チャンネルがあっていないので【過筆あり】
ある家に一人の娘が生まれた。美しい母の紫の髪を受け継ぎ、美しい父の夕焼け色の瞳を受け継いだそれはそれは美しい娘が生まれた。
周りはそれはたいそう可愛いがり、たくさんの愛をその娘…マルベルに与えた。柔らかく笑うとても良い子で気遣いのできる良い子で…──ただ、ひとつ。あげるならば。
彼女は会話が出来なかった。耳が聞こえないのか、話す行為ができないのか。彼女は言葉を口に出来なかった。出来たのは言葉と言えない雑音のみ。
美しい容姿とは反し、酷く耳の痛くなるような雑音。彼女は裕福な伯爵の娘で、そんな娘が十六の頃、一人の男が求婚してきた。
男は同じ様に伯爵家に産まれた赤銀の髪に、海を思わせる青い瞳を持った美しい男だった。言葉は交わせなくともマルベルを受けいれてくれるそれがマルベルの両親にとっては安心出来るものだった。
「話が出来ないとは楽なものだな」
『あら、またこの子来たのねぇ』
「ふん! 本当に耳障りな声をしている」
『暇なのかしら〜、にしても私の両親はこの人へ好意的よね…この人誰なのか知らないけれど』
「せいぜい私の役に立つんだな! 出来損ないめ」
『うーん、綺麗な顔しているから言葉が分からないのが勿体ないわ…文字だって私分からないから意思疎通難しいし…必死なようだけど何かあったのかしら』
結論を述べれば結婚を申し込んだこの男…アールドは伯爵家の三男坊だった。爵位を継ぐことはなく、何れどこかに婿入りしなければ兄達のスペアとしてしか生きられない。ならばと目をつけたのは伯爵家の中でも裕福なグレル家の一人娘マルベルだった。
美しい容姿に柔らかな性格。ただ欠点として耳が聞こえず言葉が話せないこと。それが理由で彼女への縁談はとても質の低いものしか存在しなかった。
だからこそアールドにとってマルベルは都合が良かった。言葉が通じないならと適当に罵り、見下して、それを理解もできないマルベルを嘲笑った。
…マルベル視点の話をするのなら、彼女が彼女としての自我を持ったのは四つの頃だった。机にぶつかり花瓶を床に落とし割れた音が遠く反響し、脳をゆさぶった。
そして前世の記憶が蘇った。
前世では大学生だった。卒業寸前で、事故にあい、帰らぬ人となった。そんな記憶が。
泣いて喚いて暴れるほど大きな情報が頭に入り、雑音のような音しか聞こえない世界に絶句した。
『…いっそ、聞こえなければいいのにねぇ』
世界が雑音に満ちていた。きっと心安らぐであろう歌も。心躍る様な音楽も。世界に広がる音全てが雑音としてしか耳に届かない。
今でこそマルベルは平然としていられるが初めはその音を受け入れる事が出来ず常に頭痛に苛まれ、酷い時は熱まで出ていた。
症状も教えられず、原因の分からないまま体調を崩すマルベルを両親はそれでも大切にした。
その愛は完全にはマルベルには届いていない。それでもマルベルは両親が大切にしてくれていると分かっていた。言葉は交わせなくても表情で、雰囲気で分かるのだ。
柔らかく優しい両親と反対に見下したような冷たい目を向けてくるアールドにマルベルは少し察していた。
前世では見た事もない美しいドレスに宝石、鏡で見た自分の現実離れした容姿。甲斐甲斐しく世話を焼くメイド達。
きっと、ここは自分の知らない土地で、自分の知らない地位に居るのだと。そして恋愛小説に準えて考えるなら目の前の美しい青年は政略結婚の相手なのではと。
『きっと何か考えがあるのでしょうね、余り良くない雰囲気を醸し出しているし…でも私の所に何度も来てくれるのは嬉しいわ』
「…何を言ってるのか本当に分からないな、私の話は本当に理解出来ていない様だし、なら何を話してるんだ?」
アールドからすれば酷く罵った相手から柔らかい笑みを向けられると流石に居心地が悪かった。ぐっと奥歯をかみ締めてから深く息を吐く。
その様をマルベルはただ見守り、ゆっくりと微笑む。
『きっと性根は良い方なんでしょうね』
「本当にお前は可哀想な女だな」
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それから二人は二年の時を過ごす。婚約したのがマルベルが十六、アールドが十五の時だった。二年も経てば二人の容姿はさらに磨きがかかりその美しさは際立っていた。
