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「落ち着いたか」
神霊獣が窺うように問いかけてきたが、心配をさせたんだろうか。ならば泣いているときに慰めるとかするもんなんじゃなかろうか。いや、慰められたら反発したな、私は。うん。亮君に慰めてもらうならともかく、亮君の形をした別物に慰められても……ねぇ。
「落ち着きました。なんであんなに混乱したんだか……」
亮君に会えたと思ったから、そしてそれが亮君ではなかったから。
それは私の弱さ。亮君のもとに帰ると何度も口にし、自分に言い聞かせるようにしながらも心のどこかでもう二度と会えないと諦めていた自分がいる。亮君の姿を目にしたと思ったら偽物で、それで心が折れかけた。
でも、だから何だというのが今の私の本当の気持ち。諦めるもんか。
亮君のもとに帰るという目標まで見失ってどうする。亮君の姿を見たからといって、今までと変わらないじゃないか。
帰るんだ、私は。
◇◇◇
「ふむ。それはだな、神霊獣に選定される前はただの霊獣として群れで暮らしていたからだな。その群れにはヒトの子もよく訪れていたし、ヒトとの交流は盛んであった。それと、神霊獣の後継者になった時点で先代の神霊獣の記憶が受け継がれるのよ。先代はその先代の、先々代はされにその先代の記憶を受け継いでいるからな。私はたいそう物知りだと思うぞ?」
ただの霊獣って言葉がもう、どう受け取っていいやら分からない代物だ。代々の神霊獣の記憶を受け継いでいるっていうのもびっくり。
ふと疑問に思ってなんで独りぼっちなのにお喋りができるのかって聞いただけなのに。
ただ納得できる部分もある。
代々ってのがどのくらいいたのか知らないけれど、ずっとまえからの神霊獣の記憶を受け継いでマナの管理と浄化をしているのなら、フィルター掃除や次代へのスムーズな交代など考えもしなかったのは当然だろう。
神霊獣にとってはそれが”当たり前”で、人が歩くときに”右足の次には左足を出します”レベルに疑問をさしはさむ余地は存在していないに違いない。
今、なぜか私たちは差し向かいで座り込んでお喋りしている。
マジックバッグの中に飲み物や食料品は入っているけれど、おもてなしに差し出せるようなものはないのが残念だ。召喚されてから、何を食べても飲んでも美味しいと思えなくなっているため、飲み物はただの水で十分だし、食料は栄養価が高いけれど味気ないと評判で日持ちすることが取り柄の携行食。
味覚異常になったわけでもこちらの食事が不味いというわけでもない。味ははっきり分かるし日本と比べても遜色ないレベルの料理なのは分かっているけれど、心が受け付けない。美味しいものを食べるというのは幸福で、それを拒否しているんじゃないかというのが私の自己分析だ。
なので、せっかくのお喋りタイムに出せるお茶もお菓子も何もないのだ。
「私のお役目はあと1~2年だと思っていたが、娘御のおかげで数百年は持ちそうだ。侵入者を感知したときにも驚いたが、会ってみてもっと驚いた。」
亮君の顔で嬉しそうに言われると、本物じゃないとわかっていても心が温かくなる。
「侵入者が分かるんだねぇ。それで退治しに来たの?」
「いやいや、退治じゃないぞ。穏便にお帰りいただくのだ。私は普段は山の上のほうにいるのだがな、久々に下まで降りてきたよ」
「勝手に浄化しちゃったけど、神様に怒られない?お仕事が長くなっちゃって辛くない?」
「なんの。神から与えられたお役目を全うすることこそ我が矜持。神が怒ることなどあるはずもない」
「そっかぁ。仕事に誇りを持っていて意欲もあるってすごい。自分のダメさが浮き彫りになってキツイけど、尊敬する」
「ふっふっふっ。与えられたお役目とはいえ、私にとっては何物にも代えがたき幸せよ」
フィルター掃除の話を神様に持っていくと言っていた神霊獣は、先ずは己の体で検証してみたいと言い出した。だから、私が魔脈のプラーク落としに使った方法を試してほしいと。
生き物の体内にある穢れに聖魔法をかけることに躊躇した私に、なに、これで私が倒れるならそれまでのことよとか簡単そうに言った神霊獣の頭に、自分の命を軽んじるなと思わずチョップしてしまったけど、された当人はなぜ怒られているのかわからずにきょとんとしていて、その顔がまた本物の亮君を思い出させる。
亮君とは仲良しだし大好きだけど喧嘩をしないわけでもない。
とはいっても深刻なものではなく、人が聞いたらあきれるような話。例えばどっちのほうが愛が大きいかとか、好きになったのはどっちが先かとか……友達にはよく「惚気は聞いてられん!」と言われたっけ。
「私のほうが好きだー!」と亮君の額にチョップしたことを思い出した。そのあと「えー、俺のほうが好きなのにー」とほっぺたをムニュムニュされたことも。 結局、同じくらい好きとか好きになったタイミングが一緒とか、そういう落としどころになるんだけども。
押し切られて神霊獣に重曹+ラップの魔法をかけた。
魔脈にたいして聖魔法を使った時よりも慎重に、そっとゆっくりと力を流す。うん、出来るとは思ったけど、出来た。生き物の浄化も問題ないとは、聖女の力おそるべし。
「おお、体が軽い!これほどに調子が良いのはいつ振りか分からぬほどだ」
神霊獣がぴょんぴょんと飛び跳ねて喜んでいるのは微笑ましい。25歳の亮君はさすがにこんなふうに飛び跳ねたりしないが、もっとずっと年上のはずの神霊獣の仕草が小さな子供のようで可愛い。
「あなたは聖魔法を使えるの?」
神聖獣に聞いてみると大威張りで「使えん!」と胸を張った。おい、使えなかったら結局フィルタ交換の宿命から逃れられないではないか。
「だが、私が使えなくても神の使徒の中には使えるものがいる。神の采配次第であろうが、おそらくその者たちがどうにかしてくれるであろう」
神の使徒とかわからないけど、何とかなるならそれでいい。
いっそのこと終身フィルタ生活じゃなくて任期制にしたらどうかとも思うけれど、神聖獣としての矜持とか神様の都合とかに関わる問題だろうし、傍からお節介することじゃないかと口をつぐむ。
そういう体制が必要なら自分たちで何とかするだろう。
「慈悲をもらうばかりで返さぬでは神霊獣としての自負が許さぬ。何か望みはないか?」
望み……そんなの一つだけ。




