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非推理小説

作者: 東堂柳

「えー、ガイシャは堀田忠義、四十三歳。大手貿易会社の社員だそうです。解剖しないことにはハッキリとは言えませんが、死後八時間から十時間は経過しています。死因は背中を刺されたことによる出血性ショックだと思われます。凶器は床に落ちているあのナイフでしょう」


 新米刑事が死体を前に、状況をメモした手帳の内容を読み上げる。

 彼の言うナイフは、死体から少し離れたところに、無造作に置かれていた。犯人が逃げる時に捨てたのだろう。刃には被害者のものと思われる血がべっとりと付着している。


「目撃証言は?」


「今、捜査員がこのマンションの住人と、その周辺に聞き込みを行っているところです。しかし、死亡推定時刻が正しければ、犯行当時は深夜から早朝にかけてですし、目撃者を見つけるのは難しいかと……」


「第一発見者は?」


「ちょっと待ってください、ええと」


 新人は指を舐めて、手帳を繰る。


「伊東宏明、四十一歳。ガイシャの部下で、今日は休日だったのですが、ガイシャに仕事のことで呼ばれたそうです」


「もう話は聞いたのか?」


「ええ、彼によると、約束の時間になったので、この部屋の前まで来たのに、いくらインターホンを押しても返事がない。鍵もかかっていて、仕方がないのでマンションの管理人に言って、開けてもらい、そこで死体を発見したそうです」


「現場に手を付けたりは?」


「一切していないそうです。発見当時のままです」


「ならば、死体のそばに零れたインスタントコーヒーの粉は?」


「発見したときからそうなっていたそうです」


「じゃあ、窓の鍵も?」


 私はベランダに面した大きな窓に近寄ると、サムターン錠を指さした。


「ええ、掛かったままだったそうです」


「ということは、この机の上にある鍵も?」


 私は部屋の真ん中にある、背の低い机の上に置かれている、ストラップの付いた鍵を指さした。


「ええ、そこに置いてあったそうです。これは、伊東氏だけでなく、管理人からも証言を得ています。あ、ただ……」


 来た! 遂に来たぞ! 玄関にも窓にも、この部屋の出入り口になる所にはすべて内側から鍵がかかっている。


 そう! これはあの、本格派推理小説でよく目にする、あれだ。


 密室だ!


 しかも今回はそれだけじゃない。死体のそばの零れたインスタントコーヒーの粉。部屋に他に荒らされた形跡はない。さらに明らかに誰かが手をつけた跡がある。


 そう、これもまた、推理小説ではよく見られる、ダイイングメッセージという奴だ!


 私の気分は最高潮に達していた。傍らで新人が何か言っているが、そんなものは耳に入らない。

 私は完全に自分の世界に入り込んでいた。


「不謹慎ながら申し上げさせてもらうとだな、私はこういう状況にとても憧れていたんだよ」


「はい?」


 話を遮られた新人は、きょとんとした顔で私を見る。


「実を言うと、私は推理小説の大ファンでね。こういう難事件を解決したくて刑事になったようなものなんだよ」


「はあ」


「しかしどうだね、この国の警察というのは、どういう事件も科学捜査で次々解決していってしまう。これでは、あまりにも呆気なくて風情がない。ロマンの欠片もないじゃないか! かのポーやクリスティだって、今の状況を見れば、さぞ嘆くだろうよ。これじゃあ、面白いトリックなんて作ったって、とても現実的じゃないと非難されてしまうとね」


 私は嘆いた。


「そこへ、この密室殺人だ! 謎に包まれた密室! さらにはこのダイイングメッセージ! それを私が華麗に解決すれば、もしかすると、小説化、ドラマ化、いや、さらにはハリウッド進出だってあるかもしれないぞ!」


 昂ぶる気持ちを抑えきれず、殺人現場でガッツポーズをしてしまった。


「いや、流石にハリウッドまでは……。それに……」


 新人は困惑したように苦笑する。


「君の言いたいことはわかる。取り乱してすまなかったな。兎に角、私が言いたいのは、この事件、面白そうな匂いがプンプンするということだ」


「いや、あの……」


「いや、すまなかった。今のは私の独り言だと思ってくれ。捜査に戻ろう。まずは第一発見者を疑えと言うだろう。彼の事件当時のアリバイは?」


「え? あっ、えっとですね。伊東氏は、昨晩はずっと、家にいたそうですが、一人暮らしなので、その証明となるものはありません」


「となると、彼は怪しいな。しかしまずはこの、ダイイングメッセージだ」


 私は床に散らばったインスタントコーヒーの粉をまじまじと見つめた。色々なな角度からそれを観察する。

 すると、どうだろう。死体のそばに寝そべって、死者の視線から見ると、なんとこの粉は、『ミカミ』と読めるではないか!


