19.ルビーの特訓
シグレの宿で最初の朝を迎えた。
得体の知れない食事に毒されてから一晩。二度と目が覚めないのではないかと覚悟して床に就いたが、無事であった。
それどころか、テルはいつもよりお腹の調子も良いような感じさえしていた……
自身の無事に安堵していたら、廊下の鐘が鳴った。
朝の”食事の儀”がやってきたようだ……
朝陽が差し込み、昨晩とは違い明るさに包まれる食堂部屋。テルとルビーは昨晩同様向かい合って椅子に腰を下ろすと、引きつった顔で料理が運ばれてくるのを待つ。
「おはよう。昨晩は眠れたかしら?」
「えぇ、よく眠れました」
「そう、よかったわ。悪いんだけど、朝食は私の手料理じゃないの。街で仕入れてきた出来合い物」
シグレは心底残念そうに言うと、パンが詰められた籠をテーブルに置く。
「やっ……た。じゃなくて、頂きます」
「いただきます」
テルの口から一瞬本音が洩れかける。
テルとルビーの引きつっていた顔は一瞬で緩み、なんの心配もせずにパンにかぶりついた。
あぁ、何処にでも売ってそうなありふれたパンを食べれることが、こんなにも幸せとは……
至って普通な食事を終えると、ルビーがオドオドと話題を切り出した。
「あのねテル。昨日のお願い覚えてる?」
「あぁ、今日は一日付き合うぞ。で、何をすればいい」
「その……私、つよくなりたい!強くなりたいの」
「えぇっと、それはどういう意味」
「そのままの意味だよ。私いつもテルに守られてばかりで…… だから私も、自分の事は自分で…… ううん、テルの力にもなりたい」
ルビーの突然の申し出に困惑すると共に、ルビーの意外な内心を初めて知ったテル。
しかし思い返してみれば、守られているのは自分ではないかとテルは気づく。少なくとも、魔獣相手に自分の技量だけでは対処しきれなかった。
「……テル?……テル?」
「あぁ、悪い。で、なんだっけ?」
深く考えるあまり、ルビーが言っていた事を一部聞き逃した。
「えっと、だからね。今日、人気の少ないところで試してみようと思うの、あの力を。練習したいからテルも着いてきて……くれる?」
「……わかった。準備しよう」
勝手に一人で人気の無いところに練習しに行って、誰かに絡まれたりしたら非常に厄介である。即決でルビーに付き合うと決めたテル。
それにしても、自分から自分を変えたいとルビーが言えるようになったとは。以前であれば自分を変えたいだなんて言いそうになかったものを……
ルビーの内面も自分の知らないところで変化したのだと、少しテルは嬉しく思った。
「人気の少ない所なら、西方の旧道を行くと良いわ」
「って、シグレさん?」
「何をするのかは知らないけど、あそこなら盗賊も通らないし魔獣の心配もない」
「あ、ありがとうございます……」
朝食の後片付けを終えたシグレが会話に割り込む。
どうやらテルとルビーの会話はシグレに筒抜けのようであった。
――――――――
二人はシグレに教えられた通り、街から西方の道を往き森の奥深くへとやって来た。
朝の天気とはうって変わり、頭上には灰色の積乱雲が近づいてきていた。しかし、ルビーの力を試すには都合が良い。ルビーが雷を落としたところで、雨雲からの落雷としか思われず誰からも怪しまれないからだ。
「ここでいいかな?」
「うん」
森の開けた場所にやってきた二人。テルが道端で拾った土嚢をいくつか積み上げる。
「で、どんな練習を?」
「この距離から、土嚢に命中させる……」
積み上げた土嚢から100メートル程離れた位置から、命中を宣言するルビー。
雷を打つ能力、ましてや魔法と呼ばれる力自体使えないテルにとって、この距離で命中させるのがどれ程の難易度なのか定かではない。
目を瞑り集中力を高めるルビーから数歩下がった位置で、雷が放たれるのを固唾を飲んで見守る。
ルビーの後ろ髪を靡かせていた風が止むと同時に、ルビーから発せられるオーラが変わる。
テルが耳を塞ぎ、目を限界まで細めるたのと同時に、大地が震えるような振動と共に天から真っ直ぐ雷が落ちた。
