第三話
映画館に付いたのは11時を少し過ぎた頃だった。
控えめな冷房が茹で上がった体を優しく冷ましてくれる。
これからの上映は昼食時に被る為、自動券売機の周りに客の姿はまばらだった。
新田が映画のチケットを買ったことがないというので俺がタッチパネルを操作する。
「あ、11時30分からのまだ席開いてるよ」
後ろからのぞき込んでいた新田が画面を指さして言う。
券売機はそれほど大きくないので、後ろからのぞき込む新田の体が背中に密着する。
薄着のせいか、新田の火照った体温が背中に伝わる。
新田はそれを気にしている様子はなかったが、俺はようやく乾きかけた汗がまた噴き出すような気分になった。
「ねぇ聞いてる?」
「聞いてるよ。
けどこの席って……」
新田が指さした席は確かに二席並んで開いていた。
他にもまばらに開いている席はあったが、ほとんどが一つだけで、並んで開いているのは隅の方だけだった。
スクリーン正面で二席開いているのはここだけなのだが。
「別にこの席じゃなくても……」
「この席にけって―い
すごくラッキーだねこの時間にこんなにいい席が残っているなんて」
俺が何か言う前に、新田が確定ボタンを押していた。
お札を入れると二枚のチケットが吐き出される。
「へぇ、ピンクのチケットなんて初めて見た」
「いやだからこの席は……」
「ね、ポップコーン買うでしょ?」
俺が何か言おうとしても、それに覆いかぶさるように新田が話し始める。
売店の列に並ぶために歩き始めた新田は、既にポップコーンの味を塩にするかキャラメルにするかに興味を移していた。
売店には腕を組んだ大学生らしきカップルが一組メニューを見て悩んでいた。俺たちはその後ろに並ぶ。
前の大学生カップルも彼女の方がポップコーンの味で悩んでいるらしく、彼氏が「両方買えばいいだろ」と言っていたが「それじゃ太っちゃうでしょ」と彼女側は譲らない。
後ろ姿を見る限り十分に痩せているのでそんなに気にしなくてもいいのにと思う。
世の女性たちの家にある鏡は、すべて凸面鏡なのではないかと思うときがたまにある。
それならば、自分の姿を過剰に太っていると言うのにも納得がいく。
けれど、そんなことはあり得ないことぐらい中三の俺は知っている。
前のカップルは結局Mサイズの塩味とSサイズのキャラメル味に決めたようだった。(ちなみに、この店にはハーフ&ハーフはLサイズしかない。)
彼女は塩味だけのつもりだったようだが、彼氏がキャラメルを追加した。
「どうせ後でキャラメルも食べたかったっていうだろ?」何か言いたげな目をした彼女に、彼氏はそう言って笑った。
彼氏が代金を支払い、彼女が出てきた商品を受け取って歩き始める。
それだけの動作の中にも、恋人特有の空気感があった気がした。
「ご注文はお決まりですか?」
「塩味のMで、あとメロンソーダ」
新田は、前のカップルが悩んでいた間に注文を決めていたようだった。
店員がこちらに視線を動かしたので慌ててメニュー表に目を走らせる。
「じゃあ、俺はコーラとキャラメルのS」
本当はポップコーンを買うつもりはなかっただが、前に並んでいたカップルの彼氏の真似をしたくなってしまった。
周囲から見れば、俺たちはカップルに見えるだろう。
だから、ここでポップコーンを買ったのは、俺の小さな意地。
「藤原君キャラメルにするんだ!少し分けてね」
隣で新田が無邪気に笑いながら財布を開く。
流石におごるところまでは再現できないか、と内心で苦笑う。
しかし、さっきのマックと言い映画のチケットやポップコーンなど、新田にはお金を使うことへのためらいがほとんど見られないのが気になる。
新田の明るさに紛れて忘れそうになるが、新田は今朝本屋で万引きをしている。
しかし、その後の新田の様子からは、お金に困っているような仕草が全く見られない。
始めにマックに行こうと言い出したのは新田だし、映画もポップコーンを買うのを言い出したのも新田からだ。
中学生の俺たちは1100円で映画を見れるけれど、それだって月々のお小遣いを考えれば決して安い金額ではない。
それらに余裕でお金を出せるというのは、むしろ所持金には余裕があるようにすら見える。
つまり新田は、『読みたい本があるが、持ち金がなく出来心で万引きをした』のではないのだ。
万引きがお金の為ではないのだとすると、求めるものは『スリル』か。
「なにぼーっとしてるの?映画始まっちゃうよ」
商品を受け取った新田が振り返って呼ぶ。
映画の上映開始まであと五分に迫っている。
新田はこれから始まる映画への期待でわくわくが抑えられないといった顔をしている。
二年も同じクラスで生活していたというのに、俺は新田がこんなに表情豊かな女の子だということを知らなかった。
俺はクラスメイトと積極的に関わるタイプではないが、それでも大体の性格やタイプは把握していた。少なくとも、俺の知る限りでは、新田はクラスではこんなに感情を表にさすタイプではなかったし、明るくもなかった。
この事実に気が付いたのが今日以外だったなら、俺たちはいい友達になれただろうな。
そんな考えが頭をよぎったことがおかしくて少し笑った。
「どうしたの?何か面白いことでもあった?」
「いや、何でもない」
不思議がる新田を追い越して劇場の中へと進む。
「変なの」
そう呟いて後ろをついてくる新田の気配を感じながら、俺は映画が終わればすべてを話そうと決意した。