51.動き出す国
一瞬にして吹き飛ばされる私……
気付くと、人々の悲鳴、断末魔……
全身を押し潰される苦痛……
朦朧とする意識の中、手を繋いでいるこの子は誰?
――――――――
夜の冷気で、熱を奪われた部屋に朝陽が差し込む。
ここは寮生以外立ち入り厳禁の王都学院女子寮。本来立ち入る事が出来ない筈であるルビーの姿があった。アリスに呼ばれ、初めてのお泊り会を経験し一夜を共にしたルビー。
ルビーにとって本来であれば目覚めの良い筈の朝が、奇妙な夢で飛び起きる。鮮明な光景と共に、夢の中で味わった痛覚が目覚めても残像の様に残っていた。
この夢は何?不吉な前兆を予感させる夢?
ルビーはベッドから起き上がると、汗で体を濡らしていた。
シャワーを浴び、身支度をしていると物音に気付いてかアリスが遅れて起床。胸元は開け、寝癖が付いた頭を見る限り、アリスの寝相はなかなかに豪快なのだろう。
「おはようルビー。よく寝れた?」
「うん、おかげさまで……」
アリスも部屋から出れる程度に身支度を整えると、ルビーを後ろに従え部屋の扉を開く。
開かれた扉の先には、仁王立ちし明らかに怒った表情のセナが居た。アリスはセナの顔色を窺いつつ、恐る恐る挨拶する。
「あっ、おはようセナ……」
「おはよう?じゃないかな」
やはり怒っていた。アリスも何故セナが怒っているのか、想像に容易かった。
「何勝手にルビさん連れ込んでるのかな? 寮は部外者立ち入り禁止かな?」
「大丈夫、誰にもバレてないから。たぶん……」
「バレるとかそういう問題じゃないかな」
「もう、セナは硬いよ!すぐ、お説教するところがクラス委員長みたい!」
「誰がクラス委員長かな? 一緒にしないでほしいかな」
学院に通っていないルビーにとって、クラス委員長が云々の話は蚊帳の外でよくわからない。二人の討論が冷めるのを茫然と待ち続け暫く。
「とりあえずルビさんは帰った方がいいかな。お兄ぃも心配するだろうし」
「うん…… ありがとうねアリス、セナちゃん」
ルビーが寮を去った後、アリスはセナからこっぴどく怒られたとか……
――――――――
ルビーが宿に戻ると、ちょうどテルと鉢合わせたので、そのまま朝食を摂る為近くのカフェへと向かう。
テルと目が合うと気恥ずかしそうに、視線を逸らすルビー。そんなルビーを見て不思議に思うテル。
昨晩アリスの寮室で繰り広げられた、ガールズトークを思い出し無駄にテルの事を意識してしまうルビー。
終始無言のまま、朝食を口に運ぶ二人。さすがに気まずいと思ったのか、テルが話題を振る。
「アリスの部屋はどうだった? 楽しかったか?」
「う、うん。楽しかったかな……」
「そうか、良かった。さて今日はこの後、何しようかな……」
「あのねテル……」
テルが今日の暇をどう使ったものかと考え込んでいると、ルビーからお誘いを受ける。
ルビー曰く、今日は昼過ぎからアリスと公園に行くのだという。公園なら何時も通ってるじゃないかと思ったテルだが、どうやら今日はとあるイベントがあるらしい。
「今日の昼過ぎ、あそこで国王から民に向けて重大な宣布をするんだって」
「あぁ…… あの公園、国王の私有地って話だもんな」
都中心部近くに位置する公園は国王の私有地で、普段は一般開放されている。国民に向けて重大な演説を行う場合は、仮設の壇が組まれ国王が姿を現すのだという。
テルは勿論、ルビーも国王の話など微塵も興味は無い。しかし、国王を間近で見れるチャンスは都に住んでいても、滅多にないと聞く。どうせ暇だし、せっかくなので二人で見物へ行くことにした。
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昼過ぎになり、公園にやってくると仮設のステージが設置され、周りには人だかりが形成され始めていた。
