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4 : チーズ作り

 目覚めると、戸口や押し上げ窓の隙間から青白い光がうっすら漏れ初めていた。

 あたしは慌てて寝台から身を起こし、作業しやすい服に着替えると、顔を洗って手早く髮を編み込んだ。手ぬぐいを持ち、まだ暗い部屋の中を手探りで移動しながら戸口を開く。

 宵の残る夏の朝は心地良い。朝露の絡む草を踏み締めながら裏口に続く家畜舎へ入ろうとして、あたしは入口のかんぬきが外れていることに気が付いた。音を立てないようにして大戸を開き覗き込むと、干し草の山の中腹にある大きな塊が目に入った。油っけのないぼさぼさの金髪が古毛布の端から飛び出し、地響きのようないびきに合わせて揺れている。溜め息をつきながらあたしはその小山に近付いた。


(まあ、こうなることは分かっていたんだけどね――)


 自分と同じ麦穂色の髮も一緒に覗いているのを、じっと見つめる。昨夜ジェイスが肩を落として去った後すぐ、裏口からキュウがそっと出ていったことには気付いていた。

 この子は昨日会ったばかりの相手だというのに、もうすっかりこの男に懐いている。羨ましいくらい素直に。

 あたしとは逆だ。

 両親を失って三年、差し伸べられる手も訪れる人も無く、それでいいと自分に言い聞かせながら働いてきて。あの時と同じ思いをするくらいなら、初めから人と関わらなくていい、信じなくていいと意固地になっているあたしとは、まるで逆。

 キュウが寂しい思いをしていることは分かっていた。けれどこうして出会ったばかりの相手にしがみつくようにして寝ている姿を見ると、あらためて胸が痛む。まだ甘えたい盛りなのに手伝いばかり強要させ、遊び相手も満足にしてやれていなかった。

 もう少しだけ、様子をみてみよう。あたしは二人の寝顔を見ながら、密かにそう決めた。


「ほら、起きなさい」


 何度かジェイスの肩を揺すってみたが一向にいびきが止む気配が無かったため、あたしは彼の耳元を両手ですっぽりと覆い(大きな音で家畜を刺激させないためだ)、思いっきり、


「いつまで寝てんのよ!」


 と怒鳴ってやった。

 うめきながらよろよろと耳を押さえるジェイスに、


「顔を洗いなさい。キュウはそのまま寝かせてて」


 と告げて手ぬぐいを渡し、あたしは家畜舎の掃除を始めた。


 やがて、ふらふらした足取りでジェイスがやってきた。


「あー……耳が……」


 とぼやきながらも、きちんと顔は洗ってきたらしく、濡れた手ぬぐいを首にかけている。


「はい、これ」


 あたしは巨大な干し草掻きをジェイスに渡した。


「あんたが寝床の干し草を集め、あたしがその後の掃除をする。

 全部終わったら牝牛に牧草をあげるから」


「うーす……って、チュリカ。

 それって……俺がここにいてもいいってことか」


「話する暇あったらさっさと手を動かす!

 別に今すぐ出てってもらって構わないのよ。お金さえ返してもらえれば」


「やります、やります!ガンガン働かせていただきます」


 しばらく黙々と掃除が続いた。わっしわっしと掻き棒を使うジェイスの逞しい腕を見ていると、あたしは内心助かったと思わずにはいられなかった。キュウと二人だけで家畜達の世話をし、チーズを売っていくのは、いくら懸命にやっても生きていくのに精一杯な状態だ。こんな時、あらためて男手のある有り難さが見に染みる。

 いつもよりずっと早く掃除が終わった。

 そうこうしているうちにキュウも起きてきたので、牡牛や山羊達を反対扉から放牧地へ連れて行かせるよう頼んだ。残った乳のでる牝牛と山羊達には、しっかり栄養を取らせるために新しい牧草等を与える。食べ終わる頃合を見計らって、次は搾乳だ。


「ほら、ここ座って」


 あたしは一匹の牝牛の横に椅子代わりの木箱を起き、パンパンに張った乳房の下に桶を置いた。


「この子はおとなしいから練習にちょうどいいわ」


 ジェイスは牛の腹の傍に座り、おっかなびっくりといった様子で乳首を掴んでやわやわ揉み出したが、しずく乳しか出ない。

「あれぇ」と呟きながら悪戦苦闘する様をしばらく眺めていたが、放っておくのも牛が可哀想だと思い、正しい搾り方を教えてやった。


「きちんと乳首を正しく持って。

 つまんだ親指と人差し指から順に、下に向かって手早く指を動かすの」


 しばらく練習するうちに、ジェイスはシャーッ、シャーッと勢いよく音を立とながら上手に乳を搾れるようになった。樽に溜まった乳からは湯気がたちのぼり、細かな泡がぷちぷちとぶつかりあう。

 最後の牝牛の搾乳が終わると、ジェイスとキュウに山羊の方は任せ、あたしはすべての乳桶を家の中へ運び込んだ。

 作業室に入り、大釜戸に火を起こし、そこに巨大な鍋をかけて搾りたての乳を注ぎ入れる。弱火で温めるうちに乳の表面に薄膜が張ってきた。その膜を丁寧に串ですくい、こし布を張った大椀に溜めていく。