マルベルは段々とアールドの性格を理解し始めていた。突き放したような態度と両親の前の甘い態度。落差の激しいそれは最初こそ戸惑いはしたが。自分の前での態度が素であることと素の時でも稀にマルベルを、気遣う仕草から不器用な男なのだと察していた。
アールドにとってマルベルは話が出来ない美しいだけの別の生き物のような物だった。慣れてくると変な声もそんなに耳障りなことも無く何か話している様子をじっと見つめる癖があった。理解は出来ないが反射的に話を聞いているような仕草だった。
どれだけ罵ろうとマルベルには通じない。いつでも柔らかな笑みを浮かべ温かく迎えられれば流石のアールドも悪い気はしない。
だが、二年が経った今日。そんな不思議ながらも穏やかな関係も終わりを告げてしまうのだ。
「なんだ…? その女は」
マルベルは隣でエスコートしてくれていた青年の肩がビクリと震えるのを驚いたように見上げる。
自分よりも高い位置にある目は少し脅えたように泳いでいた。
「おい、アールドどういうことだ?」
「クロード兄上…なぜ、ここに」
「最愛の弟の婚約者とやらを見に来たに決まっているじゃないか」
アールドと同じような赤銀の髪に海のような瞳なのにどこか美しく感じられない。容姿もアールドより華やかなのだろうがとても好きになれないような下衆な表情を浮かべる男をみてマルベルはさてはと閃いた。
『さては、この子の兄弟ね? 歳はこの人の方が上みたいだからお兄さんかしら? でもなんだか兄弟の会話をしている様子では無いわね、この子怯えているし』
「バカ! 喋るな!」
いつも通り独り言を零すマルベルの手を慌てて引き、抱きしめるアールドにきょとんと戸惑いの視線を向けるマルベル。
───アールドには二人の兄がいる。どちらも優秀で、長男は当主に次男はその補佐にと決まっていた。そして実はもう一人兄がいた。アールドは本当は三男ではなく四男だった。本来は三男だったのが今目の前に立つクロードなのだ。
「本当に気持ち悪いな」
『…っ』
鞘に入ったままではあったが真剣が入っているだろうそれでクロードは容赦なくマルベルを庇うために背中を向け抱きしめたアールドの体を強く叩きつけた。鈍く嫌な音が響くが、マルベルはそれすら聞き取れずアールドから伝わる振動で彼が叩かれたのだと理解した。
「会わぬ間に兄に挨拶も出来ない愚図になったようだな、アールド」
「ぐっ」
三男だった彼がなぜその存在を消されたのか。それは長男を殺そうとした事により家名を取り上げられ遠くの地で暮らすことになったからだった。元々兄二人とは異なり沸点が低く、すぐ周りに当たり散らすクロードだったが、それでも我が子だからと見捨てなかった両親を裏切ったクロード。
遠い果ての地で平民として暮らせとそんな両親にさえ言わせた行動はなにも兄を殺そうとした事のみではなく、末の息子であるアールドに対する酷い暴力が発覚したからだった。
「っなぜ、ここに」
「酷いじゃないか、折角の再会だと言うのに」
アールドが別の家に婿に行くことに決めたのはこの兄クロードの件があったのもあるだろう。長男と次男からは大切にされていた自覚はある。共に家を領地を栄えさせようと追い出すことなく手を差し伸べてもくれた。
だがそれでは古い記憶の中のクロードに苛まれ生きていくこととなる。
『怪我しているでしょ!? 離して! 人を、人を呼んでくるから!』
「っだから黙っていろと!」
また剣が振り下ろされ、痛みと衝撃にアールドの体が震える。それともその震えは目の前の悪意に震えるマルベルのものだったのかもしれない。
右腕で抱きしめ、左手でマルベルの口を塞ぎアールドは祈る。なぜこの男が戻ってきているかは知らないが誰か早く来てくれと。
「俺はお前を愛してるからな、そんな出来損ないの女の元に婿に行くのを止めに来てやったんだ、感謝しろ」
「っ」
「あの兄達を殺せば俺が領主お前が補佐になってそんな女とも結婚せずに済んだと言うのに」
過去の痛みを思い出させるかのように剣を叩きつけるクロードにひたすら耐えるアールド。日本での記憶が色濃く残っているマルベルにとってそれは異常な光景で、言葉を話せなくても聞けなくても大切に守られてきた彼女にとって初めての殺意だった。
(なぜ耐えるの、耐えなくていいじゃない)
こんなにも言葉が通じぬことを悔しく思ったことは無い。
(こんな、こんなこと許されていいの?)
