2: 再会
まさか、覚えられているとは思わなかった。
苦々しい顔で少年は足早に人混みの中を抜けていく。いや、少年というよりも『幼さを残した顔立ちの若者』という表現の方が正しいのかもしれない。
やはり今回は俺が担当すべきではなかった。適材適所に配置するのが上の仕事だろうが、と、彼は脳裏に浮かぶ憎らしい顔に悪態をついた。だがぶちぶちと文句を言ったところで自分の失態である事実には変わりが無い。仲間には報告する必要があったが、相方のことを思い出すだけで溜め息が出て虚ろな顔になる・・・・・・気が重い。しかし、些細なことでも報告は必要だ。
若者は角をいくつか曲がり、やがて古びた一件の宿に入った。
カロンカロンと耳馴染みの良い音と共に、掃除をしていた人の良さそうな店主が顔を上げ「今日は早いね」と声をかける。ぶっきらぼうに会釈だけ返し、彼は階段を駆け上がり、奥の扉を節付けして叩いた。
トン、トトト、トン、ト。
やがてスッと細く扉が開いたので、若者は身体をねじ込むようにして中に入り込んだ。
「何かあったのか、アスク」
相方が、そっと扉を閉めながら訪ねる。
直前に隙間から目線をやって確認をし、窓際からも目を落とす。毎度律儀な奴だとアスクは苦笑いする。
「んな、つけられるようなこたしてねぇって、サウス」
「叩き方にも表情にも乱れがある。何かあったのだろう」
サウスと呼ばれた細身の青年はそう言うと、静かに革張りの腰掛に身を沈めながら手にしていた本を開く。
「まあ、な。たいしたことじゃねぇんだけどよ、ちょいミスっちまった」
卓上の水差しからカジュ茶をゴブレットに注ぎ、それを手にアスクもどっかと向かいの長椅子に身を沈めた。カジュ特有のすっきりした後口は気を落ち着ける効果がある。
「なあ、サウス」
「なんだ」
「その・・・・・・オレ、例の女に接触しちまった」
「・・・・・・いつ」
「ついさっき」
はぁ、と大げさに溜め息をつくとサウスはぱたんと本を閉じてアスクを見た。低卓を挟んだ向こうで、童顔の若者は決まり悪そうにもじもじしている。
「実はオレなんとなくさぁ、ヤな予感はしてたんだ。最初に助けたあん時から。
なぁ、これってやっぱ上に報告必要なのか」
「起こしたことを洗いざらい話してみろ。まずは把握してからだ」
「・・・・・・ああ」
きっかけは本当に、些細なことだったのだ。
ウィスプの繁華街外れにあるドヤ街の喧騒は下町生まれのアスクにとってはホッとする具合で、この日も彼は偵察がてらブラブラしていた。
暇さえあれば閉じこもって読書にふける相方と違い、彼は片時もジッとしていられない質だったので用が無くとも日がな一日歩き回るのを日課としている。賭事好きで話好き、おまけに喧嘩っぱやい若者でもあった為、目立つなという上の命令を見事に背きひと月足らずで顔見知りは両手では足りない程になっていた。
この時も、ちょうど砥ぎ屋の親仁と切れ味の良い刃物について熱く語っていたところ、
「・・・・・・が違うじゃない!」
「うるせえ!いちゃもんつけるんじゃねえこのアマ」
言い争いは珍しく無かったが女の声が混じっていため、思わずアスクは振り返った。
日除け帽を被った若い女が、一人の調理人らしき男と店前で言い争っているのが見えた。
「ああ、ありゃ気の毒に。コスパラの店に卸しでもしたんかねえ」
のんびりと砥ぎ屋が髭をさすりながら言う。
「なんだ、ぼったくり屋か」
「まあ、そう言っちゃお終いなんだが、間違っちゃいないな。
コスパラはギョンカの息がかかっているからなあ。少しでも売り上げ悪ぃと給金ごっそり減らされるっつう噂だ。まぁ、店側も損ださないよう必死なんだろう」
