5 : 終結
間合いを取るために引き下がったことが、イェズステルにとって仇となった。
すぐ脇から飛び込んできた少女に銃を向けようとしたが、既にその銃身は押さえ込まれていた。
「小娘が!どけ!」
「いやっ!」
揉み合いになりながらイェズステルは掴まれた手を剥がそうとした。
だが、チュリカは渾身の力で両手指を絡めていたため、指をへし折ってやろうとしてもすぐには取れそうもない。イライラしたイェズステルは少女の頬を殴り、髪の一部を掴むと力任せに引いた。ぶちぶちと抜ける音にチュリカは悲鳴を上げた。だが、彼女は決してその手の力を緩めようとはしなかった。
「ジェイス!早く逃げ――」
叫んだ台詞は最後まで言えなかった。
ぐい、と肩を抱くようにして力強く引かれながら、
「――よくやった」
深く響くその声を、チュリカは遥か頭上より聞いた。
「イェズステル・トライスト公」
そのまま声はゆっくりと続く。
「お前がワヤン・リィ・ギョンカを篭絡しロウを滅しようとした罪、この目で見届けた。
万死に値する大罪であり、よって情状酌量の余地は無い。斬首以上の刑を受けるがいい。
我が真名、ヤーン・グルゼアスタ・ダ・ラ・ダーナンの名におき、今ここでお前を処刑する」
ぱた、ぱた。
かすかに届いたその音に目をやれば、映ったのは血溜まりだった。
ぐっ……と低く唸るイェズステルの口から赤いものが漏れる。彼の腹にはジェライムの手に持った長剣が深々と刺さり、刀身を伝い柄まで流れた血が床へと落ちていた。
「最後に、お前に選択を与える。
このまま腹を幾度も掻き回し続け、息絶えるまで苦しみ抜くか。
四肢を一本ずつ切断し失血を待つか。
選ぶが良い」
「兄上……」
「答えぬなら前者となる。お前の罪は重い」
ジェライムは抉るようにして長剣を回した。ごぽり、とイェズステルの口から血が溢れ、苦悶の表情になる。
「やめてえっ!」
チュリカはジェライムにしがみついて叫んだ。
「弟なんでしょ!ジェイスやめて!」
だがその声に心動かされた様子もなく、ジェライムはもう一度踏み込むと腹を掻き回した。再び鼻と口より血が溢れ、イェズステルの喉から唸り声が漏れた。柄より流れる血は互いの黒い衣装に溶け、その錆びた匂いを染み込ませていく。手にしていた銃が滑り、ごとりと音を立てて床に落ちた。
「選べ。イェズステル」
淡々と刑を処し続けるジェライムにチュリカは恐怖を覚え、その顔を見上げた。とても家族に対してできる行為じゃない。
幅広の羽帽子のつばのせいでジェライムの瞳はよく見えなかった。だが、チュリカはそのこめかみに一筋の汗が流れたのを確かに見た。
チュリカは床に屈むと、火打銃を掴んだ。
「……あ、あたし、が」
血塗られたそれを手にし、死の淵で苦しむ弟とその兄を前に震え声で告げる。
「あたし、が、やる……から」
そうしてチュリカは両手で銃を抱えるとイェズステルに向き直り、ジェライムが口を開くより前に引き金を引いた。
だが、発砲音が響くことはなかった。
「ど……して……」
必死で何度も引き金を引くチュリカから、ジェライムは火打銃を取り上げた。イェズステルの身体から引き抜かれた長剣のには血糊が付いたままだ。
イェズステルは膝を付き喉奥を吐血でごろごろいわせながら「……子、どもに……気ぃ、遣わせて……」と弱々しく笑った。
ジェライムは銃を手にして撃鉄を確認した。先に取り付けられている火打石が連続発砲により当たり金との相性を悪くしていたようだ。撃鉄のねじツマミを緩め火打石の位置を調整すると、ジェライムはイェズステルに告げた。
「処刑選択肢を増やす。
銃器によりその息が止まるまで撃つ。
さあ、選ぶがいいイェズステル・トライスト」
「ああ……それで……いい」
イェズステルは呟いた。
「兄上、は……腕いい、から……一発、で……」
ジェライムは銃口をイェズステルに向けると、チュリカに
「去れ。見てはならん」
と告げた。
じりじりと後ずさりし、チュリカは口を開きかけた。
だが、それ以上は何も言えなかった。
パタパタと少女が廊下を駆けていく音がかすかにまだ聞こえてくる。
たまらず崩れ落ちて転がったイェズステルを見下ろし、銃口を向けたままジェライムは訊ねた。
「最後に、何か言いたいことはあるか」
「…………少しで、いい…………最後くらい、兄、と、して……」
そこまで言うと、もう一度イェズステルは血の泡を吐いた。
ジェライムは羽付帽を取り捨て、銃口は向けたまま片膝を折るとその頭をゆっくりと撫でた。
「――すまない……イェズ。
