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最終話 放課後


「な、なんですって……?」


 思わず聞き返してしまったけど、鈴木みどりは確かにこう言った。『自分のオモチャになれ』と。

 『オモチャ』という言葉から、どうしてもよくないことを連想してしまう。そりゃそうだろう。この男は、僕も光莉姉さんも『鋭角』さえも、さんざん弄んできたのだ。


「ああ、オモチャになれという言い方だとちょっとまずいか。心配しなくて良いよ。別に水島に悪いことをしようってことじゃないんだ」


 ウソだ。そもそも鈴木みどりがしてきたことが、悪いことじゃなかったという例が僕には思い浮かばない。それでも僕は、何も言い返すことができずに、ただ次の言葉を待つしかなかった。


「そう、水島には先生のために動いて欲しいんだよ」

「……あなたのために?」

「いやさあ、先生は面白いことが好きだろ? でも、そのためには情報収集が必要なんだ。この映像のようにな。ただやっぱり、先生一人じゃ集められる情報に限界があるんだよ。そこで……」

「僕に、生徒の秘密を集めろって言うんですか!?」

「いやいや、そうは言ってないだろ? でも、そうしてくれるのなら、面白いよなあ」


 鈴木みどりは楽しそうに、心の底から楽しそうに笑う。この男は本当に、面白ければ他人を踏みにじろうと不幸にしようとどうでもいいんだ。いやむしろ、自分が他人を踏みにじっているというその感覚そのものが、面白いと思っているのかもしれない。


「僕がそれを……やるとでも思っているんですか?」

「うん? 別にやらなくてもいいよ。ただそれとは関係なしに、先生は薬師のやったことを他の先生に伝えるけどな」

「そんな……待ってください!」

「おいおい、先生は教師だぞ? 生徒がいじめをしていたら、ちゃんと止めないといけないんだ。何か間違ったことを言ってるか?」

「わかりました! 先生の言うとおりにします! だから……光莉姉さんのことは……!」

「おお、そうかそうか。水島はいい子だなあ。ま、先生も気が変わったし、薬師のことは心の中にしまっておくとするか」


 ……ダメだ。ここで逆らったら、光莉姉さんはそれこそ致命的なダメージを負ってしまう。姉さんは悪くない。例え彼女が僕の思い通りの人じゃなかったとしても、それでも姉さんは……


 光莉姉さんは、僕の大事な人なんだ。


「よしよし、先生は優秀な生徒は大事にしたいからな。さて、まず水島には何を頼もうかなー」


 僕を完全に屈服させた男が、勝ち誇った笑顔を浮かべている時だった。


「鈴木先生、お言葉ですが彼に手を出すのは止めた方がいいですよ」


 その声。教師という大人に対しても、そして僕たちを苦しめた『鋭角』に対しても、一歩も退かなかったその強い声。

 そしてこの状況においても、堂々としたたたずまいを崩さず、鈴木みどりに向かって真っ直ぐ向かっていくその姿。

 本来、この場所を根城にしていた人物……黛瑠璃子がそこにいた。


「……なんだ、黛か。本当にお前はいいところで邪魔をするよなー」


 鈴木みどりはやはり黛さんが嫌いなようで、額にしわをよせて不快感を前面に出している。それでも黛さんは揺るがない。『鋭角』相手にもやり過ごしていたような人だ。この程度では揺るがない。


「で? 先生はお前に興味はないんだ。……ああ、お前は全部に興味がないんだったかな?」

「ええ、そうですよ。鈴木先生のくだらない楽しみも、邪魔するつもりはないです」

「それなら、お前が口を出す理由はないよな? どういうつもりなの?」

「……別に。ちょっとした忠告ですよ。その水島くんにちょっかいを出すのは止めた方がいい。そういうことです」


 黛さんはチラリと僕を見て、再び鈴木みどりと向かい合う。その姿が、今の僕には眩しかった。


「彼、水島くんには校長先生とのパイプがあるのはご存じですよね?」

「……ん? ああ、確か校長と水島は連絡先を交換してたんだっけ?」


 確かに、僕は『鋭角』を罠にはめるために、校長先生と連絡先を交換した。体育館で一部始終を見ていた人はそのことを知っているだろうし、黛さんや鈴木みどりが彼らからその話を聞いていてもおかしくはない。

 ……でも、校長先生との繋がりは、本当にそれだけだ。そもそも彼は今、入院しているし、僕のいうことを全て信じるとは限らない。『パイプ』と呼ぶには弱すぎる。


「……おいおい、まさかそれだけのことを、校長とのパイプだって言うのか?」

「そうですよ。彼は何かあれば、すぐに校長先生と連絡が取れる。鈴木先生にとって、これはかなりまずいことだと思いますが?」

「……黛。お前、たったそれだけの材料で、先生を動かそうって言うの?」

「……」


 そうだ。いくらなんでも、武器としては弱い。鈴木みどりが校長を言いくるめてしまえば僕の訴えなんて退けられてしまう。それに黛さんだって、どうなるかわからない。

 だけど鈴木みどりは、そんな黛さんを見ながら……


「くっ……あっははははは!!」


 高らかに、笑いだした。


「ははははは! こりゃ面白いや! まさかお前がこんな分の悪い賭けみたいなことをしてまで、誰かを助けようとするなんてな!」

「……」

「いいよいいよ。お前の面白い姿に免じて、水島には手を出さないでやるよ。あ、言っておくけど、別に先生は校長に告げ口されたところでどうでもいいけどな。実家に帰ってニート生活を満喫してもいいし」


 ……引き下がった、のか? あの鈴木みどりが?