言葉は通じなくとも周りの人はマルベルに優しかった。それが哀れみから来るものだったとしても。
「大丈夫だ」
『…っ』
小さく言い聞かせるように零された言葉は理解できなくても自分を宥めているのだろうとマルベルに通じるほどに優しい笑みだった。痛みから顔色は悪く汗もかいているのに。
(…だめね、何を弱気になっているのかしら)
震える身体を止めるため歯を噛み締める。マルベルには前世の記憶がある。その記憶も年齢にたすなら目の前のアールドは彼女よりも一回りは歳下になる。
口を押さえるアールドの手にマリベルは手をやり引き剥がすと柔らかく微笑む。見慣れた温かな笑みを向けられ戸惑う彼の手からするりと抜け出て振り下ろされた剣の前に庇うように出た。
ガンっと激しい衝撃と共に脳が揺れる。揺れて、揺さぶられて、酷い吐き気とは逆に胃の方からすーっと何かが上がってくる。
その感覚は記憶を取り戻した時と似ていて。なら今は何を取り戻すものだったのか。
──────彼女に欠けたものそれは一つしかないだろう。
「うぇ、ぎもぢわるい」
「!?」
十八年合わなかったチャンネルがかちりと合うように意味のある言葉として吐き出される。唖然とみていたアールドは慌ててまたマルベルを腕の中に戻すと騒ぎを聞き付けたであろう衛兵がクロードを取り押さえにかかった。
「アールド! なぜ俺が捕まらなければならない! 俺はお前を助けに来ただけだというのに! なぜお前は俺を助けない!」
痛ましそうにマルベルを見つめていたアールドは視線をクロードに向けて低く言葉を吐きつけた。
「あんたが救いたかったのは自分だろう、理不尽だと反抗して下にいるものを虐げるあんたは充分犯罪者だっ! それに!」
痛みに耐えながらも心配げに見上げてくるマルベルをぎゅっと抱きしめて覚悟をしたようにアールドは叫んだ。
「私の兄はガロード兄上とシールド兄上だけだ! 私の兄を騙る狼藉者め!」
「っアールドぉぉぉぉぉ!!」
叫んだために息が上がるアールドに段々と言葉に慣れてきたマルベルが頭を撫で始めた。
「よしよし」
「…いやなぜ頭を撫でる」
「頑張ったわね、いいこ、いいこ」
「そうじゃない、そうじゃなくてだな」
まるで幼子に対する様に柔らかく笑みを浮かべあやす様に頭を撫でてくる目の前の婚約者にアールドは頭を抱えたくなる。
何がどうなったのか言葉が話せるようになった、聞けるようになったマルベル。
美しい容姿だけでなく、正常な彼女の声もまたとても美しく耳を癒すような音だった。
周りの男が惚けた様子で聞き入っていることに気付いたアールドは慌てて彼女を抱き上げると屋敷へ戻るための馬車に乗り込んだ。
彼女を溺愛する両親にこの吉報を伝える為に。そして、彼女自身を愛すためではなく地位ほしさに求婚したことを詫びる為に。
そして、今度こそ愛のある求婚をするために。
「マルベル、君は何故耳も聞こえず話も出来なかったんだ?」
「マルベル? もしかして私の名前かしら、そうねぇ…多分チャンネルがあっていなかったのだと思うわ、ラジオとかもそうでしょう?」
「らじお?」
「そういえば貴方の名前は? 歳は? とても綺麗な髪と瞳ね」
「…アールドだ」
「アールドね! アールド! よく頑張りました!」
サラリとアールドを褒め、幼子を褒めるように頭を撫でることを止めないマルベルにアールドは深く息をつく。
話が通じるようになったマルベルは今まで話せなかったことを楽しむかのように話し続けることをこの時のアールドはまだ知らず新鮮なこの状況を受け入れていた。
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マルベルの両親がいる伯爵の屋敷に戻る馬車の中、アールドはひたすら話を聞き続け少し疲れたように溜息を吐く。それを心配げにマルベルが見つめ閃いた様子でいたずらっ子の様に笑った。
「今度はなんだ…?」
「アールド! あのねお母さん達には私の事少し黙っててくれない?」
突然の発言に面食らうアールドを気にもとめずにもじもじと自分の指先を絡めるマルベル。
前世を思い出した頃。酷く痛む頭と耳。朦朧とした意識の中でも心配げに手を握ってくれる両親が今も思い出せる。