「おい! ちょっと見てみろ!」


「えっ?」


「いいから、早く」


 私は新人の服を引っ張って、無理やり寝そべらせ、メッセージを読ませた。


「どうだ? この位置から見ると、『ミカミ』って文字に見えないか?」


 しかし、勘の鈍いこの男は、無感動に言ってのける。


「まあ……見えないことはないですけどねえ……」


「ガイシャの知り合いで、ミカミという人間はいないのか?」


「ああ、そういえば、隣に住んでいるのが、三上さんだったはずです。何でも、ゴミ出しのことで色々と口論になっていたとか」


「それだっ!」


 指を弾いて、私は部屋を飛び出し、勢い勇んで隣室のインターホンを鳴らした。

 迷惑そうな顔で現れたのは、五十代くらいの女性だった。いかにもヒステリーを起こしそうな、口うるさそうな顔立ちをしている。


「何ですか? 休みの日だって言うのに、騒々しい」


 不機嫌そうに、はねつけるような口調だ。


「実はちょっとお話を伺いたくてね……。いいですかな?」


 言いながら、胸元から黒光りする警察手帳をちらりと見せる。口では許可を求めているが、こうすれば殆ど強制みたいなものだ。


「警察の方……? 何かあったんですか?」


「隣に住んでいる堀田さんが何者かに殺されましてね。その捜査を行っているんですよ」


「堀田さんが? 殺された?」


「それで、あなたに訊きたいことがありまして……。昨日の夜から今朝にかけて、どこで何をしていたか覚えていますか?」


「私を疑ってるんですか!?」


 彼女は眼を見張って大声を上げた。

 その様子に、私は思わず気圧されてしまった。


「いや、なに、形式的なものですよ。皆さんに訊いて回ってるんです」


 怪しくない人間に、こんな事訊くはずはない。ただの方便だ。しかし、彼女を安心させるにはそれで十分だった。


「昨日の夜から今まで、ずっとこの部屋にいましたよ。家族と一緒に。これでいいでしょう?」


「問題はありませんが、身内の証言は信用性が低いのです」


「じゃあ、どうしろっていうのよ! ほんとのことを言ってもこれじゃあ、どうしようもないじゃない! 第一、私みたいなおばさんが、夜中に家族以外の誰と過ごす機会なんかあるっていうのよ!」


 興奮した彼女は、ヒステリーを起こし始めていた。次々に口から文句が溢れてくる。


「もういいでしょう! 出てってください!」


 ひと通り言い尽くした後で、怒りをぶつけるように扉を勢いよく閉めた。完全に閉め切られると、ガチャリと鍵のかかる音がした。


 どうやら完全に拒絶されてしまったようだ。


「全く、とんだおばさんだな。しかし、一応家族の証言があるわけだからなあ……。こうなると、愈々謎が深まってきたな。とにかく、この事件は、密室の謎を解く以外に、解決の方法はなさそうだな」


 現場に戻ってくると、新人に向かって一段と格好つけてそういった。すっかり私は、推理小説に登場する、探偵になりきっていた。すると、新人は気まずそうな表情で、おずおずと喋り始めた。


「いや……それがですね、」


「うん? なんだね?」


「その、さっきからおっしゃられてる、密室の謎なんですが……」


「もしかして、解けたというのか!?」


「いえ……その、言いにくいんですが、このマンションですね、その……」


「もったいぶらないで早く言いたまえよ」


「オートロックなんです」


 部屋の中に、静寂が訪れた。外を走るバイクの音。雑踏の足音。電車の轟音。


「オートロック?」


 痴呆を起こしたように、訊きかえすことしかできなかった。


「はい、勿論この部屋も、オートロックになっています」


「この部屋も?」


「はい」


「じゃあ密室は?」


「密室でもなんでもなかったってことですね」


 頭の中で、ガラガラと何かが崩壊する音が聞こえた。


 じゃあ、小説化は? 映画化は? ハリウッドは?

 ま、まあいい、鮮やかに犯人を特定することができれば、それでいいんだ。私は探偵役だ。落ち着け。まだ第二のシャーロックホームズにはなれる。


「じゃあ一体、これは誰がやったっていうんだ?」


「僕です」


 背後から声が聞こえた。玄関のそばに、警官と見知らぬ男が並んで立っていた。


「は?」


「いや、だから僕がやりました」


「誰? 君?」


「昨晩、被害者とこの部屋で飲んでいた、被害者の同僚です。カッとなって刺したと、たった今自供しました」


 警官が補足する。


「ええっ! じゃあ、あのダイイングメッセージの『ミカミ』って何なんだ!?」


「ダイイングメッセージ……?」


 犯人だと名乗る男は、首を傾げた。


「これだよ、このインスタントコーヒーの粉」


「ああ、それ僕がやったんです」


「は?」


「僕が逃げようとしたときに、机に脚をぶつけてこぼしてしまったんですよ。綺麗好きの癖で拾おうと思ったんですけど、時間がかかりそうだったので、結局ちょっとしかできませんでしたが」


 すっかり力が抜けた私は、へたへたとその場に座り込んでしまった。


「あはは、なあんだ。そういうことかあ。あは、あはは」


 弛緩しきった口から、だらしのない笑いがこぼれた。


 謎でもなんでもなかった。ただの偶然。謎なんてそんなもんだ。推理小説なんて、所詮はファンタジーの一種なんだ。


 何が密室だ。何がダイイングメッセージだ。何が第二のシャーロックホームズだ。畜生め。


 すべてに絶望した私は、魂を抜かれてしまったような表情で、犯人を連行していった。

ちょっとしょうもない話かな…(笑)

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― 新着の感想 ―
[一言] そういう落ちですか……(笑) 明らかに怪しい人が出てきたと思ったら……。 流石にダイイングメッセージらしき物がただの拾いこぼしだったのは予想出来ませんでした^_^;
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