 いや、これは引き下がったんじゃない。『引き下がってくれた』んだ。

 だけど結果として今、鈴木みどりは僕らに背を向けてその場から立ち去ろうとしている。その途中で黛さんに話しかけた。


「でもな黛、先生はひとつ思うんだよ。お前には欲望ってものがない。だから見ててつまらない」

「ええ、自分でもそう思いますよ」

「だけどそんなお前がもし、何かの欲望を持ってしまったら……」


 鈴木みどりは黛さんに振り返る。



「それを潰すのは、さぞ面白いだろうなあ」



 その歪んだ欲望が前面に出た笑顔は、僕を、そして黛さんをもたじろかせた。


「それじゃ、先生はここで失礼するよ。それにしても教師って仕事は本当にいいなあ」


 ……今度こそ鈴木みどりが去った後、黛さんは大きくため息を吐いた。


「なんとかなった……そう考えていいようね」


 その姿を見て、僕は思う。今回のことは、本当に彼女にとっても分の悪い賭けだったんだ。そしてそうまでしても、この人は僕を……


「あの……」

「……アンタのことを助けたかった。そう思ってる?」

「え?」

「正直言って、自分でもよくわからないわ。なんでこんなことしたのか。でもね、一つだけ言えることがある」


 そして黛さんは、少しだけ微笑んだ。


「私にはまだ、誰かのために動くなんてことは出来ない。だけどアンタにはそれが出来る。それを少しだけ、うらやましいと思った。それは事実よ」


 ……そうか。

 この人は、何事にも興味がないって言っていた。鈴木みどりも、欲望がないと言っていた。だけどそうじゃないんだ。


 この人も、大切な何かを求めている。それは本当に、強い欲望なんだ。


「僕は……」

「ん?」

「僕はあなたも、それが出来る人だと思っています。あなたにも、大切な誰かが出来たとしたら……あなたはその人のために、それこそ全てを投げ出しても、動いてしまう人なんだと思います」

「……そうであってほしいわね。ま、今はまだそんな人いないけど」


 黛さんは、一瞬だけ寂しそうに目を伏せた後に僕に向き直る。


「ほら、アンタにはその大切な誰かがいるんだから、行ってあげなさいよ。邪魔者は、もういないんだから」

「……はい。ありがとうございました」

 

 僕は黛さんと別れ、三年の教室に向かう。

 

 ……僕は思う。光莉姉さんには確かに僕の知らない部分があるのだろう。

 だけど……それでも変わらない事実がある。光莉姉さんが、幼い頃から僕の面倒を見てくれたこと。そしてそのことを、僕が感謝し、嬉しく思っていること。

 だから僕は向かう。大切な人の元へ。


「姉さん!」


 三年の教室に着いた僕は、一目散に光莉姉さんの前に向かった。

 当然のことながら、姉さんは僕を見て怯えるが、僕はその姿から目を逸らさない。


「あ、あの、晶くん。本当、さっきのは……」

「姉さん、頼みがあるんだ!」


 僕は姉さんの右手首を掴む。彼女はますます怯えるが、それでも僕はその手を強く掴む。


「この手で……僕を殴って」


 それを聞いた光莉姉さんは、目を丸くして驚く。僕の言っていることが理解できないのかもしれない。だけど……


「僕は光莉姉さんにひどいことをした。でも、そのことを誰かのせいにしようとした。僕たちはお互いに、自分のやったことを認めたくなかったんだ。だから、光莉姉さんを殴ってしまった僕は、姉さんに殴られる義務があるし、姉さんにはその権利がある」

「何を、言ってるの……?」

「姉さん。僕はあなたのことをまだ知らない。姉さんの辛さも、弱い部分もまだ理解していない。でも、僕はそこからもう目を逸らさない。だから、姉さんも目を逸らさないで欲しい」

「……」


 姉さんはためらうように視線を落とす。だけど、僕も姉さんも強くならなければならない。誰かのせいにしないように、自分の罪を認められるように。


「姉さん。今はそれが出来なくてもいいよ。だけど……姉さんが辛いときには僕がいるということを知って欲しいんだ。僕は……光莉姉さんが、一番大切なんだから」 


 その言葉に、顔を上げた姉さんは目に涙を浮かべる。


「……晶くん。私、信じていいの?」

「僕はこれから、ずっと姉さんを信じるよ」


 その言葉を聞いた姉さんは……


「……っ!!」


 僕の頬を、軽く叩いた。


「光莉姉さん……」

「……ごめんね、晶くん。本当に、ごめんなさい……」


 その場に泣き崩れた光莉姉さんは、ようやく心の底から謝れたんだと思う。

 だけど僕を叩くその力は、まだ不十分だ。いつか僕がまた間違ったときに、彼女がきちんと僕を叩けるようになってもらわないとならない。


 僕が学んでばかりの時間はもう終わった。これからは自分で考え、動き出さなければならない。そして光莉姉さんが、本当の意味で僕を叩けるようになるように……



 そのために、僕の時間は彼女に捧げよう。



彼女に捧ぐ放課後 完

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