42.門出
クライエ家の屋敷に住まう者は4人となり、少しばかり賑やかさを増し、フィーネの笑顔を見る機会も増えた。獣人ギンサーがクライエ家の使用人としてカムバックを果たし、暫くした頃。テルとルビーはある決意を胸に、フィーネを部屋へと招き入れた。
「あなた達から招いてくれるなんて、珍しいわね」
ルビー、テル、フィーネの3人はルビーの部屋へと集結した。一人が寝泊まりするには広すぎる、貴族サイズの部屋。窓から流れ込む夜風は冷たく、村を出てから季節は巡り冬の近づきを感じる。テルとルビーは神妙な面持ちでフィーネと向かい合う。少しの間が空いた後、テルが告げる。
「フィーネさん。もし主人として認めてくれるのであれば、俺とルビーはこの屋敷を出ていこうと思っています」
「突然ね」
フィーネは内心驚きつつも、平穏な表情を偽りながら、いつもの様に紅茶を啜る。
「どうしてかしら?」
「俺もルビーも謂わば居候。少しでもフィーネさんの力になりたいと使用人になり、居座らせてもらってます」
「そうね、あなた達には本当助けられてる」
「今は、ギンサーさんも戻ってきました。もう俺たちが居なくてもこの屋敷は大丈夫、そう確信して出ていく決意を決めました。いつまでも居候ではいられない、そろそろ旅に戻ろうかと……」
フィーネは立ち上がり、テルとルビーに背を向け窓際へと歩み寄る。
「行く当てはあるの?」
「当てはありませんが……」
テルもルビーもここで言葉が詰まった。当てが無いのは事実だし、当てがないのに旅に戻るというのもおかしな話だとは理解していた。テルとルビーが言葉に行き詰っている間に、フィーネは夜風が吹き込む窓を閉め、カーテンで覆う。完全に会話が途絶え、気まずくなるテルとルビー。このままでは面目丸潰れ、そんな時だった。
「ちょっと待って…… これルビーさんのかしら?」
気まずい空気を切り裂くようにフィーネが突然口を開く。何を言い出したのかと思い振り向くと、フィーネはルビーの私物を指差していた。
「そ、それは…… 別に大したものでは」
フィーネが興味を示していた物、それはルビーにとって後ろめたい物でも何でも無かった。フィーネが指差していたのは机の上に置かれたルビーの私物、鍵であった。ただの鍵。強いて言えば、村を出るときにルビーが父親から渡された鍵。何の鍵なのか全く不明だが、父親から託された物なので捨てるわけにもいかず、道中無くさずにここまで持ってきていた。
「大したものじゃない? この鍵、王都銀行の貸金庫の鍵じゃない。ルビーさん、もしかして実はお金持ちの家だったりするの?」
「それは無いと思います。田舎のこじんまりとした場所に住んでいましたし……」
ルビーと同じく、テルにも思い当たる節は無い。二人とも平民の出なのだから。
「おかしいわね。王都銀行は余程の資産を持っていない限り、貸金庫なんて開設できない筈なのに……」
田舎者な上、平民なルビーは”王都銀行”がなんなのかすら理解していなかった。しかし、貴族のフィーネが驚きっぷりを見るに、凄い物なのだという事をルビーはなんとなく察する。
「この鍵は、父親から渡されたんです。あとこれも……」
村を出る際、鍵とは別に父親から託された手帳をフィーネに見せる。手帳を捲るなり、再びフィーネは驚いた様子で喋り出す。
「ルビーさん、この手帳の内容読めるかしら?」
「うーん…… まったく読めません」
「奇遇ねフィーネもよ」
「どっちも読めないのかよ!」
言い出しっぺのフィーネも手帳に書いてある内容が読めないらしく、思わずテルが突っ込みを入れる。
「あら、そういうテルは読めるの?」
「すみません、読めません」
この場にいる誰もが、手帳の内容を理解することができなかった。正確には内容が分からない以前に、書いてある文字が読めなかった。字が汚いからといった類の話ではなく、今まで全く見たことのない異邦の文字が手帳には並んでいた。複雑で細かい形の字、どこの国の文字なのだろうか。
「フィーネも読めないけど、この文字はある種の文献では時々見かけるの」
「「ある種の文献?」」
「魔法使いに関する研究資料よ。その分野の研究者が良く用いる文字なの。研究内容が一般人に知れ渡らない様にするための、暗号文字という説もあるわ。もっとも、私は研究者でも何でもないからこの文字は読めない。それだけよ」
フィーネの説明を耳にテルはルビーの父親の事を思い出す。
「そういえば、ルビーの親父さんって、昔は都の研究機関にいたんだよな?」
