『創聖記』授業 -初代教皇ステファン猊下-
初投稿。
母星の神話が伝わった経緯。
皆さん、入学おめでとうございます。
私は『創聖記』の授業を担当するカモミール・イズノです。
では『創聖記』についての勉強を始める前に、
どの様な経緯で我々の聖典になったかをおさらいしましょう。
これは、初代教皇ステファン猊下によって書かれた聖典である事は御存じですね。
猊下は、6大精霊の加護を受けない人々の子孫でしたが、
精霊の気配を感じとれ、毎週、それぞれの曜日の精霊の教会に祈りを捧げておられました。
そして、100才の誕生日を迎えてから後、毎夜、この星の歴史をご覧になり、その夢を記し続けました。
そして、1年間書き留めた日記を、教会に奉納されました。
さて、皆さん。無加護の者の書いた夢日記を、皆さんならどうしますか?
興味がない。というのが大半ではないでしょうか?
仮に読んだとしても、それは暇つぶしであるとか、嘲笑の対象としてだと思います。
実際、教会は、猊下の日記を黙殺しました。
しかし猊下は、毎年、夢日記を奉納され続けました。
そして、いつ頃かは定かではありませんが、教会の片付けをしていた下働きの忌子が
猊下の夢日記を見つけ、自分たちの部屋へ持ち帰り、皆で回し読みをしたそうです。
これは、私の憶測ですが、忌子は、何かに魅かれて手に取ったというのではなく、
「何だこれ」という感じで、ノートをパラパラとめくったのではないかと思います。
そして「素晴らしい物を見つけた」という事でなく
「変な物を見つけた」という感じだったのではないかと…
脱線してしまいましたね。話を元に戻しましょう。
日記ですから日付が入ってますが、夢の出来事を書いているそれは、
翌日に続きが書いてるわけではありません。
しかし、皆で読むうちに、同じ人物が出てくる事があったそうです。
忌子達は、それを登場する人物で分類し、どの順番で読むべきかもまとめていったそうです。
パズルゲームをする様な感じだったのでしょうかねぇ。
発見した忌子は、枢機卿の世話係に出世し、信頼も得ていた様で、雑談などをする機会があったそうです。
その時に、夢日記の事や、分類したこと。そして、その内容の事などをお話ししたそうです。
枢機卿は、夢日記を持ってこさせ、彼らがまとめた順番通りに読みすすめました。
内容が内容ですので、6人の法王に奏上し、自分が思った事も添えて日記を献納しました。
猊下が日記を奉納し始めて260年後、ついに、6人の法王は教会内部に呼び寄せました。
そして、何度も会合がもたれ、6人の法王は猊下の夢がこの星の精霊の歴史であると認め、
教えを請い、初代教皇となられたのです。
猊下の信仰心の深さと、加護を受けていないが故に、
加護を授ける精霊を客観視される平等さに、精霊に選ばれたのだと言われています。
夢は500年間続いたそうです。
600歳といえば、まだ働き盛りでしょうに、見た目は900歳以上に見えたそうですよ。
『創聖記』は、猊下の日記を元に編纂されてますが、
残念ながら、未だに『どの時代』の『どの出来事』なのかが解らない日が半分以上残っています。
図書館では、全ての日記の複製が閲覧可能となってますので、
皆さんも、聖なる忌子達の様に挑戦してみてはいかがでしょうか。
さて初代教皇より19000年が経ちますが、教皇位に就任されたのは僅か16人です。
16代教皇パスカル猊下が崩御されてから、412年が経ちます。
次代教皇の資格を持ったお方は、未だ見つかっておりません。
皆さんの中におられるかもしれませんね。
では、今日の授業はここまでです。
来週から『創聖記』の講義になります。
頑張って馴れていこうと思います。