俺が不甲斐無いばかりに、結局お前の期待には何一つ沿えてやれなかった」
「ああ……ああ、兄さん……」
イェズステルは瞳を閉じ、幸せそうに微笑んだ。
「兄さんの……戴冠姿、見た、かった……」
「それは無理だ」
「兄さ、ばかり……血に、縛られ、て……お、俺は、救いた、かった……」
「俺は幸せ者だ。ヤーンに任じられたおかげでこの国と王を守ることができる」
「駄目、なんだ、よ……それ、じゃ」
弱々しく微笑み涙を流しながらイェズステルは呟いた。
「にい、さ……だって、わかってる……だろ……。
このままじゃ、にいさ…………お、おれ、お、れ……は……」
一際苦しそうに喘ぐと、イェズステルは大量に喀血した。咳き込みが止まらなくなり、その度にどぶどぶと吐かれる血量に、もう先は長くないのだと互いに悟った。
「は、は、や……く……さい、ご……にいさ……が……」
段々と虚ろな瞳になりながらイェズステルは哀願した。
ジェライムは手を離し立ち上がると、もう一度銃口を相手の胸に向けた。イェズステルは崩れた状態でほっとしたように目を閉じた。
「……あ、い…………し…………」
それ以上、イェズステルに口を開く力は残っていなかった。
大広間の扉を開く直前に、チュリカはドォン……という音を聞いた。
「――ジェイスのばか」
小さな声でチュリカは呟いた。
「ジェイスのばかジェイスのばかジェイスのばか」
きっとあの人はいつもそうなのだろう。
何もかも一人で背負い、誰にも心許せずにいるのだろう。
「頼ってくれたっていいじゃない……」
それが自分では駄目なのだという事は、己が一番よく分かっていた。
チュリカは扉を引いた。
ざわめいていた会場が一瞬にして静まり、自分に視線が集まる。
緊張で逃げだしたい衝動を押さえ、進もうとしたチュリカをサーベルを持った兵達が阻む。
「銃で負傷した人がいるんです!お願いです、通して下さい!」
「ならん」
「こやつ、先程の――!」
顔を見合わせサーベルに手をかける兵達にチュリカが蒼白になっていると、
「待ちなさい」
豪奢なドレスに身を包んだ美しい女性が前に進んできた。
『――次は無い』
殺意を持って囁いてきた、あの女性だとチュリカは気付いた。
「負傷したのは誰なの?」
「トゥル・ヤーンの一人です。背が高くて、黒い髪で、アスクと仲が良さそうで」
「撃たれた場所は?」
「左の太腿です」
「そう。わかったわ、幸い陛下はご無事です。医者を行かせましょう」
「何だと!?」
「陛下を差し置き勝手な判断をするな!こやつは虚偽を申しているかも知れぬ!」
側近兵達が色めき立つのをレイアは手で制した。そして胸から称号符のプレートを出すと、突如人が変わったかのようにハキハキとした口調で言った。
「我が真名はレイアスト・ウィンスラー。
ダ・ラ・ヤーンの側近でありヤーン不在時にはヤーン同等の権利が施行可能である。
使令を出す。
負傷者サジリウス・ウェンバードはダ・ラ・ヤーン直隊の一員だ。優秀な人材であり、銃創による肉の腐敗の恐れは極力避ける必要にある。
直ちに医師を出せ」
「――私達からも、お願いしよう」
そう言って現れたのは、東方風の衣装に身を包んだ男性と上品な婦人。その間に挟まれるようにして立っているのは、医師の服を着た初老ながらがっちりとした男性だ。
「陛下には侍女達がついている。彼女達は応急的なものではあるが医学にも通じている。その上武にも強い。任せておくがいい。
解毒剤もほぼ全員に行き渡ったことだ、じきに皆の痺れもとれるだろう。
何より、医師本人が行くと申している。連れて行くがよい」
医師は微笑みながらチュリカに「患者の所へ」とだけ言った。
「で、ですがウィス・ガイスト!」
必死で兵は説得しようとする。
「この子ども、先ほどまで我々の敵として動いていた奴なのですよ!今更言う事を信じろなどと――!」
ここで、チュリカは思い出した。
彼女は胸から下げていたプレートを取り出し、それを兵達の目の前に掲げた。
「これで、信じてもらえるかしら」
兵達は絶句した。
「ダ・ラ・ヤーンの称号符の……それはレプリカか」
驚いたようにガイストが呟いた。
「そのようですわね。
ですが、レプリカとはいえこの国にただ一枚しかない、ダ・ラ・ヤーンの力を同等に持つ品の筈」
そう続けたメア・レティアは、ぱちん、と扇を閉じて告げた。
「――つまり、この少女の指令は、今だけヤーンと同じ力がある、ということになりますわ」
再び、大扉は開かれた。
チュリカと医師、そしてレイアは揃って廊下を駆けていった。