最終話
あの夏の日以降、俺の時計は歩みを速めた様だった。
飛ぶように過ぎていく月日の中で、何とか現実感を保ち受験勉強に励んだ。
季節は秋になり、冬が過ぎ、春を迎えたが、クラスに新田の姿が戻ることはなく、俺は中学を卒業した。
俺は、当初の予定よりも一つ上のランクの高校を受験した。
周りからは無茶な挑戦だと止められたが、何とか合格することが出来た。
それはきっとあの夏の一日のおかげなのだけど、その話をできる相手はもうここにはいない。
新田の手術がどうなったのかは分からない。
担任に聞けば教えてくれたかもしれないが、俺はそうはしなかった。
中学を卒業後は、当時のクラスメイトとの関係も希薄になった俺には真偽が不確かな噂話ですら入ってくることはなかった。
しかし、今はそれでいいと思っている。
俺は、中学の頃と変わらない淡々とした日常に戻ったのだ。
確かにあの夏の一日は、俺にとって特別な日になったが、それは何の変哲もない普段の日常があるからこその特別なのだ。
毎日があの日のように特別だったら、俺の体はとっくの昔に壊れてしまっている。
だから、これでいいのだと、今はそう思う。
高校に入った俺は、文芸部に入部した。
もともと本が好きだったのと、部員が俺しかいないので人とのかかわりが苦手な俺にとっては最良の居場所になった。
それに、文芸部に入ったのにはもう一つ訳があった。
実は、しばらく前から物語を書いてみたいという欲求が俺の中から溢れてきていたのだ。
これまでは、誰かが紡いだ物語で満足していたが、自分の中のものを誰かに伝えたいという思いが大きくなったのだ。
これはきっと、新田が言うところの“やり残したこと”になるのだろう。
もし俺が死を間近に感じた時、きっと自分の中の物語を形にしなかったことを後悔するのだろうと思う。
そう思って、物語を書き始めたのだ。
だが、実際にパソコンに文字を打ち出してみると思ったように話がまとまらない。
頭の中にあるときは、今まで誰も思いつかなかった傑作が出来た、と感じるのだが、それを一行一行液晶画面に落とし込んでいくと、途端に幼稚で雑な物語になる。
結局、高校最初の一年間は、人に見せられるような物語は一つも書き上げられずに終わったのだった。
高校一年の春休み。
俺は、方針を変えることにした。
今までは、一から十まで頭の中にある物だけで物語を作ろうとして失敗してきた。
それを辞めて、実体験の中から物語を取り出そうと考えたのである。
そして今、俺は中学三年生の頃のあの夏の思い出を物語にしている。
実体験を物語にすると決めた時、一番最初に思い浮かんだのが新田の笑顔だったからだ。
この試みは、半分上手くいった。
出来上がった物語は、まだまだ全然拙くはあるが、それでもこれまでの失敗作に比べれば遥に読めるものに仕上がった。
しかし、物語の終盤に差し掛かった頃、俺は重大な問題に気が付いた。
「しまった。この物語には終わりがない」
そう、あの日始まったこの物語はまだ終わっていないのだ。
実体験が終わりを迎えていないのに、物語の方を勝手に終わらせることはできない。
それに気が付いた俺は、ノートパソコンをそっと閉じた。
新学期が始まる、前日のことだった。
***
「藤原君、ちょっと」
今度こそは、というアイデアが潰え失意の中にあった俺を呼び止める声がした。
振り返ると、文芸部の顧問の女性教師が立っていた。
文芸部顧問と言っても、部員は俺しかおらず活動らしい活動もしていないので、ほとんど部活に顔を出さない。
だから、文芸部に入って一年になる俺だが、ちゃんと話したのは片手ほどの回数しかない。
「なんですか?」
「実はね、昨日の職員会議で部活の話になって、うちみたいに部員数が三人に満たない部活は、今年の新入生が入部しなければ廃部にするって」
それは、予期していた話だった。
去年の時点で俺しか部員がいなかったのだから、むしろ良く一年持ったというほうか。
まあいい、小説なら一人でも書ける。
放課後、一人になれる場所を失うのは少し痛いが仕方がない。
「そういうことなら仕方ないですね」
「ちょっと待って、早とちりしないで。
実は新入生の中で、文芸部に興味を持っている子がいるみたいなの。
今日の放課後、部室に見学に来るそうだから部の紹介をお願いしたくて」
早々に諦めて立ち去ろうとした俺に、顧問の先生がそう言った。
***
グラウンドからは、青春の声が響く。反対側の音楽室からは、青春の音が鳴っている。
文芸部の部室は、校舎の一番端の最上階にある。
すぐ下の階には図書室があり、その閉架書庫として使われていた場所が文芸部の部室となっている。
今も閉架書庫として使われているので、部屋の大半は段ボールに詰められた本で埋め尽くされ、自由に使えるスペースはほとんどない。
それでも、部員が俺一人なので苦労はしないし、むしろ物で溢れた狭い部屋は謎の安心感があった。
「新入部員か……」
煩わしい人間関係が嫌で一人しかいない文芸部に入部した俺なので、新入部員が入るくらいなら廃部になってもいいと思っている。
だから部の説明などさぼって、そうそうに帰宅してしまってもいいのだが。
「さすがにそれは悪いからな」
まだ右も左もわからないであろう新入生をほっぽり出して一人で帰宅、というのもなんとも後味が悪い。
どうせなら、部長の座もろとも新入生に明け渡し身軽になって文芸部を後にしようと考えた。
顧問に伝えられた時間まだはまだ少しある。
俺は、黙って持ち込んでいたノートパソコンをカバンから取り出して開いた。
書きかけのテキストが表示される。
エンドマークが打たれることのない物語をぼんやりと眺める。
自分で描いた物語なのに、読むとなぜか目頭が熱くなった。
「まずいな」
ひとり呟いて目頭を押さえると、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
顧問はノックなどせずに入ってくるので、扉の向こうに居るのは新入生で間違いない。
「開いてますよ」
パソコンを閉じ、乱暴に目元をこすりながら俺は立ち上がった。
少し滑りの悪い扉がゆっくりと開く。
その先に立っている人の顔を見て、俺は息をのんだ。
「嘘つき」
かすれた声は俺ののどから出ていた。
扉を開けた人物は、廊下に立ち尽くしたまま教室へ入ろうとはしない。
「夏休み明けに告白してくれるんじゃなかったの?
もう、春休みが終わっちゃったよ」
自分の声が、途中から涙声に変わる。
視界ももうほとんどが涙で歪んでいる。
「遅くなってごめんなさい」
教室に一歩踏み入り、その人は言った。
俺と机を挟んで向かい合う。
俺よりも下にある大きな瞳が光った気がする。その人も、泣いていた。
「私がゴールを決める瞬間、見届けていてね」
記憶よりも少し細い手が俺の頭を包む。
そのか弱い力に身を任せ、俺は体を前に出す。
目を閉じると、瞳一杯に溜まっていた涙が頬を流れた。
唇に触れる感触は、あの日と何一つ変わっていなかった。
Fin
改めましてこんにちは。双葉了です。
【万引き少女は三度嘘つく】を最後まで読んでいただきありがとうございます。
いろいろと未熟なため、駆け足になってしまったり、説明が不十分な描写があったりしたと思いますが、なんとか完結まで描き切ることが出来てよかったなと思っています。
感想や辛口なご指摘等がありましたら、ぜひお願いします。
それと、もしよろしければ率直な評価をお願いします。低い点数でも励みになるので、ぜひお願いします。
それでは、長々と失礼しました。
次に各物語も読んでいただけると嬉しいです。
では、また次の機会に!




