないでしょうに、まだ何か文句付けたいのか。
騎士たちを見て実行犯が私の前に出た。さっきまでのゆるんだ顔から一変、眉間にしわを寄せて厳しい顔をしている。
いや、アンタに庇ってもらうつもりも守ってもらうつもりもないんだけど。何か言われても無視するし。
そう思っていたら、騎士たちが私の前で一列になって頭を下げた。
「聖女様、これまでの不敬、誠に申し訳ありませんでしたっ」
……はい?
不得要領な私に、昨日、私を運んでくれるといった副隊長(名前は憶えていない)が右拳を左胸に当て直立した状態で項垂れて言う。
「聖女様に対し、我が部下が不遜な態度であったと報告が上がりました。こちらの管理不行き届きをお詫び申し上げます」
ああ、なるほど。騎士たちは上司に怒られたから形だけ頭を下げてるのか。ま、わかる。騎士団なんて体育会系で上下関係の縛りはきついだろから、上に叱責されれば不本意でも従うか。でも、そんな理由で謝られてもな。そもそも詫びを求めていないし。
「謝罪は結構」
面倒くさいから。
「えっ……」
謝らなくていいって言ったのに、陰口騎士たちは顔色を悪くした。謝らないと上官に怒られる、とか?煩わしい話だ。
「謝罪不要とおっしゃるほどにお怒りでございますか」
副隊長もしゅんとしている。ん?んん?言っていることの意味が分からない。謝らなくていいよってのは、怒ってないよ気にすんなってことなんじゃないんだろうか。私は面倒くさいだけだけど。あと、慣れあうつもりはないから”仲直り”は要らないってこともある。直るほどの仲なんて元々ないけれど。
私が理解していないことが分かったのか、実行犯が説明してくれた。
謝罪は要らないっていうのは、許すつもりはないから謝っても無駄だってことなんだそうだ。許すときは謝らせておいて「謝罪を受け入れる」宣言をするらしい。
城でいろいろと勉強はしたけれど、こういう本に載っていない不文律や常識は世界が違うと本当に分からない。
地球でだって、国によって風習が違って何の気なしにした動作で相手を怒らせることもあると聞いたことがあるし、世界が違ったらもっとそうなのかもしれない。
さてどうしようかと考えていると、陰口騎士の一人が膝をついた。それに倣って他の面々も膝をつく。やーめーてー。なに、この面倒くさいシチュエーション。
彼らが詫びるには、聖女の騙りだと侮ってぞんざいに接して申し訳ないということ。瘴気の浄化や魔脈の正常化は自分たちには見て取れないが、空気が変わったことは理解したということ。
それだけではない。自分たちは聖女の行動を見ていたという。瘴気にまみれて病気になった町民や家畜の治療を行う姿。畑や果樹の再生。弱っている人々へ収穫した果物や野菜を自ら配り歩く姿。家屋の修理計画を練り、汚れた子供たちに洗浄の魔法をかけた上に湯脈を探り当てて湧き湯を呼んだこと。どれもこれもが自分たちが粗雑に扱っていい相手ではない、本物の聖女の姿だったという。
謝罪されたことより、陰口騎士たちが私の挙動を見張っていたことより思うこと。
……私、働きすぎじゃないだろうか。