06
馬車に戻ると侍女たちの顔の色は蒼白だったが、私の傷一つない姿を見てほうっと息を漏らした。ここで私に死なれたら何のために召喚したんだか分からないから、無事を確認して安堵したんだろう。
ああ、やっちまったなぁ……。
後悔が私を苛む。
この世界とは慣れあわず、瘴気の浄化だけするつもりだったのに。この世界の人間が魔獣に襲われようと喰われようと知ったこっちゃないと、そう思うほどには割り切れなかった。浄化を請け負ったのは帰還方法を探るための時間稼ぎの意味が強かった筈なのに。
情を捨てろ。心を動かすな。私は自分にそう言い聞かせる。この世界に繋がれる気がないのなら。
なまじ人と関わっては情に絡めとられて身動きが取れなくなってしまう。私は帰るんだから、そんな状況に陥るわけにはいかない。
そもそも騎士たちは何をしていたんだと問えば、役目は聖女を守ることであり馬車に向かってこないのなら手出しはしないという。民を守るためにいるんじゃないのかと小一時間問い詰めたい。しないけど。
騎士たちの行動を最大限好意的に解釈するとすれば、私は決して失ってはならない切り札であり数人・数十人の民と秤にかけることもできないほどに重要だということなんだろう。私が死ねばこれから救われるはずの数千・数万の命も危ういのだから。小の虫大の虫ってやつか。
けど、聖女を危険に合わせないためにっていうなら、私が馬車を飛び出した時点で誰か魔獣を倒しに行けよ、とも思う。中隊長が先行していて命令を下す人間がいなかったからだそうだが、それでいいのか騎士団。
「聖女殿、先ほどの魔法は――」
フルシカトしていたのに訊ねてくるなんて心臓強いな、実行犯。でも、無視。
何度も聞いてくるので鬱陶しくなって黙ってろと怒鳴ってしまったが、偉い人らしい実行犯に対する私の態度にきょとんとしていた侍女たちの顔がおかしかった。怒鳴られた当の本人は憮然としていたけど。
魔獣を倒した地点から二日で町に到着する予定だったが、倍の四日に伸びた。
自分に情を捨てろと言い聞かせたところで、魔獣を目にし人が襲われると思えば馬車を飛び出して屠ることはやめられず、食料の為に果樹を育てることもついでにする。
何がこのあたりに魔獣はいないだ。わんさかいるじゃないか。
二回目に魔獣をぺちゃんこにしたとき、そこにいた人が「こうなっちまっては食えない」というので驚いて、こんなグロテスクなものが食べられるのかと思わず聞いてしまった。ちなみに二回目の魔獣はなぜか嘴をもっている巨大な蛇だった。雨が降らないと現れないと言われていらしいけど、晴天の昼日中に出現。
食えないと言われ、食料事情が危機に瀕しているところ申し訳ないと頭を下げたら「こちらこそ申し訳ない。あのままだったら食われるのは俺たちのほうだった」と謝罪された。
そりゃそうだ。あんなでかい蛇、一般人がどうにか出来るわけもない。それからはぺちゃんこにせずに風の魔法で首を切り落とすことにした。
使う前からできるとわかってはいたが、風の魔法も問題なく使えた。
魔脈の上にあるという町に向かうほどに魔獣との遭遇率は上がっていった。やはり瘴気が濃くなるほど魔獣は活発になるのだろうか。
到着した町は、私の目には建物の存在すらわからぬほどの黒い靄に覆われていた。私の存在自体に浄化の力があると実行犯に言われていた通り、歩いていくだけで私を中心に靄が晴れていく。瘴気の浄化というけれど、CGでも見ているように実感はない。魔法を使ったときに浄化されるのは自分がしていることだと実感できるけど、いるだけで浄化されるって言われても――ねぇ?
靄がひどくて視界が悪いので中隊長だという筋骨隆々の30代と思しき男性に先導してもらう。
騎士の集団に囲まれた女三人。そのうちの一人は光沢のある白いワンピース姿で、疲弊している町に全く似つかわしくない。それが私なんだから笑う。
まず町の浄化をと言ったんだけど、魔脈の乱れをどうにかしないと鼬ごっこになるからと根本原因である魔脈の真上に連れていかれた。
この魔脈というものも、瘴気と一緒で可視化できるものは少ないらしい。
私は見えた。
「ああ、動脈硬化みたいなもんか」
「ドーミャクコーカ……?」
直径一メートルくらいの白い光の川が地面の奥深くを通っているのが分かる。地上にある靄が見えるのはまだしも、なんで地面の下にあるものが目の前にあるように見えるんだろう?これも聖魔力持ちゆえに?
みんなが見えないものを見えるってのは、日常生活を穏便に送るためには邪魔な力だと思うけど、可視化できる人って普段の生活が不便でしょうがないだろう。それとも、見る時と見ないようにする時と切り替えられるのかな?
見えっぱなしはキツそうだ。
動脈硬化は、以前おじいちゃんが脳梗塞になったと時に調べたことがある。硬くなった血管にプラークができ血栓ができ、その血栓が血管をふさぎ血流を妨げてしまうそうだ。
この光の川もそう見える。
血管と違って膜に覆われているわけではないのに、光が滑らかに流れている中心と違って外縁部は粘っこい何かがへばりついていて、そこに団子状になったくすんだ光が張り付いている。所々でその団子が川の流れを阻害し、光が川からあふれている場所がある。
あふれた光は地面に染み付き、地上に上っていくうちに黒ずんできて最後は空気に溶け黒い靄になっていく。
魔脈ってのが何本あってどれだけの長さがあるのか知らないが、あちこちでこの動脈硬化様の症状が出ているとしたら、正常化にどれだけ時間がかかるんだろう。
思わず溜息が漏れた私に、実行犯が不安をにじませた声で訊ねてきた。
「難しい……か?」
「別に?」
溜息のせいで、私の実力に疑いをもたれたようだ。けど、実際、難しくはない。初めて魔獣を倒したときと同じで「出来る」ことが一目でわかった。溜息は、これから延々と魔脈巡りと正常化作業が続くであろうことにうんざりしたからだ。
聖魔力だという私の力を光の川にへばりついている血栓……ではないな、団子状のくすみに向けて伸ばすと、団子はさらさらと溶けて白さを取り戻し、光の川に流れていく。プラークにも似た粘っこい何かを、こそげ落とすように魔力を伸ばす。
うわ、ほんとネバネバしてる。
手で触れたわけでもないのに分かる。伸ばした魔力がネバネバに絡み取られるように感じた。さらに力を注ぐと粘着性が少し薄れた。ネバネバは団子より厄介だ。
これ、ネバネバがなくなるまで聖魔力を注げってこと?
いくら私が魔力量が多いと言われていても限度というものはあるわけで。
三か所のネバネバ地帯を正常化し終わったときには、残っている団子に魔力が届かなくなってしまった。
「今日はもう無理」
もっとやれと言われるかと思ったが、実行犯は黙って頷き、侍女たちのほうへとエスコートしようとしてきたので、付き添いはお断りして重くなった体を自分の力で進める。
地面から立ち上がる黒い靄はその勢いを落としたけど、それでもまだ町はくすんだままだ。今は浄化の魔法が使えない。
私はいるだけで起こる浄化はどれだけの力があるんだろうか。