7.目的地なき街道
この国では街から街に移動する際には出発地で馬を借り、目的地で馬を返し代金を精算するといった移動スタイルが確立されている。
一般人が馬を保有するにしても、馬小屋の場所、健康管理、果てには盗難防止だの意外と手間がかかる。必要な時だけ借り、目的地で乗り捨てるというのは理にかなっている。
テルとルビーはシトラスの街から出るために、市街地の外れにある馬小屋を訪れた。
馬を貸し出す馬小屋の朝は総じて早いため、こんな早朝でも普通に営業している。さすがに早朝の為、他の客はいないが……
「ルビー、馬を選んでおいてくれないか?」
「うん、まかせて……」
内気なルビーもさすがに馬相手なら問題なく接することができる。
ルビーが馬小屋で馬を選んでいる間、テルは馬小屋のオーナーに前払いの保証金を払い出発地を示すタグを受け取る。目的地の馬小屋でこのタグを返却し、貸出日数と移動距離から代金が計算され支払う仕組みとなっている。
「ルビー待たせたな……」
テルがルビーの元に来ると、面白い光景を目の当たりにする。
「ちょっとやめて…… きゃっ、くすぐったいから、やめて……」
馬が長い舌を伸ばしてルビーの顔を舐めていた。それはもう猛烈な勢いでペロッペロと……
顔を舐められている当の本人も嫌がるというよりも、人懐っこい馬との触れ合いを楽しんでいるように見えた。
馬というのは人懐っこい性格らしいが、ルビーの場合は特に馬から一目おかれているらしく、馬と対面するといつも懐かれている。
暫く馬と戯れている様子を眺めた後、ルビーに話しかける。
「おーい、大丈夫か?」
「うん、大丈夫。この子がいいと思うよ」
「そっか。よし君に決めた。よろしく頼むぞ?」
ルビーが旅のお供として選んだ馬は先ほどまでルビーの顔を舐めていた人懐っこい馬。
ルビーが顔を洗いに行っている間にテルが馬に近づくと、不機嫌そうに鼻息を漏らしソッポを向かれた。
(なんだ、この扱いの違いは……)
程なくして、二人はシトラスの街を背に街道を進み始めた。
明確な目的地などなく、ただ漠然と離れた地域を目指すだけの旅が始まる。
慣れ親しんできた、この街に戻ってくることは二度と無いかもしれない……
「テル、道は分かるの?」
「護衛の仕事でこの辺りは通るからな。しばらくの間は道に迷うことはないと思う」
テルはシトラスの街を拠点に、馬車の護衛をしてきていたのでこの地域の土地勘は刻み込まれている。険しい道、盗賊に狙われやすい道などは熟知しているためそれらを避けたルートで、北の地域を目指す。
街を出てしばらく、気付くと陽が一日で最も高い位置に昇る時間になっていた。
「そろそろ馬を休ませよう」
馬を休ませるために街道から少し逸れた道に入ると、水車小屋が佇んでいた。人の気配は全く無い。かといって放置され荒れたような形跡もない。
馬に給水させ、自分たちも木陰で腰を下ろし一休みする。
「ルビー、疲れたか?」
「うん少し…… あとどれくらい移動するの?」
「陽が暮れるまでには2つ先の街に着きたいな。野宿するわけにもいかないからな」
「ふーん…… あっそうだ、お昼にしない?」
「それはいいけど、この辺に飲食店なんてないぞ? 次の街までもう少しかかるだろうし……」
唐突に昼食の話題を切り出してきたルビー。荷物の中から箱を取り出し、開けて見せるとサンドイッチが詰められていた。
褒めて褒めてと言わんばかりの自慢げな顔でテルの様子を伺うルビー
(っておいおい、この状況下でピクニックなのかこれは……)
「あのー、ルビーさん? わざわざ早起きしてご準備されたのですか?」
「そうだけど? サンドイッチ苦手? もしかしてダメだった? ……」
徐々にテンションが落ち、叱られた犬のように落ち込むルビー。必死にテンションを取り戻そうと対応するテル。
「いやいや、そんなことないぞ。ルビーが作ってくれたんだ美味しいに決まってるだろ。さぁ食べよう」
ただのサンドイッチに特筆すべき点など無いのだが、普通においしい。特製サンドイッチを頬張る姿をじっと見ながらルビーが尋ねる。
「どう? おかしくない、味とか?」
「あぁ、普通においしいぞ。料理得意なんだな。喫茶店開けるんじゃないのか?」
「客商売は嫌。恥ずかしいから……」
「あぁ、すまんすまん」
一瞬喫茶店の制服をルビーが着たら似合うのではないかという想像をしてしまったが、忘れよう。接客業なんてルビーにとっては罰ゲームにも等しいようなものなのだから。
喫茶店はともかく、親父と二人で暮らしていたルビーにとって炊事は日常的に熟していたのだから料理が得意なのは当然の事であった。
食事を終え、再び街道に戻り北の方角を目指す。昼を過ぎ、空には雲が増えてきた。
(雨に降られなければいいんだが……)
シトラスの隣街を過ぎ、さらに次の街を目指す。日暮れまでに目指す街はある程度規模が大きく、宿屋も多い為、今夜泊まるのはその街と決めていた。
街道の道のりはそれはもう退屈であった。朝から単調な道をひたすら馬に乗って進む。
時々、馬車などとすれ違うが街道の風景は変化に乏しく居眠りしてしまいそうになるテル。
ふと、後ろを振り返るとルビーも船をこぐかのようにウトウトとしていた。
疲れてしまうのも無理は無い。陽が昇るような時間に村を出て先の見えない不安の中、旅をすることになったのだから……
陽が高度を落とし辺りが徐々に暗くなり始めた頃、街が見えてきた。遠くから雷の音が聞こえ、雨が降る前特有の匂いが生温い風で運ばれてきた。
「夕立に降られそうだな、急ごう……」
「ルビーは先に宿を探しておいてくれないか?」
「……ムリ」
「あぁすまない。わかった」
真顔でルビー即答。うっかり忘れていたが、こいつは極度の人見知りだ。知らない町で知らない人に宿を訪ねるなんて高難易度の任務は荷が重すぎる。宿は一緒に探そう。
宿探しの前に、テルとルビーは街の馬小屋に立ち寄る。宿まで馬を連れていく訳にはいかないので馬を返し精算を行う。ルビーの選んだ相棒とも一旦お別れだ。馬は別れを惜しむような表情でルビーを凝視していた。
代金を払い終わり馬小屋を後にする頃には、激しく雨が降り始めた。
街を行き交う人々は突然の夕立に、雨宿りをしている者もいれば頭を覆い道を急ぐ者もいる。
二人は雨に打たれながら陽の暮れた街で宿を探す。宿屋は沢山あれど、どこの宿も満室で泊めてくれる宿がなかなか見つからない。
雨に打たれ続け、全身ずぶ濡れになり衣服・荷物は重みを増す。旅の疲れもあり、二人の体力は限界に近い。
街中を歩き回りようやく二人は空き室のある宿を探し当てた。