テルとルビーが辺りを見回すと、先に来ていたアリスをすぐに見つけ出す。直ぐに見つけ出せたのは丘の上からアリスが二人目掛け大きく手を振っていたから。そしてそれ以上に、昨日と同じ”けしからん服装”をしていたので気付くまで時間を要さなかった。
「アリス寒くないの?」
「大丈夫、この服意外と暖かいんだよ? さっきセナにこの服装は禁止って言われたんだけど、こっそり着てきちゃった」
ルビーとアリスの会話を聞きながら、テルは思う。その服装は寒いとか暖かいという問題ではない。男を刺激する点が問題なのだと。
男心からついついアリスの身体に目が行ってしまいそうになる。しかしルビーに変な気を起こしたと思われると厄介なので、必死に他方を向きつつもやはり横目で見てしまう。
それから暫く、公園内はさらに雑踏とする。小高い丘の上から見下ろす限り、地面が見えないほどの密集度だ。
アリスがさりげなく懐中時計を取り出し、時間を確認する。
「まだかな、そろそろ告知されていた時間なんだけど……」
「アリス、それって……」
「えっ何?」
テルが何かに驚き、興味津々にアリスへとのめり込んでくる。アリスには何が何だか分からず身構える。
テルが驚いていたのはアリスが懐中時計を持っている事に対してであった。懐中時計はじめ時間を刻む類の物は極めて高価な代物で、個人が持っているようなものではない筈…… とテルは思っていた。右に同じくルビーも同じ認識であった。何せテルとルビーが住んでいた村には時計が一つしかなく、村長が大切に管理していた代物だ。
「アリスって貴族の家柄だったりするのか?」
「そんなことないよ。貧乏では無いと思うけど。あっこの時計ね、お父さんから誕生日に貰ったの。この懐中時計そんなに珍しい?」
「いやいや、一家に一つならまだしも、学生一人が持ってたら驚くだろ」
「えっどうして?もしかして、時計って未だに高価なものだと思ってる?」
「そりゃ高いだろ。俺たちの村には一つしか無かったからな」
テルが力説すると、アリスは小馬鹿にしたような笑いを漏らす。もちろん彼女に悪気は無い。
「今、時計ってすっごく安く買えるようになったんだよ? 今度お店に行ってみる?」
アリス曰く近年、科学の英知により時計の量産技術が飛躍的に向上。嘗ては貴族の装飾品とも言われていた時計は信じられないペースで価格が下落。今では金額にして、テルが冒険者で稼いでいた報酬の一ヵ月分程度だとか。
最近では国策で時計の普及を掲げており、時間厳守の社会基盤を目指しているのだとか。
また一つ田舎知識が更新され、賢くなったテルとルビーであった。
アリス、テルそしてルビーがそんな話をしていると、近衛兵に囲まれ国王がやって来た。国王を一目見ようと集まった群衆たちの視線が、集中する。
国王は凛々しい表情でステージに立つと、民への労いの言葉と共に演説を始めた。
……始めたのはいいが、肝心の声がテル達の居る場所まで届かない。目を凝らせば国王の顔を拝める距離ではあるが、話ている内容を理解するには至らない。
「何言ってるのかさっぱりだな……」
「うん、聞こえないね……」
「あぁぁ…… 場所が悪かったみたい。ごめんねお兄さん、ルビー……」
寒空の下、3人は何をしに来たのだろうかと自問自答する。顔だけは拝めるし、国王の話など聞いて面白い話でも無いだろう。せめて雰囲気だけでも味わえればいいかと思い、3人は斜面に腰を下ろし演説する国王を見下ろす。
――国王の肉声はステージ近辺の民にしか聞こえていなかった。しかし国王の口から発せられる内容は重大な話そのものであった。テルとルビー、そしてアリスにとっても……
