1 卵
卵を拾った。それもとっても大きな。
学校帰り、いじめっ子から逃れて寄り道した河川敷にその卵はあった。かぎっ子の僕はそれを抱えて家に帰った。今年の春、六年生進級のお祝いに貰った僕の部屋へと急ぐ。
卵をごんと学習机の真ん中に置き、温める準備をしていたら、「こりゃたまげた」と声がした。振り向くと卵は割れていた。
僕は両目をごしごし擦った。とうとういじめのストレスで幻覚が見えるようになったらしい。
「おう、小童」
そこには卵からかえった僕の妄想がいた。しかも生まれたてのすっぽんぽんのくせに二本足でしっかり立っている。ふわふわの髪につやつやのほっぺた。リコーダーの頭の部分を取った位の身長のミニ人間だ。股の間で小さく揺れるものからすると男の子らしい。
「わしに着るものを恵んでくれ」
僕は仕方なくランチョンマットに穴を開け、ポンチョを作ってミニ人間にかぶせた。苦しげな唸り声を無視して布地を力いっぱい引っ張ると、すぽんと頭が飛び出した。
「そんな乱暴にするやつがあるか。わしを誰だと思うとる」
ミニ人間は口を尖らせたが、妄想と会話したら正気に戻れないかもしれない。僕は怖くて口籠った。
「なんじゃ、知らんのか。わしは鳥人間じゃぞ」
「え? 鳥人間?」
思わず聞き返してしまった。
「そうじゃ、鳥人間じゃ」
「空を飛ぶの?」
「鳥と聞いて飛ぶと考えるのは早計じゃ。ダチョウもヒクイドリも飛ばんじゃろ」
ダチョウは知っているけれど、ヒクイドリは知らない。僕の妄想は僕の知らないことまで知っている。
「じゃあ、どこが鳥?」
「わしは鳥じゃあない。鳥人間じゃ」
「なら、鳥人間」
僕がそう呼びかけると、鳥人間は眉根を寄せた。
「全く小童、人を鳥人間と呼ぶな」
「君が言ったんだ」
「小童も『おい日本人』と呼ばれたら心外じゃろ」
なんだその例えはと思ったけれど、妄想と張り合っても仕方ない。
「なら名前で呼ぶから、僕のことも小童と呼ばないでよ」
「承知した。して名前は?」
「翔」
「カケル? わしはもっとかっこええ名前がええのう」
「君の名前じゃない、僕の名前だよ」
「お前さんがカケルというのか。そんじゃあわしの名前はなんじゃ? わしは生まれたばかりじゃから名前がないぞ」
達者な口ぶりだけれどこいつは生まれたてなんだった。僕は考え抜いた末、紙に大きく「翼」と書いた。
「翼? ずいぶん平凡な名前じゃのう」
「僕の『翔』はこういう字。羽の字がお揃いでしょ」
「ほう、そりゃあええ。わしは今から翼じゃ。よろしくな翔」
次の日の朝、僕はいつものように目を覚ました。
卵から生まれた鳥人間に名前を付けて夜通しおしゃべりする、なんてばかばかしくて少し切ない夢を見た。
「悪い夢でも見たのか、翔。なぜ泣いとる?」
「え」
夢には続きがあるらしい。翼はそっと僕の目尻を小さな指でぬぐってくれた。