40.奴隷商店の地下
奴隷商人から元使用人であった獣人を買い戻してほしい。
フィーネからの依頼を受け、外見を偽ったテルとルビーは奴隷商店へと向かった。フィーネが二人に施した幻惑の姿は完璧で、少年少女の面影を全く残さず偽りの姿へと容姿を変えていた。
指示された場所へとやって来たが、そこは街外れで家屋がひっそりと佇んでいるだけであった。とても奴隷として扱っている獣人を、収容しておくスペースがあるようには見受けられない。家屋の玄関をノックして暫く待つと、幼い男の子が扉を開け出迎える。
「あれ、ここじゃない?間違えたのかな?」
「ここの筈なんだけどな……」
予想だにしていなかった幼い子供の出迎え。テルとルビーは顔を合わせ、自分達が場所を間違ったのではないかと疑心暗鬼になる。
「おじさん、おばさん、お小遣いちょうだい」
男の子はそう言うと、笑顔で両手を差し出す。どう見ても奴隷商人とは縁の無さそうな男の子。
「いや、待てよ……」
ここで、テルとルビーは出発前にフィーネから聞いた話を思い出す。それは奴隷商人に対する、合言葉的なものについてだ。奴隷商人はまず手始めに、入場料代わりの金を要求すると。本当に奴隷を売買する財力があるかどうかを確認する為だという。
テルは疑い半分男の子に金を手渡す。テルやルビーのような平民が一生のうち手にしないであろう大金を。
「うわぁ、おじさんおばさんお金持ちなんだね!ちょっとまっててね」
そう言うと男の子は家屋の中へと入っていき、大きな声で誰かを呼ぶ。
『パパー!お客さんだよ!』
それから暫く、テルとルビーが茫然と立ち尽くしていると、ガタイの良い大男が家屋の中から姿を現す。
「こっちだ、入れ」
男は低い声でそう言うと、テルとルビーを家屋へと招き入れた。一見して普通の家屋のここは、どうやら本当に奴隷商店だったらしい。子供まで動員して、作法を知らないと気付かない見事なカモフラージュである。
「客さん、見慣れない顔だな。こういう場所は初めてか?」
「えぇ、そうですね。初めてといったところです……」
フィーネの幻惑魔法により、傍からは金持ち夫妻にしか見られていないテルとルビー。テルが男と話を進める。
ガタイの良い大男は、ここの店主だという。店主の曰く違法で無いとはいえ世間体というものがある。街中で大っぴらに奴隷売買をするわけにもいかない。故に表向きはどこにでもありそうな家屋を装い、店を構えているのだという。では、商人が売り捌く獣人奴隷は家屋の何処に居るのか……
「下がってろ、この下だ……」
床には不自然な金属製の扉。店主の男は、筋肉を浮き上がらせながら床の扉を開ける。重厚な金属扉が開くと、階段の下には薄暗い地下空間が広がっており、湿った空気が吹き上げる。
「あんたら金持ち夫妻にとってみれば、これから見せる物は見るに堪えない小汚いものかもしれない。まぁ連れて帰ってから洗えば少しは綺麗になるだろうがな。奥さんよ、引き返すなら今のうち、卒倒してもしらねえぞ」
案内されるがまま、地下室を少し進むとそこには牢のような光景。いや罪人を捕らえておく牢と全く同じ構造の部屋が並んでいた。薄暗い牢に明かりを照らすと、足首を鎖で繋がれた獣人が痩せた背を向け寝そべっている。右の牢も、左の牢にも繋がれた獣人の姿があった。
ルビーはその光景を少し目にするや否や、俯き目を瞑り通路を進む。ルビーだけでなく、テルも目の前に広がる状況から目を背けたくなるが、フィーネの依頼を受けたからには、最後まで責務を果たす。自分の心に強く言い聞かせ、地下空間の奥へ奥へと進んでいく。
「こいつは酷いな。こりゃ売り物にならん」
そう言い放つと、限りなく皮と骨だけしか残っていないほど痩せこけた獣人の牢を解錠する店主。
「おい、新入りいるか?」
「……はい」
店主が大きな声で”新入り”を呼ぶと、暗い通路の奥から若い男が駆け足でやって来た。どうやら店主の下で奴隷商人の見習いをしているようだ。
「こいつを撒いてこい」
「はい、わかりました」
見習い中の男が、抵抗する力も残されていない獣人を牢から引っ張り出す。牢から出された獣人が何処か良からぬ場所に連れていかれるということは、察しが付いた。しかし”撒く”の意味が分からない。テルは店主にその意味を尋ね、そして知るべきでなかった話を耳にする。
「撒くっていうのはな、文字通り魔獣の餌として撒くのさ。ほら、そこの拘束具。あれは一度に複数体の獣人を樹の幹に括り付けて、食われるまで晒しておく器具だ」
店主は壁に掛けられた金属の拘束具を指す。獣人の血を浴び続け、黒く錆びたのであろう拘束具。テルはそこから感じる恐怖に顔を背け、テルの手を握っていたルビーは爪が食い込む程強く握る。
テルは軽く震える声でさらに聞く。
「なんで撒く必要があるんですか?撒いて何になるんですか?」
