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漆黒の上に咲く華  作者: 中馬博文
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一平


元々眠りが深いせいもあるのか、ここしばらくは夢というものを見た覚えがない


いつも見るのは真っ暗な闇が永遠と続くようなどんよりとしたものばかりで、それがはたして夢とはいえるものかは定かではない。

起きた時のなんとも言えない虚無感に苛まれながも目が覚める毎日の生活に、少々嫌気がさしていた。


勤め先のバーで寝泊まりしている山中一平は朝方まで客の相手をして、酔ったまま店のソファーで睡眠をとるのが日常になっている。

二人がけの革のソファーは、170センチあるかないかの一平にピッタリ収まるサイズの代物で、捨てるのが面倒なので居抜きで入る前のスナックの時から置いてある年代物だ。

経年劣化なのかカビか分からない変色で黒の革張りがカーキの様な色にグラデーションされている。


馴染みの客の中には是非譲って欲しいという大層な変わり者もいたが、これがなくなってしまうと一平の寝床がなくなってしまうという事もあり、やんわりと断った。


その愛用しているビンテージのベッドから起きると、カウンターの洗い場で顔を洗う。

蛇口をひねり水を流すと、排水口から様々なリキュールと下水の混ざった匂いがこみ上げて嗚咽を覚える。

すぐにでもシャワーを浴びたい気分だが近くの銭湯が開くのは十五時からで、それまでにまだ一時間半はある。


二階の住居スペースには風呂場もあるが、この店の店主である前島大輔とその妻の昌美と三歳になる娘の友海が住んでおり、なかなか踏み込み辛い部分であった。

いつでも使って下さいとは言われるものの、昌美が一平の事を苦手と思っている事は周知の事実で、アルコールが入らないとコミュニケーション能力が皆無の一平にとってはそういった相手と顔を合わせるだけでも苦痛でしかなかった。


店の掃除と残った洗い物をすませ、遅めの朝食を取りに店を出る。

年季が入った階段を軋ませながら外へ降りると、目が慣れるまで少し時間が経つほどの強い日差しが差している。

冷たい素麺や蕎麦が適している陽気だが、何かしっかりとした物が食べたいと思い、商店街のアーケードまで足を運んだ。


広島風お好み焼き屋や、ランチ営業をしているホルモン焼き肉屋の排気口から出る匂いに唆られて一瞬だけ足を止めてみたが、どの店もバーの常連客が商いをしている店で、昼間からそのような連中と挨拶を交わしたり、愛想よく話したりするのができるわけもなく、結局いつものお決まりのチェーンの牛丼屋に入った。


たまにはもっと豪勢な食事に有り付きたいと思う時もあるが毎回来る度に、食事が出てくる速さといつ来ても変わらない味のクオリティに、来て後悔をした事は一度もなかった。

店に入って十分もしないうちに食事を済ませ、商店街を過ぎた緑道沿いに向かう。


食後は決まって煙草に火を付け、緑道沿いを散歩するのが日課となっている。

なぜこの様な年寄りじみたことを続けてるのかというと、以前に駅前の中華屋でラーメンチャーハンセットを平らげた後に銭湯のサウナに入ると、急な吐き気に襲われて見事に半チャーハセットをトイレに出前した嫌な思い出があるからだ。

それがあってからは、食後小一時間ほどおいてから銭湯に行く様に心がけてた。


煙草を吸いながら緑道沿いを何往復かした後、携帯の時間に目を配ると時間は十五時に近づいていた。

喉を鳴らしたんを切りながら銭湯へ向かう。


銭湯に着くと番頭の老婆に入浴料を払い脱衣所へ入る。

この時間の銭湯が好きな理由は、ただ単純に混んでいない時間帯だからであって、人嫌いな一平にとってはひと時の癒しの時間であった。

騒いで走り回る子供連れや、芸術的な柄を羽織った輩もいない。

たまに見るのは近所の隠居した人生の大先輩方だけである。


浴場に入るといつものように人は少なく、先客が二人ほどいるぐらいであった。

湯に浸かる前に身体を流すというルールはしっかり守り、ほぼ一番風呂に近い湯船に入る。


湯に浸かり少し身体を温めた後は、サウナ、水風呂を三回繰り返すというルーティーンが定着していた。

サウナ室は人が六人ほど入っていっぱいになるぐらいの小さなサウナであったが、少し前にリフォームした様子で中は綺麗で湯気と檜の香りが混ざった様な、

心地よい香りがする。


サウナと水風呂のルーティンを終え、最後の湯船に入る。

ふと浴場を見渡してみると少しばかりの人が増えてはいるが、皆歳をとった年配方ばかりだ。


一平の銭湯好きは少なからず、亡くなった父の影響があった。

決して感傷に浸る様なタイプでなく、正直言って父との思い出などあまり記憶にはなかったのだが、父は銭湯と酒が大好きという記憶だけははっきりと残っている。

大酒飲みの父は、サウナで二日酔いが治るという医学的に正しいかは分からないそれを信じいていて、毎日の様に通っていた。


幼い時分は今とは違って銭湯が苦手であった。

じっとしていられない性分であった為、父親に連れていかれてもすぐに上がり、体重計やまだ痛みが分からない足つぼの器具に乗ったりなど、父が上がるのを待ちぼうけていた記憶をうっすらと覚えている。



一平の父は六歳の頃に妻と離婚れ、男手一つで一平と姉の純礼を育ててきた。

医療機器の営業マンであり、仕事熱心で営業成績は全社トップ3には必ず入るような優秀な人であった。

だがそれに比例して接待や付き合いも多く、ストレスからか休みの日も一日中酒を飲み続けるという生活が続き、一平が中学に上がる頃にはすっかり肝臓を悪くし入退院を繰り返す様になる。


