4:昼食会
カーン……カーン……
終了の鐘の音と共にざわざわと教室内が賑やかになる。
キュウ・べガレットは板書を終えると、机上のものをまとめて革鞄に仕舞い込んだ。新しい鞄は蓋を開ける度に強い革の匂いがする。
「あの、キュウ君……よかったらお昼一緒に食べに出ない?」
隣の席のラメリルがおずおずと話しかけてきた。
ラメリル・ペリドットは下級貴族の娘だ。ルルドラ宮殿敷地内にある学舎。ここでは大勢の貴族もしくは富豪の子ども達が寄宿形式で勉学に励んでいる。
週末の今日は午前中で授業が終わるため、残り二日半の休日を大抵の生徒は帰省もしくは遊びに充てて過ごす。
キュウが学舎に編入してきてからひと月が経つ。
初めはどれだけ場違いな環境なのだろうと怯えていたキュウだったが、「学ぶとは吸収する事であり、過分な装飾はそれを阻害する」という考えによる学舎の簡素な造りと制服のおかげで、どうにか物怖じする事なく授業を受けられていた。最も、平民の出だということで幾人かの心無い貴族の息子達にいじめられることはあったが。
ラメリルはおっとりした心優しい少女だった。編入したばかりのキュウに、分からない事を何かと教えてくれた。彼女の友人達も皆似たような気質であったため、キュウはどうにか孤立せずに済んでいた。
「ありがとう。でもおれ、この後用事があるから」
そう告げるとラメリルは残念そうな顔をした。
(――そういえば、友達を連れてきてもいいって言ってたっけ)
あの量ならば、一人くらい客が増えたところで全く問題ないのに違いない。
「あの、ラメリル。おれが今から行く所、ご飯も出るんだけど……一緒に来る?」
ラメリルはパッと顔を輝かすと、こっくりと頷いた。
「おや、ようやっと来たねえ」
「こんにちはダムドさん。お世話になります」
「相変わらずよく出来た子だよ。うちのガキ共とはえらい違いだ」
はっはっはと豪快に笑いながら、宮廷料理人であるダムドは抱えた大皿と共にキュウの傍を歩く。皿の上に乗っているのは炙り肉と葉野菜を和えたサラダだ。周りにはオレンジも彩りとして添えてある。
「今日はガールフレンドも一緒かい?」
キュウの隣のラメリルは頬を染めてぺこりとお辞儀をした。
「可愛いねえ。たんと食べてっておくれよ」
扉前に着いたのでキュウが両手で取っ手を引く。そのままの姿勢で促したので、「ありがとうね!」とダムドは中に入っていった。
「ラメリル、君も」
キュウに促されて、ラメリルは緊張しながら室内へと足を踏み入れた。
「――わあ」
深みのあるワイン色の絨毯、華やかな壁紙に質の良い調度品。何より、その部屋の広さはラメリルの実家の屋敷のそれとは大違いだった。
「あら、いらっしゃい。キュウのお友達?」
長テーブルに取り皿を並べていきながら話しかけてきてくれたのは、おさげ頭の侍女だった。侍女といってもとても質の良い生地で服を仕立ててあるあたりが、さすが王宮なのだと思い知らされる。
「チュリカ、この子がこないだ言っていたラメリルだよ。
ラメリル、おれの姉ちゃんのチュリカ。今はシノワール様の直属侍女をしているんだ」
――ロウ直属の侍女!
慌ててラメリルは膝を折りスカートの裾を摘み、正式な礼を取って挨拶をした。
「ラメリル・ペリドットと申します。よろしくお願いいたします」
「あら、ご丁寧に申し訳ないわ」
慌てて皿をテーブルに置くと、
「チュリカ・ベガレットです。こちらこそよろしく。いつもキュウから話を聞いています」
とチュリカも深々と頭を下げた。
「今日はね、二週に一度の慰労昼食会の日なの。
使用人達で事前に参加を希望した者は誰でもこうして参加できるのよ」
「あ、あの……私、参加しても……」
おろおろし出したラメリルに「大丈夫だよ」とキュウが囁く。
「僕の友人ならいつでも連れてきなさいって、誘ってもらってたんだ。もともと一人二人なら使用人の家族か友人を連れてきても良い事になっているし。
それにほら、あんなにたくさんのご馳走なんだから平気だよ」
確かに長テーブルの上にはたっぷりと美味しそうなご馳走が並んでいる。何かのパテのようなもの、生エビと貝のカルパッチョ、ミートローフに具だくさんのスープ、揚げた鳥肉に焼きたての数種のパンに、それから、ケーキやフルーツまで!
