32.雨宿り
気付くとそこは馬車の中。差し込む朝日に瞼を焦がされ、車輪からは絶え間なく振動が伝わってくる。
テルは馬車の中で目が覚めると直ぐに、昨晩何が起きたかを思い出した。
昨晩は宿に軍が押し寄せ、間一髪でイリアヒルの街から脱することができた。
しかし、その後の記憶が曖昧で、疲れと窮地から逃れた安堵感により、眠りに落ちてしまっていたのだろう。馬車の外を流れる風景、それは今まで全く見覚えのない地のものであった。
テルの向かい正面ではルビーが足を屈めこんで眠っている。
「ルビー、ルビーさん……」
「んんっ……んんっ」
「ちょっと起きてルビーさん」
「ふわぁぁぁ、おはようテル」
お目覚め後数十秒の間ルビーは寝ぼけ、上半身を起こした状態で二度寝しようとする。
「これこれ、起きて起きて」
テルが頬を指先でツンツンと突くとようやく目を見開く。そして自分が置かれている状況を理解できず茫然とするルビー。
「あれっ?私達……」
「昨日の晩、街から出るために夜行馬車に乗り込んだんだ」
「あっそうか……」
ようやくルビーの意識がはっきりとし、今に至る経緯を理解したようで不安気な表情を浮かべる。問題は今、自分達が何処に向かっているかである。
「テル、この馬車どこに向かってるの?」
「……わからない。全く見たことのない景色だしな。朝が明けるまでに、かなり遠方まで来たのかもしれない……」
テルとルビーは顔を向い合せ、これからどうしようと考えていた時、馬車の乗務員が二人に声をかける。
「昼前には終点に着くが、そこまで乗っていくか?降りるんだったら早めに言ってくれ」
「終点は何処なんですか?」
テルが馬車の乗務員に終着地を尋ねると、全く聞き覚えの無い地名が返ってきた。乗務員が告げた地名は初めて聞いた地名だったので、正しく文字に書き起こす自信が無いほど曖昧にしか分からなかった。
「とりあえず、その街まで乗って行こう。今後の事を考えるのはそれからだ」
「うん。じゃあ私、もう少し寝るね」
そう言うとルビーは横になり、二度寝しようとしていた。どんだけ眠かったのだろうか……
そうは言いつつテルも街に着くまで暇を持て余し眠いので、二度寝しようと思っていた時だった。
馬車の後方に目を向けると、馬車を追走し徐々に近づいてくる黒い影。よく目を凝らし、それが何なのかを認知したテルは乗務員に大声で伝える。
「おっさん、スピード上げろ!魔獣だ!後方から魔獣が追ってくる!」
「お客さんそういう冗談は…… ってマジかよ!あぁぁぁ最悪だもう……」
乗務員が一瞬後方を振り返っただけで、迫ってきていることが分かる程、魔獣は距離を詰めてきていた。馬に鞭を入れると、一気に馬車は車速を上げる。
テルの大声と、車輪から伝わる振動が大きくなったことにルビーも気付き飛び起きる。そして馬車後方の様子を伺い、ルビーも思わず声が出る。
「うそ…… 嫌…… なんで……」
「ルビー、奥に下がってろ」
テルは直ぐに弓を構え応戦体制に入る。
「テル私も…… 私も戦う」
「ダメだ。ルビーは力を使うな」
「でも……」
「俺がどうしようもなく追い詰められた時。その時は助けてくれ」
「わかった」
斥候の魔獣が馬車に接近したところで、矢を放つ。揺れの激しい馬車から狙ったにもかかわらず、矢は魔獣の頭部を射抜き一体脱落。すぐさま別の個体が群れから抜け出し、馬車に近寄る。次の一手は脚を捉え魔獣は転倒、後ろから迫る群れに飲み込まれ踏み付けられる。
「ありがとうシグレさん。最高の調整具合だ」
テルが長年愛用している弓は未だ嘗てないほどの調整が施され、次々に魔獣を射止める。宿を出る直前、シグレが勝手に弓と剣の整備をしてくれたらしいが、それはもう最高のコンディションに達していた。
「さて、そろそろ数は減ったかな……減って無いな。 クソ!どんだけ群を成してるんだ」
既に対魔獣用の矢は残り僅か。群を一掃する前に矢が尽きる。
「おっさん、もっとスピード出して!」
「無理だ!性能の限界だ!これ以上飛ばしたら馬車が分解しちまう!」
既にかなりの車速に達していた馬車の車輪は、地面の凹凸を踏むたびに時より接地場所を失う。既に性能の限界。魔獣の足は確実に馬車を上回っている。