「いつか話せたらいいって思っていたわ」
「…」
「最初に言う言葉は決めているの、だから私が話すまで何も言わないでね、アールド」
絡めていた手をぎゅっと握り祈るように頼み込むマルベルに視線を向けて先程よりも深く息を吐く。
どうにも鈴を転がしたようなこの声に頼まれたら断れる気にはなれなかった。というより、言葉が通じないながらも今までもこうしてマルベルの我儘に付き合った事があるからか自然と叶えねばと思ってしまうのだ。
「好きにすればいいが、“お母さん”と呼ぶ事は貴族ではあまりないぞ、呼ぶとしたら“お母様”だ。言葉を今まで学ぶことがなかったのにこれだけ会話出来るのが不思議でしかないが、直せるなら直した方がいい」
「貴族…やっぱり貴族だったのね…」
「貴族の意味を理解している事がさらに不思議だな、それも“ちゃんねる”とやらが合ったからなのか?」
「多分、そうだと思う…わからないけど」
マルベルはふむふむと何度か考え込むように頷いて祈るように交わしていた指を解きスカートの上に力を抜いて乗せる。
「うん、アールドが教えてくれたのは嬉しいけどやっぱりお母さん、お父さんと呼びたい」
「…なんでだ?」
「私の中ではそうなの! お母様とかお父様ってなんだかむず痒いし、人前ではちゃんとすればいいと思うのよ! あ、でも二人に怒られたらさすがに呼び方変えるわよ?」
でもやっぱりできるだけ呼びたくないと笑うマルベルを眩しいものを見るようにアールドは眺めそっと口を開いた。
「…君は私に対してまだ笑うんだね」
「ん?」
「言葉はわからなくても目は見えているんだ、私が君を蔑んでいたのは分かっていただろう」
マルベルはそんな発言は聞こえないというように耳を自らの手で塞ぐ。
「…何をしてるんだ」
「…聞かないようにしようと思って」
「何を馬鹿なことを…」
「うん、でも聞きたくなかったのよ」
眉を垂らしてゆっくりと耳を塞いでいた手を下ろす。そして直ぐに居心地が悪そうに馬車の椅子を撫でる。
「確かに初めて会った時のアールドは良くない雰囲気があったわ、現にお母さん達の前と私の前だと仕草も違っていたし」
それでもと続けるマルベルを少し祈るような気持ちでアールドは見る。さっきとは逆の様子に思わずマルベルはまた笑ってしまった。
「でも貴方、何度も会いに来てくれたわ」
「…それは」
「私の声ってきっと酷い音だったのでしょう? 大抵の人は顔を顰めて来なくなるのよ? 来てくれるのはお母さん達とメイドさんたちだけ」
マルベルの世界は狭かった。言葉が交わせない分。音が聞こえない分。それでも守ってくれる両親と気遣ってくれるメイド達が好きだったし、それで充分だと思っていた。
そんな世界に現れたアールド。直ぐにアールドも来なくなるとマルベルは思っていた。だけど、何度も通い、時には気遣ってくれたのだ。
「接していけばあなたが優しいことくらいわかるわよ、言葉が、音が無くったって」
「馬鹿な人だな…あなたは本当に」
苦笑いを浮かべるアールドの頭に自然に手を伸ばしマルベルは優しく撫でつけた。よく馴染む感触を楽しむ様にゆっくりと。
「それに、私の方がお姉ちゃんだしね」
「…は? 自分の年齢わかってる訳?」
「分からないわ! 分からないけどお姉ちゃんなの!」
えへんと胸を張るマルベルになんとも言えない表情を返したところで、馬車が静かに止まった。
─────屋敷に着いたのだ。
「黙っててね?」
「私に黙れという前に自分で本当に黙ってられるのか…?」
長い間話という物が出来なかった反動なのかノンストップで話し続けていた先程を思い返せば確かに黙るのが難しいのはアールドよりもマルベルかもしれない。
「おかえりなさい! マルベルにアールド君!」
両手を広げ楽しそうに迎えるマルベルの父、ベルナルド。夕焼けの優しい瞳にオレンジの濃い茶髪整った顔立ちをした少しシワの出てきた美丈夫で、人好きのするその笑顔と大袈裟とも言える態度は言葉の通じぬ娘への愛情表現だった。
「随分早かったようだけれど楽しめたの? 」
嬉しげに、けれども心配そうに二人を出迎えたのは、マルベルの母、マリア。アメジストのように透明感がある紫の髪に、琥珀のような瞳を持ち柔らかく微笑む緩やかな雰囲気を持つこちらもまた美しい女性。