苦笑いしつつ研ぎ屋は続ける。
「コスパラが相手にしてんのは宿泊まりの流しもんだよ。宿まで飲み食いするもんを届ける生業をしているんだが、何しろ儲けの事しか考えちゃいないからな。客側にふっかけるのは勿論、卸し相手でも景気悪そうだととことん足元見た値しか出さんらしいぞ。
大方、あの姉ちゃんも上手い事騙されたんだろうよ」
「ふぅん」
目を細めるようにしてアスクは双方の言い争いを眺める。
まあ、気の強そうな女みたいだ、しばらくは様子見でもいいかと思いかけたその時。
ぱしん、と辺りに高い音が響いた。女が頬を押さえたままよろける。
「ごたごたうるせぇ!とっとと失せろ!」
顎を突き出すようにして怒鳴る男の前に、気付けばアスクは立っていた。
「おっさんさぁ、ちょっとやりすぎじゃねぇの」
「何だぁクソガキ、横から口出しすんのか」
「おいおいおい、大した暴言吐いてくれんじゃねえか」
アスクは童顔を引き合いに出されると喧嘩を売られたと解釈する。彼の喧嘩っぱやさの大抵の原因がこれだった。
有無を言わせず一気に利き足を回し、男の腹に強烈な蹴りをお見舞いする。
ぶぅ、と声を漏らし男が膝をつく。その頭の毛を掴むと、むしり取る勢いでぎりぎりと引き上げながら低く凄む。
「いいか。二度とオレをガキ呼ばわりすんじゃねぇぞ。
もし次に言ったら、鼻の骨が粉々になると思え」
アスクの声の本気さに、男は顔を歪めたまま何度も頷く。
け、と呟きアスクは手を離した。へたり込む男に背を向けてさっさと歩き出す。内心ではしまったと後悔していたのだが、時既に遅し。
昔から頭に血が上りやすいのが欠点と自分でも分かってはいるのだが、どうにも自制し難い。
相方の冷静さと混ぜて割ったら丁度いいんだがなあ、と思いつつ足を進めていると、
「ねえ、ちょっと」
くん、と腰布を引かれ慌てて振り返ると、さっきの女が立っていた。
「あ、あの。助けてくれて、ありがと」
「あ?・・・・・・ああ。いや俺は別に」
「あたし・・・・・・」
言いかけて女は、ハッとしたようにアスクの顔をまじまじと見つめる。
何か付いてんのかと思いながらアスクも女の顔をよく見、そして
「・・・・・・あ」
二人同時に声を出していた。
「あなた、もしかしてあの時・・・・・・」
声を震わせながら女が日除け帽を取る。
そこには彼があの時助けた、チーズ売りの娘の顔があった。
「あの、あれからずっと、ありがとうってお礼言いたかったの。
あなたが助けてくれたおかげで、あたしも弟も傷ひとつなかったから」
小走りで後追いしながら懸命に少女は話しかけてくる。
黙りこくったまま早足で先を歩きながらも、アスクは内心動揺していた。
予定外の事態だ。本来オレがこの女と接触するのは一回きりだった筈だ。しかもこの女、まだ話し足りないのかくっ付いてきていやがる。
とりあえずさっさと離れるべきだろうが、かと言ってここでいきなり走り出すのも不審に思われそうだ。鍵となる者に対して不必要な対応をしてはならない。
クソッ、こんな時アイツならどうする。オレより機転が利くアイツなら・・・・・・。
突然少年が振り返ったので、チュリカは慌てて止まろうとしたがそのまま身体をぶつけてしまった。
「ご、ごめん」
「あー、その、なんだ。甘いもん、好きか」
「えっ」
「いや、そこに。あるだろ、店」
少年が指す先には、焼き菓子の店があった。
「あ、うん。好きだけど・・・・・・」
「そうか。よし、来い」
頷くと彼はさっさと店の前まで行き、扉を開けて入ってしまった。慌ててチュリカも後に続く。