程なくして対魔獣用の矢を全て使い切ったテル。馬車から放たれる矢が止むや否や魔獣飛び上がり馬車に飛び込んでくる。タイミング良く魔獣の首元を剣で一突き、そのまま地面に転がり落ち一体脱落。
「おいおいお前鈍じゃなかったのかよ。こんな剣にまで何を施したんだシグレさん……」
普段であれば魔獣に有効打を与えられるわけが無いであろう鈍な剣。そんな鈍がシグレの手によって、魔獣にもある程度対抗し得る物に鍛え上げられていた。
思わず自分の剣に魅せられていたテルだが、魔獣が単独では無く群れで一気に距離を詰める。一気に襲い掛かられたら対処のしようが無い。テルは背を振り向き、ルビーと目を合わせる。ルビーは自分の役割が来たと直ぐに悟り、揺れる馬車の中立ち上がる。
「いくよ、テル……」
雷が魔獣の群れを押し潰すかのように天から落ちる。雷の残像が薄れ、馬車後方を確認すると既に追ってくる魔獣の姿は無かった。
「よくやったルビー、ナイスだ!」
テルは犬の頭を撫でるかの如く、ルビーの頭を撫でる。鬱陶しそうな表情を浮かべるルビー。
いや、待てよ魔獣は一掃した。しかし今起こった出来事を第三者の乗務員に見られた。事後になって気付くルビーとテル。なんとか誤魔化そうとテルは乗務員のおっさんに声をかける。
「あ、あのおっさん…… 今のはですね」
「やばい、やばい、止まれ、止まれって! 馬が興奮して暴走してやがる」
馬車の前方で起きている事態は、誤魔化す、誤魔化さないどころの状況では無かった。魔獣そして突然の落雷で興奮状態になった馬は制御不能に陥り、全速で駆ける。
「おっさん、馬車を切り離すしか」
「ダメだ間に合わない! もうこの先は谷だ!」
その言葉が耳に届く頃には、目先の道は途絶え、その先には空が続いていた。ルビーを連れて馬車から飛び降りる猶予など無い。
「ルビー掴まれ!」
テルとルビーは馬車にしがみ付く。直後、馬車は無重力となり二人の身体が宙に浮かぶ。その後は重力に任せ馬車は速度を増し谷底を目指して落ちていった。
――――――――
ルビーは目を覚ますと背中に硬い物が当たっていることに気付く。空は橙色に染まっている。耳元では勢いの良い水流が忙しなく音を発する。
ルビーが目覚めた場所、そこは河原であった。
ルビーはその場で立ち上がり、辺りを見回す。少し離れたところで、仰向けになっていたテルが起き上がろうとしている姿が目に入った。
「テル怪我はない?」
「あぁこうやって歩けてるからな、無さそうだ」
「良かった…… 私もだけど」
「よく二人とも無傷だったな……」
馬車が落ちた谷がどれ程の深さだったか、二人は知る術も無かったが怪我が無かったのは奇跡的であった。自分たちが無傷な事に笑いが出てしまう程に幸運だった。
そして辺りを見回しても馬車の残骸が見当たらない事に気づく。
「もしかして、流されたのか?」
「そうかもね……」
「まいったな、ここが何処かもわからねえし、陽も暮れてきたし……」
「二人とも無事だっただけで十分だよ」
「そうだな。早いとこ道を探そう」
橙色に色づいた空には、雨粒を抱え込んでるであろう分厚く薄黒い雲が近づいてきていた。
――やがて、橙色の陽に代わり月が地を照らす頃合いになると、大粒の雨が落ち始めた。雨粒は木々の葉を揺らし、雨の音を作り出す。
冷たい雨に心身削られ、疲労困憊なテルとルビーの目に明かりの灯った建物が映る。その建物は立派な屋敷で、並大抵の人が住めるような代物でないことは明らかであった。そして屋敷の近くには小さな物置小屋が隣接していた。
「雨が止むまで、あの小屋で雨宿りさせてもらおう」
「うん」
勝手に金持ちの敷地に侵入した事が知れたら、厄介ごとに繋がりそうではある。が、冷え切った体はこれ以上雨に当たらない事を望んでいた。
二人は内心祈る。雨が止むまで見つかりませんように、見つかりませんように……
「あなた達、何をしているの?」
見つかってしまった!
テルとルビーは文字通り雨に打たれ凍える子犬のような眼つきで、声の主に視線を送る。
声の主が手に持った明かりにより辺りが照らされると、傘を差した少女の姿が浮かび上がった。




