メカナイゼーション
近未来。
そう言えば聞こえはいいかもしれないが、ここは未来の日本である。
日本という国は、礼儀正しく、礼節を重んじ、譲り合いの精神を強く持ち、助け合いの精神を心に秘めていた国である。もちろん皆が心にはそういう想いを先祖代々引き継いでいるのだが、引き継いでいるだけで、実際に行動をしているのはごく少数である。
階段で困っているお年寄りがいても横を通りすぎるだけ。重たい荷物を持って横断歩道をわたっている老人がいてもすれ違うだけ。倒れている人を見つけても、面倒事だとたまったもんじゃないからかかわらないようにするだけ。雨が降っていてびしょ濡れの女の子がいても、横で傘をさして立つだけ。近所の人なんか、顔すら知らない。なのに、それなのに、自分が問題を起こしたときに限って、『あの人は明るい子でしたよ』『あまり挨拶とかはしないで暗い感じの子でした』『あの子があんなことをするなんて』と、あたかも友好関係にあったかのような口ぶりで評価をしてくる。
そんな親切大国日本は、とある人物がきっかけとなり、皆が思い描いていたような、車が空を飛んでしまうような、機械がゴミを拾って歩くような、機械が店を運営してしまうような、近未来な国へと変貌してしまった。
そのことを簡単に説明させていただく。
事の発端は、今から八十年ほど前に遡る。
その時代は、まだロボットが二足歩行で歩きはじめ、車にオートブレーキシステムが搭載され始めたくらいの文明しかなかった。わずか八十年程度で『文明』という言葉を使うのは、とても不思議な感じもするが、それくらいの変化が日本にはあったのだ。
当時、原発事故、いわゆるメルトダウンによって、立ち入りが制限されるまでに至った福島という地域に目をつけた一人の博士がいた。
その博士は、周りから評価されるほどの交友関係は無く、博士という名称も自称に過ぎなかった。
そんな博士が当時立ち入りを制限されていた福島に目をつけた理由としては、単純に人が少ないことと、土地に余裕がある、という二点だった。
便利でいろいろと資材調達がしやすいという理由から、都内に住んでいた博士だったのだが、家賃と住処の狭さに嫌気がさしており、不便でも立地条件が悪くても周囲に何もなくても、広くて誰も近寄らないような土地が欲しいと思っていた。
そして不幸にもやってきてしまったのが、例の大地震である。
地震によって起きた津波によって、福島を始めとした近隣の県は、見るも無残な風景と化してしまった。本当に日本とは思えないような風景と化してしまっていた。そして引き起こされたメルトダウン。
福島は、今後しばらくの間は立ち入りができない状態に陥ってしまった。
そんな日本中が恐怖と絶望に怯えている中、件の博士だけは、頭の中で将来の設計図の最後のピースがはまったことを確信していた。
望んだ通りの場所が手に入る、と。
博士の計画はそこからスムーズに進み、津波によって荒地となり、メルトダウンによって汚染されてしまった土地を買い取ったのだ。多少、地元民からの反感もあったそうだが、そこも計算していたかのように、博士の策略によって鎮まった。もちろん、聞いた話でしか理解していない僕が、その手段や方法を知る由もない。
そんなわけで、土地を買い、大金をはたいて機能性だけに重視された謎の奇怪な建築物が、荒地となっていた土地の真ん中に完成したのだった。
博士はそこで自分がずっと思い描いていた研究と製作を始めた。
それは、社会の機械化だった。
そもそも博士は、人間という生き物が抱く『ストレス』というものを研究していた学者だった。
それを突き詰めていくうちに、日本人という生き物が、他国からの評価に比べてひどく他人に厳しく、自分の思い通りにいかないことでストレスを溜める、という結果がでていた。
ならば、どうして改善しようか。
もし改善ができないようであれば、日本という国は、些細なことをきっかけとして戦争起こしかねない。我慢強いが、その我慢が限界点に達した時に何をしでかすかわからない、という国でもあった。当時はアメリカという強大で巨大な兄弟のような国がいたから、兄に勝つことが出来ない弟のような存在がいたから、日本という国は微笑みを保っていたのだ。しかし、アメリカの実力が落ち始めてきたらどうだろうか。権力が劣ってきたらどうだろうか。日本はアメリカを喰ってしまい、吸収して、上に立ってしまうのではないだろうか。
人間という生き物は、元々競争意欲の高い生き物であるとされている。
世界も弱肉強食で構成されており、弱い国は強い国にひれ伏して、強い国は弱い国を支配していかなければならない。そんな無言の圧力にも似た何かで、世界は回っていた。
そんな歴史の教科書に載っているような戦争時代に逆行させまいと、自分だけでもと思って始めた、機械化社会の形成。
結果としては機械化された現代を見れば一目瞭然なのだが、何も機械化だけが全てではなかったような気がする、と思っていた者もいたそうだ。その証拠に、現代の日本では、所々にそういう反対勢力みたいな集団が見え隠れしているのだ。
ではなぜ博士は機械化社会を目指したのか。
これはとても小さなことであった。