菓子店の中はふんわりと甘い匂いに包まれ、棚のトレイにはたくさんのケーキや焼き菓子が並んでいた。こわばっていたチュリカの顔が、思わずほころぶ。一般の女子の類に漏れず彼女も甘く美しい菓子が好きだったが、今では滅多に口にすることもでずにいた。
「選べよ」
ぼそっと言われた言葉にチュリカが目を丸くしている、と
「好きなんだろ、そんなんが」
居心地悪そうにしつつも、少年はぎこちなく笑みを浮かべた。いや、無理に口角を上げているといった方が正しいか。
「あの、でも、どうして」
「あー、ほら・・・・・・オレ、そう、オレが食べたかったんだよ」
「あ、じゃあお礼にあたしが」
「いいって!お前、金無ぇんだろ」
思わず放ってしまった一言にアスクはハッとしたが、その時は既に少女は扉を開けて出ていこうとしていた。
「ちょっ、待てっ」
慌てて彼女の手を掴んだが、振り返った彼女の顔はお世辞にも上機嫌とはいえなかった。
「二度も助けてくれてありがとう。
でもあたしを哀れんでくれているのなら結構よ」
「違っ・・・・・・」
今思えば、ある意味このまま別れていればよかったのだ。だがこの時アスクはどうしてだか少女の手を離せずにいた。
「いいから!勝手に帰ろうとすんじゃねえよ。あ~、その、オレ昔っから口悪ぃんだ、だからよ」
ぐいぐいと手を引いて棚の前まで連れ戻し、向き合うように肩を掴んで強く言う。
「オレが!お前と!一緒に食いたかっただけなんだよ!
男一人じゃこんな店入り辛ぇだろうが!」
聞いていた少女の頬が、一拍置いてほんのり桃色に染まる。
それを見て、きょとんとしていたアスクだったが、
「うふふ、おアツいわねえ」
と言う店員の言葉を聞いて、ぶわっと真っ赤になった。
違う、オレはそんなつもりじゃ・・・・・・!言葉に出そうと口をぱくぱくさせていると、
「・・・・・・これ」
うつむいたまま、チュリカがケーキの一つを指したので、思い直してくれたかとホッとし、アスクも自分の分を頼んだ。
店員はにこにこしながら奥の喫茶部屋へ通してくれ、冷たいババ茶を出してくれた。
しばらくはカチャカチャとフォークと皿がぶつかりあう音だけが辺りに響く。
「チーズケーキ、好きなの?」
「あ、いや、これあんま甘くなさそーだし・・・・・・っと」
しまったと思ったが、チュリカはあまり気に止めなかったらしく
「あたしんちもね、チーズ作ってるからそれにしなきゃなとか思っていたんだけど。
でも、今日は久しぶりだから一番食べたいものにしちゃった」
と嬉しそうに、飴がけオレンジが乗ったチョコレートケーキをつついている。一すくいして口に運ぶたび、チュリカの目尻と口元が緩むのが見ていて微笑ましい。
「オレのも食うか」
「えっ、でも」
「オレ、そんないらねぇんだ。もう充分だからさ」
「じゃあ・・・・・・お言葉に甘えて」
アスクは甘いものの味も匂いも苦手だったが、この程度のことで少女に幸せな顔をさせてやれたことが嬉しかった。
きっつい顔した女がにこにこしてんのはいいもんだなと、のんびり渋いババ茶を啜っていたのだが。
「ねえ、よかったらあなたの名前を教えて」
というチュリカの問いかけに、我に返った。あれ、オレ、食べさせてる間に消える筈じゃなかったか。
「あの・・・・・・・えっと、その」
アスクがあたふたとしているのを勘違いしたのか、
「あ、ごめんね自分から名乗りもしないで。
あたしはチュリカっていうの。古語で緋色って意味よ」
知ってる、とはもちろん言えず。
「お、オレは、アスク」
アスクは略名をそのまま教えてしまったのだった。