二人はたったひとりの娘を。言葉も話せぬ、聞こえもせぬ娘を大切に守るように育て愛した。
(私なら無理よきっと)
マルベルは込み上げてくる涙を目に力を入れて堪える。マルベルだってこの優しく温かな両親がいなければ狂ってしまっていたかもしれないのだ。それ程までに耳を劈く音は不快感を煽る。
「…どうしたの? アールド君、いつもなら何があったか教えてくれるのに」
きょとんと頬に手を当てて少し首を傾げるいずれ義理の母となるだろう彼女にアールドは口を閉じるしか無かった。まさか素直に言える訳がない。
対してマルベルは感心していた。幾度とアールドに連れられ出かけたことはあるが確かに帰る度自分の両親とアールドが話し込んでいるのは見ていた。理解はできなかったが。
(…そうなのね、私の代わりに、私が楽しめたことを話してくれていたの)
両親がアールドを気に入っているのはそこだったのかもしれない。こんなにも悪目立ちする娘を遊びに誘いエスコートして無事に送り届ける。そのあとも何があったのか親切丁寧に語るならマルベルをとても大事にしている二人からの好感度はうなぎ登りだろう。
くい、と耐えかねたアールドに羽織っていたショールを引かれる。
そろそろボロが出てきそうだし、何よりも、マルベルだって楽しみだったのだ。
ずっと、マルベルとして生を受けて。大切に愛しげに守り育ててくれた両親を嫌いになるわけもない。言葉が通じない分、どうしても壁があったが。それももう今は無いのだ。
アールドが気を引いて世間話をしてくれる間にゆっくりと深呼吸をして口を開く。
「お母さん、お父さん」
沈黙が広がった。音が消えた。いや、外からは風にざわめく木々の音は聞こえてくる。だが、近くにいた全ての人が動きをとめた。止めて、信じられないような表情を浮かべている。
それが嬉しくて、申し訳なくて、マルベルは笑う。
「お母さん、お父さん…ただいま」
耐えかねたのはマルベルだった。駆け出して二人を一気に抱きしめた。ぎゅうぎゅうと力を入れて少しの隙間もないほどにくっつけば…。
ボタボタと大きな雫が目の前に落ちてくる。
「まる、べるなのね?」
「マルベルなのか…本当に? ああ、ああなんてことだ」
二人揃って泣きながら抱き締め返し、それに堪えていたマルベルの涙もとうとう零れた。
「大好き、大好きよっ…ずっと、ずっと伝えたかったの…二人の娘に生まれたこと以上の幸せをマルベルは知らないわ」
押し付けていた頭を上げて笑えば、近くにいたメイドや執事たちも泣き出してしまった。
「私だけのけものか…」
ひとり寂しそうに立つアールドの声を聞き取ったマルベルはアールドの腕を引いてぎゅっと抱きしめた。
もはや嬉しさに羞恥心すら浮かばなくなったらしいマルベルに対してアールドは顔を真っ赤に染めてはくはくと言葉にならない声をこぼす。
「アールド、あなたのおかげよ!」
「いや、流石に私に感謝するのはおかしいだろう!?」
取り戻すなどという発想はなかったアールド。クロードが襲ってきたことは寧ろ謝らなければならなかった。アールドは幼い頃からクロードから辛く当られていたからある意味慣れていたがあんな光景女性に見せるものでもないだろう。
なによりマルベルが声を音を取り戻せたのはアールドを守るために前に出て叩かれたからだ。
お礼など言う必要などどこにもない。どこを探したってアールドは自分が悪いのだとしか思えなかった。
「ありがとう…アールド君あなたのおかげだわ」
「アールド君、本当に本当に君がいてくれてよかった!」
アールドは本当は正直に話すつもりだったのだ。言葉の通じぬあなた方の大切なマルベルにこれ幸いと侮辱的な言葉を自分も浴びせたことがあるのだと。確かに自分より不幸な人を見て安堵していたのだと。
それでもそんな言葉は口からは出ることはなく、ただ自然と浮かんだのは…。
この屋敷に通ったのはきっとマルベルの為だけではなく、自分も救われていたからなんだろう。
すんなりと、そんな考えが腑に落ちたのだ。
ラジオって特定のチャンネルにちゃんとあわないとザーザー音がなりますよね、それを聞いてこの話が浮かびました。