 後でこれに塩を混ぜ、水気をきって押し固めるとひとつのチーズになる。

 次に、レモンの果汁を搾ったものを同じ鍋に入れる。

 かき混ぜていくうちに、乳が分離して凝集した状態の白い粒と透明の汁とに分かれるので、鍋を粗いこし布に通して分離させる。この白いチーズの粒は、そのまま売るものと、うらごしして練るものとに分けておく。

 最後に、余った透明の汁を鍋で沸騰させていくと、ふわふわした白いものが浮いてくる。これをざるですくいあげ、少し水をきるとほんのり甘い淡泊なチーズができた。

 とにかく今は、手早くお金を稼がなくてはならない。

 本当は熟成させたり子牛の胃袋にある酵素を使ったチーズの方が高く売れるが、それらは金と手間と時間がかかる。しばらくは手軽にできる新鮮なチーズを作り、その日のうちになるだけ売っていく方針で、今の危機を乗り切っていかなければ。

 山羊の分が終わったら、ジェイスに頼んで馬を出してもらおう。ああ、でもまたいつものようにあまり売れないようなら、日持ちしないこれらは無駄になってしまう。

 あたしはチーズを練りながら、今日のバザールのことを案じていた。




「俺が行ってくるわ」


 さも当たり前のように飄々とジェイスは言った。


「ちょっとまって、市にはあたしも行かなきゃ。

 場所取りだの販売だのって、あんた、どうせやったことないでしょ」


「大~丈夫だって、チュリカ。ちんたら習うよりとりあえず慣れろ、これ俺の常套句ね。

 こう見えてもカンはいい方なのよ」


「・・・・・・あんた、売り上げ分ちょろまかして、そのまま逃げるつもりじゃないでしょうね」


「んなことしないって。もちっと信用しなさいよ」


 だって俺、ここを出ていったところで何の当てもないしぃ、俺義理人情にあっついしぃ。


 そんなことをうそぶきながら、ジェイスは馬でバザールへと出かけていった。麻の荷袋三つを鞍に付けて。

 ゆらゆらと揺られながら呑気に出発したのだが、その姿は丘を越えた向こうにあっという間に消えてしまった。


「やっぱりうまって、はやいなあ・・・・・・」


 キュウが名残惜しそうに馬が去った方角を見つめている。

 本当は一緒に乗せてもらいたかったのだろう。口に出して言えばよかったのに。そう思いつつもあたしは黙っていた。もちろん、昨日出会ったばかりの男が信用できないという理由が大半を占める。

 しかしほんのわずかではあったが、あっという間に他所者に懐いてしまった弟にもやもやした思いを抱いてしまったのも事実だ。


「・・・・・・さって、あの男が帰ってこないなら、それはそれでいいわ。

 とりあえずやることはたくさんあるものね。頑張りましょ、キュウ」


 あたしが腕まくりしながらそう言うと、あわててキュウも頷いたのだった。



 あたし達は森へ行き、ジュウムの実とココバの木の種をそれぞれ背負った籠に入るだけ詰め込み、ショウバヅタのツルを数本切って戻ってきた。

 まずはジュウムの実から痛んだ粒や未熟果を取り除き、それから豆粒ほどのハート型の実についた軸をひとつひとつ丁寧につまみ取っていく。これが地味に辛い。しばらくやっていると目と首が痛くなってくるので、時おり外の家畜の様子を見に行ったりして休憩を挟みながら何とかすべて取り除いた。

 水で洗ったジュウムを専用の鍋に入れかき混ぜるあたしの後ろで、キュウは手際良くココバの種の外皮をペンチで割っていく。ココバの種の中身を干したものは肺の病気に効くとされていて、薬師店で買い取ってくれるのだ。

 ジュウムの汁がクツクツいいだしたところへ砂糖を加え、アクを救いながらさらに煮詰めていく。そうしてキュウがすべてのココバの種を割り終えたころ、ようやくあたしのジャム作りも終わった。

 真っ赤に染まった熱いジャムの中で、小さな桃色のハートがたくさん浮かんでいる。ジュウムのジャムは、見た目が可愛らしくて人気があるのと作るのに手間がかかるのとの理由で、菓子店などに持ち込めば大抵即買いしてくれる。

 昼食代わりに乳清に蜜を混ぜたものを流し込み、一息つく間もなく今度はショウバヅタを手に取った。これを編んだリースは縁起物として婚前家庭の戸に飾られるのだ――。



 ジェイスは思っていたよりずっと早く帰ってきた。

 まだ日が落ちるそぶりもないうちから外でカポカポと蹄の音が聞こえてきて、キュウは脱兎の如く飛び出して行った。あたしはわざと扉に背を向けて座り、リースを編み続ける。


「うぃーす、帰ったぞー」


 低くのんびりと響くお馴染みの声がしたが、あたしはさも忙しいといったふうに熱心に作業を続けた。

 ち、ちりり。

 かすかな音が聞こえたので思わず振り返ると、ちょうどジェイスが玄関扉に小さな鐘を取り付けているところだった。透かしの入った、シンプルながら可愛らしい釣鐘だ。


「や、土産さ。戸口の鐘は邪気を払うっていうからな」


「・・・・・・どうしたの、それ・・・・・・まさか売り上げから」


「大~丈夫、これは客からのもらいもんだから」


 にこにこしながらジェイスは答えると、腰に下げていた巻き財布を取り、中身を机にざらっとあけた。


「完売したぜ」

 


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