「テル、どうかな?」
「うん、これは当たって無いな」
標的から5メートル以上離れた場所で煙が立ち込めていた。
「もう一回……」
そう言うと、テルが耳を塞ぐよりも早く、次の一発を落とすルビー。
「どうかな?」
「さっきよりも外してるかな…… あと、率直な感想を言ってもいい?」
「何?」
「五月蠅くない?雷落とすときに。あれなんとかできないのかなって…… 仮に戦闘の時に味方の近くで落としたら、当たらなくても味方まで狼狽えるぞ……」
ルビーの雷が実践向きでは無いとテルは手厳しく指摘した。
「うん、そうだよね。もう少し力を抑えればいいのかな。でもどうやって調整すればいいのか分からない……」
図星を突く指摘に少し落ち込みながらも、改善の手立てを考えるルビー。
ルビー曰く、力を細かくコントロールする術を自分は持ち備えてないという。
「あともう一つ、言ってもいい?」
「うん……」
「雷落とす度にリボンが切れて、髪が開けるのはなんで?」
「そんなの私が知りたいよ……」
幼少期から気になっていたルビーの謎の一つ。力を使う度に後ろ髪を止めているリボンが切れるのは何故なのだろうか。何か不吉な感じが拭えない。
「テル、もう一回やってみる」
「はいよ」
3発目に打たれた雷は的を正確に捉えていたが、土嚢に直撃する直前に先細り土嚢を破壊するに至らなかった。
「今のは、惜しいな……」
「もう一回、もう一回やらせて」
能力の使い過ぎなのかルビーの息は上がっており、3発目の威力が不十分だったのもこのせいであろう。
「一旦休もう……」
テルが気の利いた言葉を考える前に、分厚い雲は雨粒を落とし始めた。
「テル、いくよ」
「ストップ、ストップ! もう今日はお終いだ」
「どうして?」
「こんな雨の中打ったら、自分達にも雷の影響が及ぶ」
「そっか」
「そうだ。それにもう眼が真っ赤になってるし、顔がげっそりしてるぞ」
「そうなの?」
「そうだ。今日はお終い。宿に戻ろう」
覚束ない足取りで街へと引き返すルビー。
テルは心配になる。力を使う事により身体的に何らかの負荷が掛かっているのではないかと。
できる事なら、力を使うような場面に出くわさないでほしい。そう願わずにはいられなかった。
――――――――
「あらルビーちゃん、なんか雰囲気変わった?」
「どうなのかな……」
「夕食はキャンセルして、早く休んだ方がいいわね」
「……えっ?そうなんだ……」
宿に戻るとシグレがルビーの普段とは違う、情熱を宿したかのように赤くなった眼を見て言葉をかける。
ルビーの目は泳ぎ、シグレの問いかけも十分に理解できないほど意識が朦朧としていた。
「俺もルビーの様子が心配だから、夕食はいらないです」
「何言ってるの? ルビーちゃんの分まで君が食べるのよ? わかった?」
「はい、わかりました……」
「君が戻ってくるまで、ルビーちゃんの様子は私が見ておくわ」
あわよくば自分もシグレの手料理から逃れようとしたが、シグレの気迫に成す術も無かった。
結局ルビーの分まで美味しいとは言えないシグレの手料理を味わうこととなった。
食事を進めながら、テルは考える。
ルビーの力の欠点についてだ。
敵味方が近距離で混戦するような場面では、今の精度で雷を打たれては誤爆する可能性が高い。
もう一点、天候が雨の場合は自分達がダメージを受ける可能性が拭いきれないということ。
魔獣を一発で仕留めるだけの威力は絶大だが、使いどころが難しい。
今まで、上手い事ルビーの力で脅威を排除できていたのは運が良かっただけなのだろうか……
そんな事を考えているうちに皿の白い底が見え、ようやく二人分のシグレ手料理を完食。
直ぐにルビーの部屋へと様子を見に行ったが、シグレの介抱の甲斐あってか、ルビーはぐっすりと眠っていた。
「森で何をしてきたのかは聞かないけど、ルビーちゃんならもう大丈夫。明日には元気になっていると思うわ」
「ありがとうございます。助かります」
シグレは事情を詮索することなく部屋を後にした。