その後は入院が続き会社も辞める事になり、一平が十六になる夏にこの世を去った。


亡くなった父のある程度の蓄えもあり、父方の祖母が食事など身の回りの面倒をみてくれたおかげで、生活には不自由はしなかった。

しかし、放任主義で育ち、幼い頃から親が家にいない環境が慣れているせいもあり、父が亡くなったからといって特別心境が変わることもなく、この頃から一平はどこか人に興味がない、ドライで淡々とした人間に形成されていた。


その後一平が高校を卒業する年に、姉が結婚をしてその家に夫婦で住まう事になる。

一平が生まれ育った地元は品川区のなかでも世間がイメージする「品川」とはかけ離れている、どこか昭和の名残りがあるローカル下町だ。

商店街はある程度の活気があり、何よりも都内であればどこでもアクセスしやすい立地にある為、何年か前からマンションの建設が急激に増え、ひそかに住みやすい街として注目されてきていた。


姉夫婦はそんな場所に一軒家があるのに、新たにマンションを買うなど勿体ないという話で決着がついた。

姉の旦那は大学時代からの同級生で、叩いてもホコリが出ない様な生真面目なサラリーマンで人柄も良かった。

それでも元々姉とはあまり折り合いが良くなかった一平は、そこにさらに見知らぬ男と暮らすのは耐えられぬものだと思い、高校卒業後に家を出る事に決めた。


その後は土方や警備員のアルバイトを掛け持ちして、

蒲田、川崎など住んでいた事があったが、どこか馴染めずにいくつか転々とした後に結局、この品川区の下町に戻ってきた。



湯船から上がり、持ち込んだハンドタオルをよく絞った後に脱衣所へ向かう。

薄い曇りガラスが貼られた立て付けの悪い扉を開けると、またちらほらと服を脱いでいる客の数が増えているのが見受けられた。


着替えを早々に済ませ、休憩所では牛乳も飲まず扇風機にも当たらずに、スポーツドリンクを買ってすぐに銭湯を後にする。

冷房の効いた室内で涼まずに、外の風に当たるの方が好きだ。

だが、外に出ると九月も終わるというのに三十度近くある外気に、火照りが冷めるまで涼んで来れば良かったと少し後悔した。


緑道を歩きながら駅前に差し掛かる場所にあるスーパーに寄り、炭酸水とミネラルウォーターを買って店に戻る。


店の明かりがついていて、中に入ると店主の大輔がカウンターに立っていた。


「おはよう。洗い物悪いな。」


寝起きが悪い大輔は、朝方まで営業した日は夕方近くまで寝ている事が多い。

昨日も馴染みの客が婚約したという報告を惚気混じりに語り出し、朝方まで話に付き合っていた。


昔から一平とは真逆で明るく社交的な大輔は、老若男女とわず愛されるキャラクターだ。

こじんまりと営業しているバーも、地元の馴染みの客でカウンターの席はいつも埋まって繁盛している。


小学校から高校まで同級生の二人だが、友人とまで言える関係になったのは高校からだった。

中学時代の一平は補導された回数は数知れず、時にはパトカーが中学校に迎えに来るような超が付く問題児であった。


大輔からすると関わりたくないような輩だが、同じ都立高校に入学すると、同じクラスの隣の席というまさかの大当たりを引いてしまうのであった。

昔からの定番の「あいうえを順」という席決めを

大輔はその時ばかりは心底恨んだ。

しかし大輔の不安とは裏腹に、一平は「売られた喧嘩は買う」といったクラシックなタイプの不良少年であった為、向こうから危害を加えられるといったことが一切なかった。

大輔はむしろそれが男としてカッコいいという錯覚に陥り、いつしか不器用で今時の十代にはいない人間臭さを持つ一平に、不思議と憧れに近いような感情を抱いていた。


最初は大輔の事を軽薄そうな奴だと思っていた一平も、裏表がない明るい性格と、誰とでも分け隔てなく話が出来る社交性を認めるようになり、いつしか気を許すようになっていた。

普段行動するグループは違う二人であったが個人的に遊ぶ事が増え、いつしか二人で行動する方が多くなっていく。

高校を卒業してからも関係は続き、ある事がきっかけで路頭に迷っていた一平を、自分の店で働かないかと真っ先に救いの手を差し伸べたのも大輔であった。


六時の開店時間までの準備が終わり、ぼーっとテレビを観ていた。


「なー、今日どっか遊びに行こうぜ」


二人しかいない店内で大輔が小声で話しかけてきた。


大輔が既婚者ということもあり、いつもこういったやりとりは無視するのだが、今日に限ってはしつこく食い下がってきた。


「なー、頼むよ。たまにはいいじゃんか。飲み代は俺が出すからさ。頼む!」


正直言って断りたい所であったが、娘の面倒をみながらも、妻の昌美には収入の事や過去の夜遊びを蒸し返し、毎日のように罵られている大輔が最近は少し不憫に感じていた。


昔から女遊びが大好きな性分であった大輔は、

妻の昌美と西麻布のラウンジで知り合い、

わずか三ヶ月ほどで妊娠が発覚して籍を入れた。

家庭が出来てからはバーの仕事を始め真面目に働いてはいるが、もともと相手に対しての理想が高い昌美から求められる要求が多く、大輔は決して口には出さないが、日に日にストレスは増えているはずだ。


それに本音を言うと、一平自身もたまには外に飲みに行きたいという気持ちは少なからずあった。


「行ってもいいけど、キャバクラは絶対に行かないからな。」


それだけ言った後に、扉の外に掛けている看板をOpenにひっくり返した。  

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