天ノ川に橋をかけよ
「七夕フェアやってまーす」
買い物を終えショッピングモールの広場で休憩しようとしていた俺は、そんな声を聞いて顔を上げた。
「うお、すげーでかい笹だな⋯⋯」
広場の中央には吹き抜けを突き抜け三階まで届くほどの嫌に巨大な笹が鎮座しており、若い女性店員の呼び込みの声を聞くまで気付かなかったのが不思議なくらいに存在感を主張していた。
「そっか、もう夏かぁ」
生まれてこのかた彼女の一人もできたことのない俺は、学生の頃仲間達とともに毎年短冊に『彼女が欲しい』と書きなぐっていた黒歴史を思い出し、苦笑を漏らした。
確かに今でも彼女はおらず独り身だが、それなりに楽しく過ごしているためか、さすがにあの頃のような彼女欲しさに血涙を流す程の情熱はない。
「でもそっか、あれからもう随分と経つんだよな」
思い出すのは若かりし頃に友人達と男子トイレで交わした桃園の誓い。
『我ら生まれし場所は違えども、彼女を作る時は同じ日同じ時を願わん』
立ちションしながら誓い合った竹馬の友たちも今では大人になり、一人は結婚秒読みの彼女持ち、もう一人にいたっては美人な嫁さんと家庭まで持って二男三女に恵まれた大家族だ。
「⋯⋯あの裏切り者どもめ」
思わず手に持った紙コップを握り潰してしまい、溢れた水に慌てながらも、俺は何故か目の前の大きな笹から目を離せなかった。
「⋯⋯短冊、書くか」
俺は呼び込みを続けるお姉さんの下に歩みより、雑に画用紙を切ったような安っぽい短冊とサインペンを受け取って、昔を思い出しながら『彼女が欲しい』と書きなぐった。
☆
「な、なんじゃこりゃあっ!?」
その晩、家に帰ってだらだらした後に寝た筈の俺は、気が付けば星の瞬く壮大な夜空の中で、むさ苦しい男達に囲まれていた。
俺も男達も皆、褌一丁という見るに耐えない装いで、空気も地面もない宇宙空間に密集して佇んでいた。
「おう、どうした兄弟?」
いきなり叫んだ俺を心配したのか隣の筋肉ハゲが肩を組みながら尋ねてきた。
「あ、ああ、わるい。⋯⋯その、これは一体なんなんだ?」
「これはな、天ノ川に橋をかけてんだ」
「はぁ? どこに橋があるって言うんだよ。それになんで俺がそんなこと」
「おめぇ、短冊に『彼女欲しい』って書いたろ? それが理由だ。ここにいる奴らは皆あの短冊に『彼女が欲しい』って書いたんだよ」
筋肉男は親指を自らに向けて言った。
「それに橋は今まさに作ってるじゃねぇか。オレ達だ」
「は?」
「オレ達のこの身体が織姫と彦星を逢わせる橋になんだよ」
空いた口が塞がらなかった。
俺は彼女が欲しいと望んだせいで、他人の逢瀬を物理的に支えなきゃならないらしい。
俺が彼女を望むことはそんなに悪いのか?
ショックのあまりに目の前が真っ暗になって倒れそうになった俺を筋肉ヤロウは逞しい腕で支え、意識を飛ばすことすらも許してはくれなかった。
「おっと、大丈夫か? いくらオレ達が空中に立ってると言っても、それはオレ達の気力あってのもんだ。地べたに這いつくばるのは止めておいたほうがいいぜ。他の奴らに踏み潰されちまえば一巻の終わりだからな」
気をつけろよ、なんて笑うコイツに悪意なんてない。あるのはただ同じ仕事をする同僚に対する仲間意識からくる善意だけだ。
そんなことは分かっている。だが、初対面の俺にここまで優しくしてくれるような顔に似合わない善良な性格の持ち主が、彼女を望んでしまう程モテないという事実が、俺の中のチンケなプライドを挫いたのだ。
「ッ!?」
コイツに彼女が出来ないなら、俺に彼女が出来なくて当然だ。
そう思った瞬間、足元が沈み始めた。
「おい、心を強く持て! オレ達が浮いてられんのは『彼女が欲しい』ってゆう強い欲望があるからだ! 沈みきったら二度とお天道様は拝めねぇ! だから気ぃ緩めんなッ!」
落ちる、と思った瞬間、隣のマッチョマンが俺の腕を掴み、引き上げてくれた。
「お、おう。⋯⋯わるい、助かった」
「へっ、良いってことよ!」
俺が礼を言うと、男はニカッと気持ちの良い笑みを浮かべて応えた。
☆
動きがあったのは、俺が筋肉男と話をしてから暫く経った頃のことだった。
「みなさ~ん、第一陣が来ますよ~!」
どこからかそんな声が聞こえるとともに、遥か彼方から強烈な足音が響いてきた。
「な、なにが始まるんだ!?」
「顔を出すな! 捻切られるぞッ!」
頭を押さえられ周りの男達と密集した瞬間、背中に痛みとともにとてつもない負荷が連続してかかった。
「ぐあっ!?」
人だ。人の集団が俺達の上を走っている。
ヤツらは俺達のことをなんとも思っていないのか、無遠慮に容赦なく俺達を踏みつけて行く。
「気をつけろ! 重いヤツがいるぞ!」
「くそっ! なんであんな奴が彼女持ちなんだ!?」
「ぐあああああぁああッ!?」
「止めろ! 体重オーバーだ! もう止めてくれ!」
「嫌だ、死にたくないぃぃ!?」
阿鼻叫喚の渦に呑まれながら俺は気付く。
これが橋。
