20.奉公
テルは困って頭を抱えていた。
ルビーも困って頭を抱えていた。
シグレの宿に来て10日程が経ったある日。3日分ごとに宿代を払っていた二人だが、ついにこの日の支払いをもって手持ちの金が尽きてしまった。
「ルビー、あと宿代何日分の金が残ってる?」
「まったく残ってない……」
「「はぁ……」」
不味い飯を強要される代わりに、格安の宿代で世話になっているテルとルビー。しかし格安の宿代をもってしても資金が底をついた。
いよいよこの街で働き口を探さなければならないわけだが、テルは既に目星を立てていた。
テルはともかく、問題はルビーである。
「テル、どうするの?」
「報酬がかなり良い仕事の噂を耳にしてな。1日働けば5日分の宿代は払える額の報酬でさ」
「なにそれ、すごい」
「で、問題はルビーさん? どうする?」
「…………」
「よし、それならこの宿の住み込み奉公という形で宿代免除というのはどうだ?」
「うわぁっ、シグレさんいつからここに」
部屋の扉は締めていたにもかかわらず、気が付いたら部屋の中に自然と溶け込んでいたシグレ。部屋の何処かに隠し扉でもあるのだろうか、或いは……
それはともかく、シグレの提案は至ってシンプル。宿の手伝いをする代わりに宿代免除、さらに小遣い程度のお金も渡すというものだった。かなりの人見知りで内気な性格のルビーにとって、初めての街でテルと離れて働くなど事実上無理な話だ。だからこそ、シグレの提案はルビーにうってつけであるように思えた。
「ルビーどうする? 悪い条件じゃないと思うけど」
「どうしようかな……」
「他に選択肢は無いと思うけど?」
「でも……」
ルビーはそう言うとシグレの胸元が開けたドレスを注視する。
「あぁ、この服か。これは従業員の制服だ。ルビーちゃんにも着てもらう、今から採寸する?」
「だから嫌だったのに……」
ルビーが嫌がっていたのはシグレの着ている、問題のドレス。目立ちたがらないルビーにとって、無駄に露出した服を着て見知らぬ人を相手に接客するなんて生き地獄に他ならない。シグレの様な立派な胸を備えているわけでもないので尚更コンプレックスになる。
「嘘よ。別にこの服は着なくても良いわ。制服なんて最初からないから」
「本当?」
「えぇ。あと任せるのは裏方の仕事だけ。食事の準備に部屋の清掃」
「その方がルビーちゃんも気が楽でしょ?」
「はい!」
ルビーは迷いが晴れたかのように明るい表情で答えた。
これはテルにとっても巡りめぐって朗報である。食事当番がルビーになるということは、シグレの悍ましい手料理から解放されることを意味するからだ。
「よし、ルビー頑張るんだぞ。俺は自分の仕事を探してくる」
テルは上機嫌でそう言うと、宿を後にした。
――――――――
テルはいくつかの高報酬の働き口に目星を付けていた。その中でも”とある酒場での接客”というジョブがあり、これがまた高報酬なのだ。
特別なスキル不要、力仕事無し、知力不要、そして日払いで高報酬を支給という好条件。もうこれしかないとテルは心に決め早速”とある酒場”へと足を運んだ。
――――――――
酒場の店主はテルの容姿を確認するなり、即採用通知を出す。早すぎる……
「いやぁ、ウチの店はこの街でも人気店でね。君のような”若い娘”なら大歓迎だよ。でも、お客さんは神様みたいなものだから失礼が無いようにね」
テルは制服を渡され、仕事内容の簡単な説明を受ける。
んっ、酒場なのになんで制服なんかあるんだ?