「…………既に一部の国民が、特に都に住まう博識な民であれば尚更、気付いているであろう。我らがグハンドゥーンには未だに魔法使いが生き永らえているという事実を。民の混乱を防ぐため、国はこの事実を一切触れてこなかった。しかし、それも今日で終わりを迎える」
集まった群衆がどよめき始める。国が情報統制を行い、民が気付きつつもタブーとされてきた、現在における魔法使いの存在。それを国の最も上に立つ者が正式に公表した。
当然、ただ単に事実を公表する為だけに、王が民の前に姿を現したわけではない。集まった民達もその点は理解しており再び静まり、次に出てくる国王の言葉を固唾を飲んで待つ。
「魔法使いの存在は秩序の乱れを招き、我が国の発展を阻害するだけでなく、国そのものを滅ぼしかねない。既にその火蓋が切って落とされようとしている。民を束ねる立場として、本日重大な判断を下すに至った。この判断に際し、当事者となる者達から具体的な話をいただく」
王は壇上を次の者に明け渡すと、早々と壇から降りていった。
群衆は不満を口に漏らす。王の口からこれから何を成そうとしているのか、具体的な説明が成されなかったからだ。群衆が騒めいていると、壇上には教会関係者が姿を現した。その中で最も位が高いであろう者が壇上の淵まで前進すると、群衆に向け言葉を放つ。
「遡る事20年前。魔法使いとの戦いは終焉を迎え、魔法使いの根絶が宣言されました。しかし、悪魔の所業によって再び魔法使いが生を受け、勢力を広げようとしています。これは我々人間と悪魔との戦いでもあるのです」
教会関係者の演説に、集まった者たちは退屈そうな態度を取る。教会の人間がいつも口にしている事と、なんら変わらない話をこんな場でも聞かされているのだから。
その後も教会関係者は魔法使いの歴史、過去に犯した悪事、魔女狩りの経緯などを力説。耳にタコが出来るほど聞かされた話を聞きに来たのではない、と帰り始める者も数多くいた。
しかし次に壇上に上がった者から発せられた宣言により、歴史を揺るがす事になろうとは。この時誰が思っただろうか。
この日最後に壇上に登った者、それは軍関係者であった。
――軍の関係者が壇上に上がる。テルは小高い丘の上から目を凝らしていると、壇上に上がった人物と目線があった。明らかに向こう側もテルの存在に気付いてたようだ。そして暫くの間、壇上の軍人はテルとルビーを睨みつけていた。
必要以上にテルとルビーを睨みつけるあたりからして、過去に自分たちを追っていた軍の一見かもしれない。テルはこの場を離れた方が良いと思い立つ。
「ルビー、そろそろ行こうか。国王も見れたし、これ以上ここにいても嫌な事が起こりそうな気がする」
「嫌なこと? 私は良いよ。でもアリスが……」
テルはルビーを挟んで、向こう側にいるアリスの様子を覗き込む。アリスは目を瞑り両膝を抱え、夢の世界へと遊びに行ってしまった。
「おーい、アリス? 起きろ~」
「ふぇぇぇぇ?」
テルは半ば強引にアリスの身体を揺すり、居眠り状態から連れ戻す。アリスは重そうな瞼を開くと、意味の分からない言葉を発する。
「お兄さん?」
「はいはい、アリス姫愛しのお兄さんですよ。俺とルビーはそろそろ帰ろうと思うんだが、アリスはまだ見ていく?」
「私ももういいかな。眠いし…… 宿で、お兄さんのベッド貸してもらって良い?」
「ダメ!」
国王の演説を聞こうと誘った、言い出しっぺのアリスはもう演説など、どうでもよくなっていたようだ。とりあえず眠いからテルの部屋で寝かせて欲しいと。アリスの発言から間髪入れずにルビーが不許可を言い渡す。
アリスが立ち上がり、丘からの立ち去る際。テルが壇上の軍人をもう一度見ると、こちらを凝視しながら狼狽する様子を浮かべていた。