彼女持ちの彦星どもと彼氏持ちの織姫どもが、怨嗟の声を上げるモテない男達でできた橋を渡り、互いに片翼を求めて縦横無尽に駆け回る。
まさに恋愛社会の縮図。
モテない男は淘汰され、モテる男は彼女を作り、脚光を浴びたカップル達が人生という名のステージの中央で舞い踊る。
織姫と彦星は夫婦なんじゃないかと思うかもしれないが、安心してほしい。
今時の彼氏彼女は昔の夫婦がすることなんて大体してる。(偏見)
そもそも織姫と彦星は夫婦になったことで仕事をしなくなったバカップルだ。
つまり、バカップル=織姫と彦星だ。
だからこそ、コイツらは俺達を容赦なく踏みつけ、お互いを探して駆け回ることができる。なんてったってお互いのことしか見えていないバカップルなのだから。
「って現実逃避してる場合じゃねぇ!?」
あまりの痛みと苦しみに思考を飛ばして現実逃避していたが、目の前の男が着飾った横綱としか言えない大男に踏み潰されて暗闇の底へと沈んでいったのを見て正気に戻った。
「これはいつまで続くんだ!?」
俺の必死な問いかけに傷だらけで額から血を流してはいるが、まだ余力のある筋肉男が答えた。
「いつも通りならあともう少しだ! そうすれば休憩できる!」
「そうか! 後もう少しで休憩⋯⋯⋯⋯へ? 休憩? 終わりじゃなくて?」
「そうだが?」
何を当たり前のことを、と言わんばかりの男の表情に絶望が重くのしかかり、俺の心が悲鳴を上げた。
しかし気付けばあれだけ走り回っていた彦星達が立ち止まっていた。
「終わったのか?」
「⋯⋯⋯⋯いや、違う! 踏ん張れ兄弟! 本番はこれからだッ!」
そう、彦星達は遂に出逢ったのだ。愛しの織姫達に。
彦星は織姫と手を取り合うと抱き締め重なり、俺達の上で踊りだした。
「いや、舞い踊るとは思っていたけど! い、痛いっ!? 足踏みするな!」
俺達の声はヤツらには届かない。
愛してるだの離さないだのピーチクパーチク囀りながらも決して止むことない足踏みに、男達は次々に倒れ、闇の底へと沈んでいく。
ヤツらが立ち去った後、視界を埋め尽くしていた橋を構成する男達は、俺を含めて半数も残っていなかった。
「はあ、はあ、⋯⋯これで、やっと、休憩か?」
「⋯⋯いや、まだヤツらがいる」
いやに静かな返答に振り向いた俺は言葉を失った。
筋骨隆々でまるでボディービルダーのようだとさえ思った男の身体が、まるで絶食中の僧のように痩せ細り、自慢の筋肉は見る影もなかった。
「お、おい、その身体⋯⋯」
「話は終わりだ、兄弟。ヤツらが来るぞ⋯⋯彦星キングと織姫クイーンがッ!」
彦星キング。それは彦星の中の彦星。数多の織姫の心を射止め、彦星達の情景を一心に集めるその姿は正に王。モテ男の集大成。ハーレム王である。
織姫クイーン。それは織姫の中の織姫。数多の彦星を飼い慣らし、織姫達の憧れの体現者たるその姿は正に女王。モテ女の集大成。ハーレム女王である。
彼らは彦星と織姫の区別なく、あまねく星々を愛するのだ。そう、それはまるで太陽のように。
「⋯⋯⋯⋯ハッ! 意識が飛んでた! な、なんてヤツらだ⋯⋯!」
俺以外の男達の多くも性別問わず惹き付ける王達の魅力にヤられてしまったのだろう。
群がるように王と女王の足場となり、踏みつけられて沈んでいく。
取り巻きの織姫や彦星の数もこれまでの比ではなく、隣り合う男達と支え合わなければ到底耐えることの出来ない重量が俺の身体を襲う。
王達に感化されたのか、彦星同士で手を繋ぎ、織姫同士で踊り合う光景がそこかしこで繰り広げられている。
「⋯⋯ッ!」
これまでも頭を蹴られ、肩の関節に踵を入れられ、背骨を踏みつけられていたが、誰かの足がツボを踏み込んだ衝撃で一瞬意識が飛んだ。
歯を食いしばって耐えるも涙が止まらない。
何時終わるとも知れぬ激痛に、俺は死にたくない一心で踏ん張り耐え続けた。
何時までも続くと思われた地獄は、彦星キングと織姫クイーンの気まぐれであっさりと終わりを告げた。
急に背中を押し潰す重荷が消え、俺はふらつき倒れ込みそうになった。
「おっと、⋯⋯よく耐えたな、兄弟」
見上げると俺を常に支えてくれた筋肉男の痩せ細っても頼もしい姿があった。
高鳴る胸の動悸に戸惑いながらも、俺は兄貴に聞かねばならなかった。
「⋯⋯⋯⋯ちなみにこれっていつまで続くの?」
「そりゃ当然、七月七日が終わるまでさ」
⋯⋯⋯⋯俺が寝たのは深夜過ぎての七月八日。七夕はもう終わっている。
身体から力が抜け、暗闇の底へと沈んでいく光景を最後に、俺の意識は消えた。
☆
朝起きたら全身が筋肉痛だった。
まるで長時間組体操の土台になったかのような節々の痛みに呻きながら身体を起こした俺は、枕元に一枚の紙が落ちていることに気が付いた。
『彼女が欲しい』
そう書かれたちゃちな短冊は確かに昨日俺が書いたものだった。
「⋯⋯⋯⋯お見合い、試しに受けてみるか」
見ているだけでなんだか体調が悪化し、嫌な気持ちになる短冊を破り捨てて立ち上がった。