学者であった当時、研究を共にしていた仲間と居酒屋に食事をしに行った時のことだった。そこで、焼き鳥の中身がまだ生だったということで、作り直しをさせていた客を見つけた。博士と仲間の一人が『そんなことで腹を立てるなんて、ストレスの元でしかない』と学者めいた発言をしたのがきっかけだった。
その言葉に他にいた二人の学者、都合上先の仲間とA、こちらの二人をBとCとしよう。そのBとCが反論した。
「人間なんだから、生で食べるのは身体に悪いだろう」
「そうだ。だからあの客は腹を立てていても間違ってはいない」
それに反論する博士とA。
「しかし、焼き鳥を焼いているのも人間だ。多少のミスは許されるだろう」
「もしミスを許さないのであれば、機械が作っている物を食べたほうが身のためだ」
「それだと人間の温かみがない」
「温かみとか温もりとかって言っているけれど、そんなものを求めているにも関わらず、ミスは許さないという鬼畜っぷり。そんな発言はどうなんだい?」
「俺は一般論を言っているだけだぜ?」
「完全に個人的観点で話していたように思えたがな」
「おいおい。俺たち学者がそんな感情をむき出しにして話すなよ。みっともないだろ」
「お前だけは優等生面か」
「たまには感情をむき出しにしてもいいだろう」
「少し頭を冷やせよ」
そんな博士の仲介も虚しく、ABCの三人はそのまま学者特有の論破合戦に火がついてしまい、不仲のせいで研究もおじゃんになってしまったんだそうだ。
それから博士は独自で研究を進め、結果、日本人のほとんどが『自分のミスは許して欲しいが、他人のミスは許せない時がある』という結論を導き出した。
それからというもの、博士は改善方法を探したが、今の人間の考え方や固定概念を改善することは容易ではないことも理解することとなった。
そこで改善方法の一つとして導き出したのが、機械による機械化社会だ。
機械に人間特有の思考を与えることによって、人間特有の温かみや温もりのようなものを対象に与えつつ、仕事をパターン化することによってミスはほとんど起きない。これならばストレスが人間に溜まることはなく、恐るべき戦争の引き金を引くことはないのではないかという結論に至った。
そこから博士の人生は一変した。
独学で機械を作るために必要な機械工学や電子工学などの技術や知識を得られるだけ得て、それを元に試行錯誤し、現代社会の基盤となるべき機械を多数作り上げていった。
そして例の土地で作った建造物で作業をし始めてからは、さらに機械化社会へのペースは上がった。
機械を作るための機械を作り、機械ごとにパターンを決めることで効率化を図り、機械の量産を加速させ、次第に人間に近づいた機械を産出することになっていった。
そして現代に至る。
車は空を飛び、高層ビルが立ち並び、公害も一切なくなり、ゴミ一つ落ちていない便利で近代的な世界が広がっている。
現代では、その人間型機械が社会のほとんどを担い、政治や経済をも回していった。過去のデータから算出されたものを元に、金融政策や外交、老人介護、店舗経営、医療、開発など、日本のほとんどを機械が回していた。
そんなおかげもあって、博士が危惧していた戦争時代に巻き戻ることはなく、他国とも友好関係を築き上げ、実に平和な社会が蔓延っていた。
しかし。しかし、だ。
そんな社会を送っているのは日本だけであり、他国はまだ人間による支配と社会が続いていた。
そんな他国を日本は『文明の遅れた国々』と揶揄しているが、その発言は機械によって他国に漏れることはなかった。
そして他国が日本を『機械が支配する、恐ろしい国』と表現していたが、これも機械によって日本まで届くことはなかった。
他国からしてみれば、日本は恐ろしい国であり、逆らうと機械によってなにかされるのではないか、という恐怖による外交関係が作られていたのだ。
そんなことを日本は知る由もなく、ただ機械によって便利になった社会で、ただのうのうと暮らしているだけなのだった。
一切ストレスが溜まることもなく、何一つ不自由することもなく、便利で快適で楽な社会を、不平不満無く暮らしているだけなのだった。
このすぐあとに、機械化社会に反対している集団によるテロや反対デモが起こったりしていたのだが、機械によってすぐに殲滅され鎮静化されたために、日本に住む人間にその事実が伝わることがなかった。
機械により、統率された社会の中で、ストレスを感じない人間が暮らされているということに気がつくことは、きっとないのだと思う。
こうして他国から日本の様子を見ていると、博士こと僕の祖父が作り上げた『ストレスの無い社会』というのは達成されたかもしれないが、これが祖父の望んでいたことなのかは、もう死んでしまった祖父に確認することはできない。
そして今でも、祖父がいなくなったあの奇怪な建物の中では、機械が製造を繰り返し、日本という国からストレスを無くすために日々稼働し続けていることだろう。
その後の日本がどうなるかはわからないが、今後も祖父がしでかしたことの末路を、僕は見届けようと思う。
おしまい。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
感想等ございましたら、感想欄にて書いていただけると嬉しいです。