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1 : バザール




 ジェイスが来てから、随分と我が家の雰囲気が変わった気がする。


 荷車の後方端からキュウと二人で足をぶらぶらさせながら、あたしはしみじみと思った。

 週末の大規模なバザールの日は内職物もまとめて出すので、あたし達もジェイスの売りに付いていくことにしている。馬に引き車を付けてのんびり進むのは、今までの徒歩移動と比れば本当に楽ちんだ。


「お前ら腰が痛くなっとらんか。

 休みたかったらいつでも言うんだぞぉ」


 御者台で前を向いたまま、のんびりとジェイスが言う。


「大丈夫、快適よね」


 にこにこ顔でキュウも頷く。時折激しく揺られていても、重荷を抱えた延々の徒歩移動を思えば有難いことこの上ない。

 もじもじと指をいじりながら、思い切ったようにキュウが口を開いた。


「チュリカぁ」


「ん?」


「お、おれも、大きくなったらジェイスみたいに馬に乗るんだ」


「そっか」


 うん、と大きくかぶりを振ってキュウは嬉しそうにしている。

 いつの間におれって言うようになったんだろう、とあたしは振り返って、影響を与えたであろう御者台の男を見た。

 ジェイスはとにかく人に好かれる。付き合いがいいからか、見知らぬ相手にもあっという間に打ち解けさせるのが得意だ。

 彼がチーズを売るようになってからというものほとんど売れ残りが無い日が続くため、今ではほぼ毎日売り子は彼に任せるようになっていた。その間、あたしやキュウは家に残ってチーズ作りや内職に没頭ができる。

 おかげでその日暮らしも危うかった生活の悩みが随分と緩和されたように思う。僅かずつではあるが、蓄えもできるようになってきた。

 心に余裕があれば人に優しくできるということを、あたしは最近ようやく思い出せるようになっていた。

 いつもの炙るような夏の日差しと違い、今日は随分と優しい風が頬を撫でる。そのせいか、話しかけるあたしの声も自然とはずんだ。


「ねえねえジェイス。今日は早く売り上げさせて、後でみんなで買い物でもしようかななんて思ってるんだけど、どうかしら」


「ん~、オレは別に構わんよ。今日は引き車で来たしなぁ、麦粉やら根菜やら重いもんは何でも買え買え」


「あ、違うの。あたしが言ってるのは、その……ちょっとした嗜好品っていうか、ジェイスが欲しいものあったら買っていこうかな、って」


「おぉっ」


 驚いたように手綱を持ったままジェイスが首だけ振り返る。

「どうしたチュリカ、お前がそんなこと言うなんて熱でもあるんじゃないのか」


「しっつれいな!」


 あたしは御者台まで這っていき、手にしていた編みかけのリースでぼさぼさの金髪をばしっと叩いた。

 いってえ、とぼやくジェイスの気持ちも、実はまあ分からなくもない。

 彼は借金返済の為さんざん働くばかりで、自分の物は何ひとつ買えずにいたのだ。もっとも、それはあたしやキュウも一緒で、二人きりになってこのかた生活必要品以外を買うことはなかった。


「あ、でも買うっていってもちょこっとよ、ちょこっとだけだからね!」


「はっはっは。でもまあ、別に俺はこれといって欲しいもんは無いからなぁ。

 まだ借金もたんまり残っていることだし、気持ちだけ受け取っておくさ」


「……だって、ジェイス。

 煙草切らしちゃってるんでしょ」


「ん?ああ。まあそうだが」


 ジェイスが愛用している香煙草はこの辺りでは手に入りにくい。

 一般の煙草に比べて細長く、名の通り柔らかな香に似た煙がたつ。愛煙していると身体からほんのり同じ匂いがするようになるので、香煙草の嗜好者はすぐそれと分かる。喫煙を楽しむというよりは香りを身にまとう目的で利用され、その個性さ故大都市以外では手に入りにくく、多少値も張る代物なのだ。


「今日でジェイスがうちに来てひと月になるわ。

 どうなることかと思っていたけど、おかげで何とかやっていけてるし。

 まあ、そういくつも買えやしないけど、2箱程度なら大丈夫」


「チュリカ……」


「そーのー代ーわーりっ!

