第四話
「え、えーと、ここで間違いないんだよね」
チケットの席番号を二度確認した新田が、恐る恐る俺に尋ねてきた。
劇場内は既に照明が落とされ薄暗く大きなスクリーンに映し出されるCMや予告編の画面が切り替わるごとに、小刻みな明転と暗転を繰り返している。
と言っても、チケットの席番号が見えなくなるほどの暗さではない。
それでも新田が俺に尋ねてきたのは、そこが想定していた席ではなかったからだろう。
「あってるはずだけど」
「でもここって、普通の席じゃないよね」
そう言って、新田が目で示した先(両手はポップコーンとドリンクでふさがっている)には、映画館でよく見かける座る部分が背もたれに折りたたまれるタイプの椅子が無かった。
劇場のほとんどは、よく見るタイプの椅子が設置されているのだが、真ん中後寄りにほかの通路の二倍ほどの広さのスペースがあり、そこにだけ違ったタイプの椅子が設置されている。
そこにあったのは、二人掛けの小さなソファだった。
「そりゃそうでしょ、ここカップルシートなんだから」
「知ってたなら教えてよ!」
「俺が何か言う前にどんどん話を進めてたのは、そこの誰ですか?」
新田が不満げな顔で抗議の声を上げたが、俺にそれを聞き入れる義理はない。
「やっぱり、俺なんかとカプルシートに座るの嫌でしょ?
勿体ないけど、帰ろうか?」
「ううん、藤原君がいいならいいよ」
新田の返答は、俺にとっては意外なものだった。
やっぱり今日の新田は何かがおかしいと思ったが、既に映画開始直前になっていたので、俺たちは少し小さめのソファに座った。
カップルシートは少し動けば手が触れ合うくらいの大きさなので、序盤は姿勢を変える度に体が触れ合い、その都度お互いにびっくりしたように体を話していたのだが、中盤を過ぎたあたりになると映画に集中し始めて次第にお互いのことがあまり気にならなくなっていった。
映画はいきなりサッカーの試合から始まった。
***
主人公の選手が懸命にドリブルで敵を交わして進む。
両サイドでは味方がパスの要求をしているが、主人公は目もくれない。
主人公は、幼少期から将来を期待された選手だった。しかし、高校進学後怪我に悩まされそれまで格下だと思っていたどんどんと追い抜かれていた。
なんとかプロにはなったが、控えとしてベンチを温める時期が続く。
そんな中、同じポジションのレギュラーが病気で欠場し、初めてスターティングメンバーに名前を連ねる機会が巡ってきた。
これまでの遅れを巻き返すまたとないチャンスに主人公は燃えていた。
しかし、長く実戦から遠ざかっていたことでなかなか思い描いたプレーができない。そんな焦りの中、試合は進む。
そんな試合の終盤、主人公がゴール前でパスを受け取った。主人公はマークされているが、再度にはフリーの味方。パスを回せば、アシストになる場面。
しかし、焦っていた主人公は強引に敵の間を抜けようと試みた。主人公の予想外の動きに慌てた敵ディフェンダーと交錯したのはその直後のことだった。
折角のデビュー戦で選手生命にかかわる怪我をした主人公は生きる気力を失い、病院の屋上にいた。
死ぬつもりだった。
「ねぇ、そこで何しているんですか?そこは私の特等席なんですけど」
声がした方を振り返ると、そこには車いすに座った若い女性がいた。
***
この映画の原作になった作品は、すでに何度も読み返したお気に入りだったのでストーリーは頭の中に入っている。
このあと二人は毎日屋上で話をするようになり、仲を深めていくのだ。
思い入れがある話だから実写化されると聞いた時は、喜びよりも不安の方が大きかった。
この国では、最善なキャスティングではなく大手事務所が笑顔になるキャスティングがしばしば行われるからだ。
だが、映画が始まってすぐにその不安は消えた。
メインの役者は、みんなキャラクターへの理解が深く、ここまで違和感を覚えるような芝居はない。
むしろ、大好きだったキャラたちの人物像がより深くなっている。
もし今日、新田が俺を誘わなかったなら、きっと俺はこの映画を見に来ることはなかっただろう。だから、新田に感謝しなければならないのだろうな。
そんなことを考えているうちにも、映画は中盤へと差し掛かる。
俺はもう一度意識を映画だけに集中させた。
屋上で会うようになった二人は仲を深め、お互いの過去を打ち明け合う。
主人公は、自らの挫折を、ヒロインは幼少期から病気がちでほとんど外で遊べなかったことを。そして近々、その病気を治すための大きな手術をすることを告白する。