第二話
「わー楽しみ。私、休みの日にちゃんと遊ぶのすごく久しぶりだよ」
はしゃいで笑う新田が、期間限定のマックシェイクを吸う。
あの後、新田に流されて今日一日遊ぶことになった俺は、二人で近くのマックまで来ていた。
夏休みのお昼前ということで、客のほとんどが子供か家族連れのにぎやかな店内には、この夏はやりのJポップが流れている。
テレビやスーパー、コンビニいろんなところで流れているのでいつの間にかサビを口ずさめるようになっていたが、そういえばだれが歌っているか知らないな、とそんなことを考えていると、ストローから唇を離した新田が小さくつぶやいた。
「藤原君、ありがとね」
一瞬、唇とストローの間を細い線が結んだ。それを目で追いそうになり、慌てて顔を上げる。
顔を上げた先で笑顔の新田とぶつかり少したじろぐ。
笑顔の新田の横の席には、さっきまで抱えていたカバンが置かれている。その中には、新田が万引きした本が今も入っている。
本屋を出るときも、新田の様子には変なところはなく、俺は結局そのことを指摘できないでいた。
そうでなくても、妙にテンションが高い新田に押され気味だというのに。
「遊ぶのはいいけど、相手が俺でいいの?
OKしておいてなんだけど、俺たちそれほどお互いのこと知らないし」
「え、もちろんだよ。むしろ藤原君だからいいんだよ」
「俺だから?」
「そう、だって藤原君この先生好きでしょ?」
新田はそう言って自分のスマートフォンの画面を見せてきた。
そこには、今日新刊を買おうとしていた作家の代表作の表紙があった。
「確かに好きだけど、何で新田が知ってるの?」
「なんでって、一年生の時に話したじゃない?もしかして、忘れたの?ひどいなぁ」
大げさな泣き真似をする新田を見て、二年前の記憶がかすかに浮かび上がってきた。
あれはたしか、入学したての四月。新入生研修という名目で二泊三日の合宿があった。
俺と新田は同じ班になったのだが、その時の自己紹介で好きな作家の話をした子も知れない。
でも、細かい話の内容までは覚えていない。
「藤原君って、ほんと他人に興味ないよね」
確かに、他人に興味を持てないのは自分でも把握している欠点なのだが、それを新田に指摘されたことに少し慄く。
新田は俺とは違い、周囲の人にもちゃんと気を配れるのだろう。俺のような関わりの薄いクラスメートの特徴まで把握しているのだから。
しかし、俺がその作家のことが好きなことと、遊ぶ相手が俺だからいいということはつながらない気がした。
「それは、私がこの先生が原作の映画を見に行きたいからです。ちょうど今公開しているでしょ?」
そう言って、新田は勢いよく立ち上がった。
Sサイズのマックシェイクはいつの間にか空になっている。
慌てて、自分のマックシェイクを吸う。俺のはいつでも飲めるバニラ味。
期間限定にも惹かれたが、結局いつもの味を選んでしまう。
新田の表情と鞄注目していたせいでほとんど飲んでいなかったマックシェイクは、いつもより甘さがしつこい気がした。
「はやくはやく」
新田に急かされて店を出る。
途端に、湿度を含んだ不快な熱が全身を包んだ。
途端に汗が噴き出る。乾いていたはずのシャツが、またも背中にへばりつく。
映画館のある大型のショッピングモールまではここから自転車で十分ほど。
俺は既に、心が折れかけていた。
「さあ、暑いけど元気出していこう」
対照的に、新田はますます元気になっていた。
普段は勉強でこもりきりのせいか新田の肌は白い。その新田の白い肌が真夏の太陽に照らされ不自然なほどに輝いて見えた。
「新田は何でそんなに元気なんだ?」
「だって、太陽に照らされると生きてるって感じにならない。
ああ、私は今お日様から生きるエネルギーをもらっているんだって。
だから、太陽を浴びれば浴びるほど元気になるの」
新田が自転車をこぎ出したので、俺もそれに続く。
この炎天下に全力で漕ぐのは危険なので、サドルに座ったままゆっくりと漕ぐ。
白いワンピースの小さな背中を負いながら、俺はまた同じ疑問を抱えていた。
「新田ってこういうやつだったっけ?」
自転車をこぎながらぼぉっと考えていたので、頭の中の考えが口に出ていると気が付くのに数秒必要だった。
気が付いて、慌てて前を行く新田の背中を見た。
新田の後ろ姿に変化はない。きっと、街の騒音にまぎれて聞こえなかったのだ。
そう思って、息を吐いた時にそれは聞こえた。
「私は初めからこういう奴だよ。きっと、誰も知らなかったと思うけど」
それは、独り言のようにも聞こえた。それくらい小さな言葉だった。
本来なら、耳の横を流れる風の音、街が出す生活の音にまぎれて聞こえるはずのない大きさの声だった。
きっと、新田自身も俺に聞かせるという意図はなかったのだと思う。
人に聞いてほしい言葉は方向を持っている。それが一つか複数かはその言葉によって異なるが、届けたい人に向けて放たれた言葉には方向がある。
けれど、新田の言葉にはその方向がなかった。
だから、その言葉は本来誰の耳にも届かずに街の生み出す雑多な音の一つとして発散していく運命だったのだ。
それなのに、俺の耳は新田の言葉をはっきりと聞き取っていた。
まるで、耳がその言葉を拾うために周波数をピッタリと合わしたかのように、はっきりと聞こえた。
だけれど俺は、その言葉を聞こえなかったふりをした。
後になって思う。この時この言葉に何か反応していれば、この後の結末を少しでも良くできたのではないだろうか、と。
でも、もしこの場面をやり直すことが出来ても、俺はきっと何度だって聞こえなかったふりをするに違いない。
中学三年生の俺は、あの場で紡げる言葉を持ち合わせていないのだから。