 その分またしっかり働いてもらうから!」


 慌てて言い繕うあたしを見つめ、ジェイスはとても優しい顔で笑った。

 ごくたまに見せるその笑顔は、ぼざぼさ頭のおっさんなのにも関わらず、妙にあたしをどぎまぎさせる。

 手綱を取る無精髭だらけの横顔はのんびりとはしているが、よく見れば端正な造りだ。ジェイスが店番をするようになって、女性客が増えたのは気のせいじゃないのだろう。

 天性のものなのか定かではないが、彼に人柄だけではない不思議な魅力があるのは確かだった。


 危ない危ない、おっさんに油断するなかれ。


 あたしは自分にそう言い聞かせながら、再びキュウの横に移動した。




 週末のバザールは、あまりの人出と店舗数による混雑が酷いため、出店場所に関しては数日前からの登録申請が必要だ。

 平日ならば、早朝より開く広場中央の管理塔にてその場で出店申請をすればよい。ただし、早く行ったからといって必ずしも希望場所が取れるわけでもない。いわば管理側の匙加減ひとつでどうにでも変更できるのだ。今までコネも無く外聞も良くなかったあたしは、大抵人気ひとけの少ない隅の方へ追いやられる形で店を出していた。

 ジェイスが売り子担当をしてくれるようになって気付いたのが、出店場所の良さだ。彼の人好きのする人柄の成せる業なのか、最近いつも中央付近のなかなか良い場所が取れているようだ。毎回商品をほとんど売りさばけているのには、このことも関係しているのだろう。


「着いたのが遅くなっちまったからなぁ。気合い入れて売らんと」


 さほど焦っていない様子でジェイスは管理塔に入ろうとしたが、あたし達が付いてこないのをみて怪訝な顔をした。


「どうしたチュリカ、ぼさっとして。早く行こうや」


「あたし、ここで待ってる。どうせ予約の確認だけでしょ」


「まあ、そうだが……」


 ふむ、と思案すること数秒、いきなりジェイスはキュウを抱きあげるとひょいと肩車した。わあっと大喜びするキュウを肩に乗せたまま、今度はジェイスはあたしの手を掴んできた。


「えっ、えっ」


「あのなぁ、何を遠慮してんのかは知らんが、俺みたいなのが行くよりも若い姉ちゃんを相手した方が、管理員らも嬉しいに決まっとるだろうが」


 ほれいくぞ、と、ジェイスはあたしの返事を待ったりせず、手を繋いで歩き出した。強引なようでいてそうではないのが、すっぽりと包まれた手の暖かさとゆるさでわかる。思わずそのまま大人しく付いていっていると、ジェイスは振り返りながら


「はっはっは、チュリカもそうやって黙ってさえいりゃあ、普通に可愛いんだがなぁ」


 と、悪びれもせず言った。


「黙ってたら、は余計よ!」


 言い返さないと顔が赤くなりそうだった。

 つい先程どぎまぎしたことを思い出す。先週末の出来事といい、妙に心がざわつくのは何故だろう。深く考えない方がいい気がして、あたしはつとめて冷静さを装ったまま黙って管理塔に入っていった。

 店舗担当にはいつも大抵決まった管理員達がついているのだが、あたし達の前に現れた担当は最近配属になったらしく、初めて見る顔だった。ジェイスの顔を見て「ああ、こんにちは」と言いかけて、彼はあたし達が手を繋いでいることに気付きわずかに眉をひそめた。


「こいつらは俺の甥っ子と姪っ子なんだ。

 お前さんは入ったばっかで知らんだろうが、こうちっこく見えても姪っ子はなぁ、随分長いこと出店している常連なんだぜ」


 得意そうに話すジェイスに、この人が突っ込みたい所はそこじゃないと言いたいのをグッとこらえ、あたしは即座に手を離した。ついジェイスのペースに乗せられそうになったが、年頃の女が男と手を繋いで役場に入るのはやはり適切行為ではない。

 ジェイスはいまいち理由が分からなかったのか怪訝そうな顔であたしを見たが、すぐに店舗位置や時間等について職員と話し始めた。

 やがて確認も終わり、


「帰るぞ、ほい」


 と、ジェイスは再び手を差し出してきたが、今度こそあたしがその手を取ることはなかった。


 塔を出る際にちらりと後ろを振り返ると、順番に待つ出店者達の頭の隙間から先程の職員がじっとこちらを見つめている気がした。

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