――テル、ルビーそしてアリスが丘から立ち去っていく様子を見ていた軍人。それは紛れもないグラド、アリスの父であった。グラドが狼狽えるのも無理は無い。最愛の一人娘が、自分の追っていた指名手配人物と仲睦まじく接していたのだから。
しかしいつまでも狼狽えているわけにはいかない。これから、グラドは王に代わり民に向け重大な宣言を成す任を任されている。
グラドは壇上で民に向け手短に名乗ると、単刀直入に宣言を発す。
「軍は魔法使いが招くであろう災いをあらかじめ阻止せねばならない。よって、軍及び教会を軸とし、ここに再び”魔女狩り”の開始を宣言する」
グラドの声が直接届いた者たちが一斉に響めき出す。そしてグラドの口にした言葉を、群集がオウム返しの様に口にする度、響めく群集の輪が広がっていく。
「20年来の魔女狩り復活は王の命であり、軍、教会関係者だけでなく国民にも協力する義務がある。これは秩序を乱す悪しき物との戦いであり、早期終結には民一人一人の力添えが不可欠である。魔法使いを捉えた者、居場所を密告した者には国より報奨金が送られる事を付け加え、本日は幕引きとさせてもらう」
グラドが演説を終えた次の瞬間、群集たちは一気に騒々しくなる。再び始まる非道な行為に不安を漏らす者。魔法使いを片っ端から捕まえて、報奨金で一儲けしようと盛り上がる者。魔法使いの目撃情報を交換する者。これから始まる一大事に思い想いの考えが飛び交う。
ざわめく群集を背に壇上の階段を降りるグラド。彼の足は小刻みに震えていた。上からの指令とは言え、再び魔法使いを巡る混沌の時代へと導く言葉、それを自分の口から放ったのだから。
非道の限りを尽くし魔法使いを排除する”魔女狩り”
グラドにとってこれから始まろうとしていることは決して他人事ではなかった。それは魔女狩りを先導する役目にある軍人であるからと同時に、グラド個人に纏わる部分があったからだ。たとえ尋問されようとも、自分の命が尽きようとも絶対に口を割らないような事情である。
壇上から降りても尚、足の震えが止まらないグラドの姿を見た部下が心配そうに話し掛ける。
「大丈夫でありますか、総司令官?」
「あぁ気にするな……」
「顔色も随分と悪いようですが。王都支部の医務室までご一緒しましょうか?」
「私は大丈夫だ。そんな事をしている暇があったら、順次任務に戻れ。これから始まる”魔女狩り”の為に新設された特別部隊、しっかりと任を果たし功績をあげるのだ」
皮肉にもグラドが総司令官として配属された王室直轄の新設された特別部隊は、魔女狩りの為に編成された部隊であった。軍の中でも、魔女狩りに関連する軍務だけに特化した部隊。魔法使いと言えど、一般市民を自分の手に掛ける事となる。はたして、敵国の軍人でも無い相手に、非人道的な事を軍がして許されるのか?
この国の法的には罪に問われない。20年以上前に行使されていた魔法使いに関する法は、未だに当時のまま改正されていない。魔法使いとされる人間を殺すことは一般市民にさえ認められている。この点、獣人に対する扱いと似ている。
自分もこうしては居られない……
グラドは部下の心配を余所に、早歩きでその場を去って行った。その後、軍の支部に顔を出さずグラドが何処へ向かったのかを知る者は居なかったという。
――国の一大事が公表された場に居合わせながらも、公表内容をまったく認識していなかったテルとルビー。二人が”魔女狩り”復活について知ったのは、その日の晩。飲食店で巷の噂を耳にしての事だった。
都に来て、妹と再会しルビーには新しい友人もできた。そんな安らかな束の間の一時はこれで終わりを迎えることとなるだろう。