ラメリルのお腹がくう、と鳴る。顔を真っ赤にしたところに「おれ、腹ぺこ過ぎて我慢できないや」とキュウが傍で大声で言った。
「育ち盛りは食べ盛りってね! ほーら、こいつで最後だよ!」
ごとん、と山盛りになったパスタを真ん中に置くと、
「さ、伸びないうちに食べちまいな!」
と、号令をかけるかのようにダムドが言った。
(チュリカさんの隣、誰か来るのかしら……)
彼女の席の隣には予約の形に折られたナプキンが置いてあった。
準備の間に入ってきた幾人もの使用人達が各々好きな場所に席につき、皿を手にして料理を盛り始める。チュリカが手招きしたのでキュウとラメリルもその隣に座った。
全員で食前の祈りを行い、賑やかに会食が始まった。
「おいしい……」
料理はどれも絶品だった。隣でもりもりとキュウが平らげていく様を見ると、やはり男の子なのだと実感する。
「ラメリル、これもすっごく美味いよ」
「ほんと?」
仲良く味見をしたりおしゃべりしたり。楽しいひとときを満喫していたラメリルは、予約の席に人が訪れたのも、その人がチュリカと共に外に出たことも、キュウがそちらを見ないようにしていることにも全く気付くことはなかった。
「――そう。行くの」
扉の外に出て侍女用の頭飾りを取ると、チュリカは対峙するアストリアを見上げた。
「ああ、ホントはゆっくり食ってからのつもりだったんだが、もたもたしてたら追いつけねぇからな」
だから、暫くは来れねえ。
ぶっきらぼうにアスクは呟くと、
「これ、隊長から」
とチュリカに何かを手渡した。小さな袋を開けて見ると、美しい織り生地で作られた髪留めが入っていた。
「ちぇ、ずりぃよなあ。自分で渡せよ……」
ぶつぶつと文句を言いつつもきちんと請け負った辺りがアスクらしい。
「あのさ、チュリカ。オレ、勝ち目ねぇかもしんねえけど、その……待っててくんねぇかな」
「え?」
「オレ、もっともっと力を付けて、発言力を持つ立場に出世して。そうしたら、いつかアンタをここから出してやる。約束するよ」
チュリカは手の中にある侍女用の飾りを見た。それから、美しい髪留めも。
「――あのねアスク、あたし今の生活結構気に入っているの。
お城から一生出れないとはいっても敷地の広さはとてつもないし、陛下の傍でお仕えする仕事もとても充実しているし。
今までのウィスプでの暮らしからしたら、まるで天国よ」
「……そっか」
「でもね」
チュリカはアスクに向き直ると、顔を見上げて言った。
「それでもやっぱり、あたしは罪人に違いないし、籠の中の鳥と同じなの。
本当は、こうして旅立てるあなたがとても羨ましい。
だから、待ってる。
アスク、あたしがシワシワのお婆ちゃんになる前に、いつかここから連れ出して」
「お、おう!」
驚いたように、そして嬉し気にアスクは顔を輝かせると、ばんと胸を叩いた。
「任せとけ! いつか、必ず助けてやるよ!」
そうして別れを告げた後。
チュリカはもらった髪留めを調べた。
かさり、という音と共に、隙間から小さな紙が出てくる。
『いい女になれよ』
書いてあるのはそれだけだった。
チュリカはじっとその文字を見た。
豪快な笑い声、温かく握られた手、抱きとめられた時の香煙草の香り。それから、それから――。
胸の鼓動が高鳴り、切なさに視界が揺らぐ。
けれど。
――あの人には私じゃ駄目なんだもの。
それが分からないほど愚かじゃないと、チュリカは自身にそう言い聞かせる。
だから、今はいいの。
今は恋だの愛だの、そんなことはどうでもいい。
ただひたすらに生き抜いていけばいい。
それが父の遺言でもあった。
キュウを見守り、陛下を助け、それからアスクやあの人の無事も祈って――。
そう心に誓い直してチュリカは髪飾りを胸に抱くと、そっと瞼を閉じた。
「――面白くなってきたんじゃない?」
「ま、確かにジェイスは昔っからモテてるわよねぇ~。ああいうマメさもポイント高いしぃ」
「……天然タラシ」
壁の後ろから串団子のように頭を並べ、オラン、アジュレー、マカロの三人がチュリカの姿を覗いている。
一応建前は『単独行動による秘密の漏洩をさせないため』として、チュリカの見張り係になっている。が、今の三人はただの恋愛ウォッチャーと化していた。
「さて。我が上司は今後どうなさるおつもりかしら」
「なんだかんだで独身貫きそうじゃなぁい? その方が遊べるしぃ」
「シノワ様へ行くのに1トラーベ」
顔を引っ込め、コソコソやりあいつつ、三人は新たな料理を手にする。オラン、アジュレー、マカロ。ロウ直属の三人の侍女は、元はジェライムが育てあげた密偵であり、ヤーンの直隊員でもあった。そのまま何気ないふうを装い、角を曲がって「あらチュリカ」と声をかける。
「お代わり持ってきたわよ」
「そぉんなトコロで何してるのぉ?」
「扉。開けて欲しい」
「あっ、はい」
慌てて駆け寄り取っ手を引いたチュリカに、
「頑張ってねー」
と三人はウインク混じりに入っていく。
(??? 何を頑張るんだろう……午後からの仕事のことかしら)
よもや、シノワ同様に自分の気持ちがだだ漏れとは気付かぬまま、チュリカは首をかしげたのだった――。