「客さん、そんな感情的にならないで。撒くことは良い事だ、街にも貢献してる」
ルビーはもうこれ以上聞きたくないと頭を横に振る。
「定期的に魔獣に食わせることによって、魔獣が街まで降りてくるのを防いでいるんだよ。この国で魔獣の被害が少ないのは、意図的に獣人を餌にして魔獣をコントロールしているのが一つの要因だ。餌を撒いてなかったら今頃、飢えた魔獣が街道なり街中だのに出没して大惨事だ。分かったかい客さん?」
テルは十分に店主の言葉を理解した。市民が平穏に暮らしている裏でそのような事が行われていたなど、考えもしなかった。そしてやり場のない感情が込み上げてくる、何処へもやり場のない感情が……
テルもルビーも込み上げてくる感情が何なのか、理解する間も無かった。さらに追い打ちをかけるような光景が待っていたからだ……
通路を奥へ進んでいくと、腹部が膨らんだ獣人が牢の中に居た。獣人とは言え、人間と変わらぬ綺麗な顔立ち。お腹には誰のものかも分からぬ子を宿しているようであった。店主がじっくりと見入ると、その獣人は表情がこわばり、壁へと後ずさる。
「あぁ、こんだけ膨らんじゃもう買い手もつかねぇな。こいつも撒いて来い」
店主は顔色一つ変えずに言い放つ。先程の見習い商人がやって来て、牢の中から孕んだ獣人を引き吊りだす。悲痛に叫びながら抗おうとするも、足に取り付けられた鎖を引っ張られ、地面を引きずられる。引きずられながら通路奥の暗闇へと飲み込まれていく獣人、命乞いする声は通路の奥へと遠退いて行った。
声にこそ出さなかったものの、あまりの惨状を目に、ルビーはテルの背で泣いていた。テルも目元に手を当て表情を隠す。今すぐにでもこの場を立ち去りたい。
この国は表向きは”科学の英知”だのと謳い、発展をアピールしているが、その裏にあった実情。魔法使いと言い、獣人と言い、テルは村を出てからグハンドゥーンという国の本質的な部分を垣間見た。テルの頭を止めどなく様々な考え、感情が巡る。地下空間に降りてから見せつけられてきた惨状に、テルの精神は限界に達しようとしていた。
「初めての客さんには刺激が強かったかな。奴隷商人の世界は常にこんなもんさ。客さん、奴隷を買うのは初めてだろ? どういうのを希望だ?」
テルは感情を押し殺し、店主に番号を伝える。
店主に伝えた番号とは獣人奴隷を売買する際に割り当てられる番号。フィーネの下から使用人の獣人が連れ去られる際に、獣人に刻まれた番号をフィーネは控えていた。
「番号指定でご指名とは、客さんやるね。本当に奴隷を買うのは初めてかい? まぁ良い、この番号の奴なら、ウチにいるぞ。一番奥だ」
店主に案内され通路の突き当りにやってくると、牢の中に座り込む獣人の姿があった。
「12209番、買い手がついた。牢から出ろ」
フィーネの屋敷で使用人を務めていたであろう、獣人が柵をくぐり牢から出てくる。牢での生活により余分な肉はそぎ落とされていたが、体格自体はなかなか立派であった。
「あっどうも……」
「こんにちは……」
牢から出てきた獣人は真っ先にテルとルビーと眼が合う。咄嗟に一言挨拶をしたテルとルビー。
「あなた達が私の新たな所有者ですか?」
「所有者…… いや違います」
「そうですか。では誰が……」
”所有者”という言葉にテルは引っ掛かりを感じた。この獣人、いやこの人は物なんかでは無い。フィーネの大事な使用人、家族同然の大切な人だ。だから自分自身の事を奴隷だの、物だのと蔑んで欲しくはなかった。
店主について行き、地下空間から階段を昇る。テルとルビーにとっては見慣れた太陽が、地上を照らす。しかし獣人にとっては久しぶりに見る太陽。余程眩しかったのか、地上に出てからもずっと瞼を閉じていた。
最後に、テルは奴隷買い付けの代金を払い、獣人奴隷の所有権利書に調印する。
「これでその獣人は客さんの物だ。生かすも殺すも客さんの自由だ」
店主の言葉を背に、テル、ルビー、名も知れぬ獣人は奴隷商店を後にした。
この国の奴隷に対する現状を目の当たりにしたテルとルビー、表情は暗く俯き加減。地下空間から久しぶりに解放された獣人は、地上の明るさがまだ目に染みるようで、テルとルビーとは別の意味での俯き加減。
やがて3人は屋敷の正門へとやって来た。テルとルビーにとって見慣れた光景。獣人にとってはさらに見慣れていた光景。獣人は驚いた表情でテルに尋ねた。
「何故この場所をあなた達が?」
「えぇっと、言い忘れたんだけど、そのなんだ…… とにかく、フィーネが待ってる」
屋敷の庭園を進み玄関前にやってくると、そこにはフィーネが待ち焦がれたかのように3人の帰りを待っていた。
フィーネの姿を見るなり、獣人の目が潤む。薄汚いボロ服を纏いながらも、最大限の敬意を込めてフィーネと向き合う。
「ただいま戻りました、フィーネ様」
「おかえりなさい。テル、ルビー、ギンサー」