そんなことを思いながら、渡された制服を広げるとテルは驚愕した。テルの背には店主が仁王立ち、もう引き返せない。
――テル、接客を開始する。
「お、お客様ご注文はお、お決まりで、ですか……?」
「おぉぉぉぉぉ!新入りさん!可愛いぃぃぃぃ!おしり触ってもいい?」
酒場の客はそう言うと、ごっつい手で尻の肉も摩り出した。男の尻、テルの尻を……
「すっべすべだぜぇ!たまらねぇな!チップあげるからこの後楽しまない?」
女性用の下着のようなパンツに、ヘソを思いっきり露出させた上着。とんでもない制服を着せられたテルは引きつった顔で、客の相手をする。そして、客に触られる触られる……
客は男だけ、接客している店員も男だけ。
この酒場、通称”ホモ酒場”と呼ばれる特殊な店であった。イリアヒルの街でもこの手の酒場はここだけ。なので繁盛しているのも頷ける。
スキル不要、力仕事無しでこの報酬、そんな上手い話があるわけないだろうが!
テルは思わず自分自身に突っ込みたくなる、突っ込む暇もない程次から次へと客に呼ばれ触られる、触られる。
その後、テルがこの酒場に顔を見せる事は一度たりとも無かった。
――――――――
酒場で散々尻を触られた感触が体に刻まれ、寒くも無いのに鳥肌が立ちっぱなしのテル。シグレ宿へと帰りを急ぐ。
宿に戻ってくると丁度、夕食を知らせる鐘が鳴っていた。
”お尻触り酒場”の事は忘れよう、今日からルビーの手の入った、まともな夕食が食べれる。まともどころか、ルビーの料理はなかなかの腕前である。
期待を膨らませ、食堂へやって来たテルの目の前にルビーが自ら料理を運んでくる。
「はい、いただきます」
「あっテル待って」
ルビーの静止を振り切り、テルは料理を口に運ぶ。
途端に血の気が引く。不味い!ルビーお手製の料理な筈が、味音痴シグレの手料理と変わらない味。まさかシグレグルメに侵されて、ルビーの舌も狂ってしまったのか?
「あのね、テル……」
――事の発端は、少し前の厨房に遡る……
夕食の準備を任されたルビーは、食材の下ごしらえから熟す。
村に父親と住んでいた頃は、毎日炊事を熟していたルビー。手料理は慣れたものである。
自分の手料理でテルに喜んでもらえる光景を思い浮かべ、少し恥ずかしくなりながら手を動かす。
「うん、これで大丈夫……」
味見をし、問題ない味付けであることを確認するルビー。
するとシグレが厨房の様子を伺いにやってきた。
「おっ順調そうね」
「はい、料理は得意なので。たぶん……」
「そう、助かるわ。ちょっと味見させて」
味見をするや否や、眉間に皺を寄せるシグレ。
「ちょっと、味が薄いんじゃないかしら?」
「えっそんな事無い……と思いますよ」
「あなたの地元では薄味が流行っていたのかもしれないけど、この街ではこの味はウケないわ。貸して」
「えっ、ちょっと」
無情にもルビーの自信作にシグレの魔の手が加わり、瞬く間に大量の調味料が投入された。
「よし、これでいいわ」
シグレは一口味見すると、満足げに厨房から去って行った。
――――――――
そんなこんなで、料理の味付けが”シグレ風”になった経緯を説明したルビー。
「それは災難だったな……」
「うん……」
どうやらこの宿にいる限り、このシグレ風の料理からは逃れることができないらしい。
テルとルビーは苦笑いをしつつ、食事を進める。
「テルは街での仕事、どうだった?」
「……まぁその、なんだ。世の中上手い話には裏があるんだなぁって思ったよ、はははは……」
「?」
「この街で高報酬の仕事は大いに訳ありな物ばかりだ。関わらないに越したことはないよ、君」
シグレが会話に入り込んできた。
「やはり君は冒険者をやるべきだと私は思うけどね」
「田舎者の冒険者が、物騒な街近辺でやっていけるんですかねぇ……」
「リスクが高い分、冒険者に対する報酬も悪くは無い、この近辺はね。君の腕前であれば過信さえしなければ、やっていけると私は思うけどね」
尻を毎日男に触られるか、冒険者として復帰するか。迷わずテルは後者を選んだ。
そして翌日、冒険者家業に復帰するためイリアヒルのギルドへと足を運んだ。