「うん、そうだったみたい。何をしていたのかまでは知らないけど……」
フィーネは両の手をルビーの背後から肩に置き、迷いが晴れた顔で二人に告げる。
「決まりね、あなた達の行く当て。都に行きなさい」
「「都ですか?」」
「そうよ、この国グハンドゥーン最大の都市にして、王宮を構える正真正銘の都。兎にも角にも、その鍵で一度貸金庫は開けるべきよ。父親が何を託したのか、自分の眼で確かめるの」
テルとルビーは目を合わせ、言葉は無くとも都を目指すことをお互いに確認し合う。しかし二人が都を目指す為には、まだ一つ問題が残っている。クライエ家の使用人という立場上、主人であるフィーネからの許しが必要である。テルが再びフィーネに申し出る。
「フィーネさん、話は振り出しに戻るんですが。この屋敷を出ていくことを認めて頂けますか?」
「使用人の主人としてあなた達がここを出ていくは認められないわ。もうあなた達はクライエ家の一員なのだから。でも友人として、あなた達が巣立ちたいというのであれば、全力で応援するわ」
「それってつまり、どっちなんですか?」
遠回しな言い方をするフィーネに対し、思わず結論を急かすルビー。
「あなた達にとってフィーネは主人?友人?」
「それはどっちもだと思いますが……」
「どっち?」
フィーネも食い下がらずに、遠回りな質問を続ける。二択を間違えたら許しが下りない、そんな気がしたテルは慎重にどちらを回答するかと迷っている。そんなテルを差し置いてルビーが即答した。
「友人です。私に初めてできた友達、大切な……」
「そう、なら答えは出たわね。あなた達の門出を全力で応援するわ」
テルとルビーが進むべき道は決まった。夜も遅い時間を回り3人は解散、テルもフィーネもルビーの部屋から立ち退く。
二人が去っていった後。部屋の明かりを消し床に就こうとしていたルビーの顔には涙が浮かんでいた。ルビーにとって初めてできた友達と呼べる存在。しかし、この屋敷からの門出は別れを意味する。それは、今まで人付き合いが苦手で人見知りであった少女が、人との別れで初めて流す涙であった。
―― 一夜明け、朝食の席に着くテル、ルビー、フィーネ、ギンサー。屋敷での食事もこれで最後、飽きるほど口にしてきた紅茶もこれで最後。ルビーの胸は寂しい思いでいっぱいであった。
「ルビーさん、そんな寂しそうな顔をしないの。これは主人としての命令よ」
「はい。でも……」
主人から命令されるも、なかなか笑顔を見せないルビー。そんなルビーの頬を、テルが軽く抓る。
「ちょっと、何するのテル?」
「ごめんごめん、こうやったら顔が緩むかなって」
「もう、変な事するのやめて!バカ!」
一瞬でも寂しい表情が薄れ、少しばかりの笑いが浮かんだルビー。
「良い笑顔じゃない」
「そうですね」
安心した面持ちでそう口にしたのはフィーネとギンサー。内心フィーネとギンサーも寂しい思いが溢れ出しそうだったが、表には出さないように堪えていた。
荷物を纏め、出発の準備が整ったテルとルビー。屋敷の正門ではフィーネとギンサーが待っていた。
「テル、ルビーさん。主人としてあなた達に暇を出します。でも友人として、屋敷の部屋は空けておくわ。いつでも戻ってきなさい」
フィーネは使用人としての主従関係の破棄を宣言するも、決して関係が途絶えるわけでは無いという旨を伝える。友人としていつでも戻ってくる場所を残しておくとも付け加えた。
「ありがとうございます、フィーネさん」
「お世話になりました」
テルとルビーが一礼すると、フィーネが小袋を渡した。
「これは……?」
「あなた達がこの屋敷で尽くしたくれた分に対する報酬よ。このタイミングで渡すことになっちゃったけど」
「でも僕たちは居候させてもらっていた身で……」
「それはそれ、これはこれよ。この先、旅を続けるにあたって資金は必要でしょ? フィーネも、あなた達がちゃんと受け取ってくれなきゃ、気分良く送り出せないわ。あと都に着いたら、いいえ着いた後も定期的に封書で知らせを送りなさい。もちろん封書の代金は受け取り側払いでいいから」
思いもよらぬ報酬を受け取ったテルとルビーはもう一度礼をする。テルもルビーもようやく表情が晴れたところでフィーネが締める。
「いってらっしゃい」
「「さようなら」」
「”さようなら”じゃないでしょ。”行ってきます”でしょ」
「行ってきます、フィーネさん」
テルとルビーはフィーネ、ギンサーに見送られながら屋敷を後にする。冬を予感させる寒空の下、二人は都を目指し歩み出した。




