ここで、唐突に本作は終わりを迎えることになる
4年制大学で現代小説創作を学んだ後、私は一般企業に就職して、旦那に出会った。
私の旦那は、ほとんど本を読まない人で、趣味は映画鑑賞。松山ケンイチ似のイケメンで、性格は温厚。
もう、それはそれはよくできた旦那で、準夜勤で帰りが遅い私のために、毎日お夕飯を作り、お風呂を沸かしておいてくれる。 文句1つ、言わずに!
こんな人がどうして私と結婚することになったのだろうと、今でも不思議。
という状況の中で。
休日の夕方、洗濯物を一緒に取り込みながら、旦那は私に言った。
「俺のノートパソコン、ついに壊れちゃった。明日から莉南のノートパソコン、会社に持ってっていい?」
「………」
しばしの間があった。
価値観の違いというものを、私は感じていた。
——私のパソコンを会社で使うの?
だって、私のパソコンに入っているものときたら!
シナリオライターを目指していた元彼がリスペクトしていたエロゲ。
オリキャラが自分を書け書けとうるさいので、全員を檻に閉じ込めているという友人の3万字の詩集。
オリキャラを牧場で飼っていて、好きな時に呼び出せるという友人が描いた少々の漫画。
昔、私が書いていたあらゆる小説。大量のTRPGのシナリオ。
ちょっと思い返すだけでわかる。
到底、会社で使える代物じゃない!
でも、旦那にとってのノートパソコンとは、いつでもどこにでも持ち運べて、何の躊躇もなく、会社で開けるものなのだ。
結局のところ、私は女優ばりの演技力を発揮して、「いいよ」と言った。仕方ない。持っていけない理由は、言えそうになかったから。
「いいよ」と言った日の夜。旦那が寝たのを確認してから、私はPCの嫁入り作業に入った。ほとんどのデータをUSBに移行していく。
大学の入学祝いにお母さんが買ってくれた7GBの白色のUSB。
「お前、まさか7GBの小説書くつもりか!」と大学時代は友達によく揶揄されていたけど、その時の私は全力で感謝していた。
——お母さん、本当にありがとう。大は小を兼ねるよね!
こうして、私の元からパソコンは消えた。
大量のデータが入ったUSBは、ドレッサーの引き出しの奥に入れられたまま、長いこと忘れ去られていた。
しかし、小説を再び書き始めた最近になって、私は自分がどんな小説を書いていたのか、気になり始めた。
——数年前に自分が何を書いていたのか。
思い出そうとしてみたけれど、断片的にしか覚えていない。
もう気になって気になって、我慢できなかった私は、仕事帰りにUSBメモリを持って、夜中のネットカフェへと車を走らせた。
着くや否や、見慣れた黒いマットに座り、USBメモリを差して、PCの画面を見つめる。フォルダを次々と開いていく。
そして、私は、絶望した。
——思い出した。
大学で、現代小説創作ゼミに所属していたにも関わらず、私が書いていたのは純文学だった。
ゼミの中で、そんな私の存在は異端であり、いつも奇異の目で見られていた。
でも、絶望したのは、そんなことを思い出したからじゃない。
なんと、今の私が、昔の私が書いていた純文学というものを全く理解することができなくなっていた。
端的に言うと、昔の私が書いた文章を読んで、今の私は完全に「この人は頭がイカれている」と思ったのだ。
今の私が特にイカれていると思った作品は2つあった。
1つめの作品のタイトルは『ニンジャvsニンジャ』
忍者同士が情報収集や、諜報活動で戦うという稀有な題材のもの。
ここまではいい。
問題なのは、ニンジャ全員の言語中枢が退化していて、会話は全て本作の第3部のようなジャック&ベティ状態で進むところ。
冒頭文は『昨今の2チャンネルではNoIncome,NoJobandAsset.(収入なし、仕事なし、資産なし)略して「NINJA」と言われることもあったが、ケンとユミは正真正銘のニンジャで、収入も仕事も資産もある』
設定は『今日の日本に、ニンジャの里という里はなく、全国各地にニンジャの事務所があるだけとなった。もともと、ニンジャは、ある時はニンジャ同士で殺しあったり、ある時は地球外生物と戦ったり、ある時は「地球にやさしく」を社会に広めて自然を守る活動をしたりしていた。いつの日か「人類が地球にやさしい」のではなく、「地球が人類にやさしい」のだと気づいてから、地球のために活動するようになった。(本文抜粋)』
ちなみに、これを読んだゼミ生はみんな、黙した。
確か、先生だけは嬉しそうに「野田さんもだんだん、おかしなものを書くようになってきたねえ。大変よろしい」と言っていた。
2つめの作品のタイトルは『世俗的テストとハサミを持つ男』
タイトルとは裏腹に、学園恋愛もの。
冒頭文は『人はみんな、彼のことを温厚な人間だと言う。が、しかし。果たして本当にそうなのだろうか』
こう書かれている以上、もちろん、そうじゃない。
設定は『彼は皮肉屋。現代文のテストで赤点を取ったところ、「いつも海外の小説しか読まないからな。僕、日本の小説って嫌いなんだよね。その言葉とかその流れになる必然性が薄い気がして」「例えば、今回テストがあった山月記だって、李徴が虎になる必然性が薄かったと思うんだ。虎って猛獣の中では王様だから、詩人になれなかった人間がなるには、あまりに気高い気がして。カフカなんかは蛾だしね」と微笑みながら言う。キャラ小説』
日本の古典を次々と、否定していく。そんな彼を主人公がカッコいいと絶賛する、という話。
——末恐ろしい。
今の私には、山月記を否定する神経がもはや理解できない。
これを読んだゼミ生はまた、沈黙。
先生だけが嬉しそうに「タイトルが大変よろしい」と言っていたことを覚えている。
そう。私は大学で、4年間かけて本気で変になることを学んだ。
時には、電気を消して、何時間も暗闇を見つめたり。ガラスのコップに水を入れて、何時間もひたすら見つめたり。
そうして、小説の題材を探した。
時には、いきなり往来で叫び、急に笑い出し、ぶつぶつと独りでオリキャラと話し始める。
卒業直後は、確かに。私はそんな危ないやつだったはず。
それを変えたのは、旦那だ。
「あれはおかしい。これはおかしい。やめてほしい」
数年前は、よく言われていた。
いや、今でもたまに言われるし、少しは「変な女」と思われている。
でも、今と昔とでは変の度合いが違うのだ。
気づかないうちに、これまた4年間かけて、私は普通の人へと矯正されてきたのだ。
事実を突きつけられた私は、そっと小説たちのファイルを閉じた。
もし、この私小説を書き続けるとするなら、私はここで立ち上がらないといけなかった。
旦那に離婚を申し渡される可能性を考えながらも、全力で戦うことを選ばないといけなかった。
元の自分を取り戻すために。
でも、戦意は湧いてこなかった。
つまり、小説は終わりを示していた。
今の私に純文学は書けない。
もうあの頃の私には戻れないのだ。