3 : 対峙
銃声が響いたのはその時だった。
火薬の爆ぜる音は聞く者達の身を瞬時に凍らせた。
銃はまだ身近な武器ではない。非常に高価な為滅多に出回ることはない上に、連続の発射が難しい事から一般的とは言えなかった。だが、その威力の高さに関しては噂に定評があったため、広間にいた貴族達は皆真っ青になって悲鳴をあげた。
今このような身動きの取れない状況で、この場に銃を持った者が来たとしたら――!
彼らの目は自然と一人の男に向けられていた。件の男はコツコツと広間を横切り、扉に手をかけた。
「お待ち下さい!私が参ります!」
レイアの叫び声にジェライムは振り返り、
「お前は残れ。侍女達と共に陛下を守れ」
とだけ言った。
「ですが!」
「これは命令だ」
ジェライムの声に鋭さが混じる。
「……分かりました」
レイアはそう答えるしかなかった。
上司としての彼の令はどんな状況においても絶対である。
奴隷市で愛妾として売られていた自分を買い、いずれ即位するヤーンの影になれ、レイラはそう命令されて教育を受けてきた。
彼女は主人であるジェライムの手足として動き、彼に及ぶ危険を全て被りたいと強く望んでいた。だが、それは彼女の主人が望むことではなかった。自分をできるだけ大事にするよう、よくよく言い聞かせながら彼はレイアを傍に置き育てた。
『まがりなりにも、お前は次期ヤーンの分身となるのだからな』
そう言われてもピンとこなかった自分に、主人は幼かった姫を引き合わせてくれた。
会った瞬間、すぐに分かったのだ。やはり、主は人を惹きつける方なのだと。
シルヴィア姫の微笑ましいほどの気持ちの漏れ具合を目にし、己は気をしっかり持たねばと諌め直し、代わりに身を呈しても守ってみせると誓ったのに。
(――なのに、それすらも叶わぬのですか)
「必ず、お戻りください……」
レイアの呟きは、ざわめきの中にかき消えた。
黒衣の男が一人、長く豪奢な廊下を通っている。
洒落た眼帯を左目に付け、乱れた頭髪を手袋のまま撫でつけながら目指す場所はただ一点、件の大広間だ。
やがて、彼は前方から歩んでくる男に気付き、微笑んだ。
「――これはこれは、御大将自らのお出ましか」
ジェライム・トライストはイェズステル・トライストのを見据えて歩んでくる。
やがて二人は同時にぴたりと足を止めた。
大柄の端正な顔立ちの男達が、奇しくも似たような姿で対峙する。一人は微笑み、一人は感情を見せぬまま。
「貴方と会うのは随分と久しい」
イェズステルの熱っぽい眼差しを、冷めた目でジェライムは受け止めた。
「愚行が過ぎたようだな、イェズステル」
「愚行?何を言う。私は正しい道しか進んでいない」
イェズステルは喉の奥を震わせるように笑った。
「これも全て貴方の為。誰よりもロウに相応しい人物は、幼い頃より傍にいたこの私が一番良く知っている。
『ロウの後に立つ者無き場合、王の血を持つヤーンがロウに代われ』、まさに今の現状のためにある言葉だ。
貴方さえ決断すれば、全てがうまく。現ロウは排除すべし、で違いなかろう」
「ならん」
ジェライムの即答にもイェズステルが堪えた様子はない。
「そんなにもあの王に情が移ったか。幼い、脆い、後ろ盾も無き無能な子供ではないか。
既に見限った者共がこそこそと企て事をしている事は、貴方も承知の筈。証拠も無ければ立件できないのは、さぞや歯がゆいことだろうねえ。奴等は私以上に狐だ、動く前にこちらが動かねば間に合わないよ。
一体何を遠慮する必要があるのだ。
それとも……よもやとは思うが、王を女として見ているのか」
ジェライムは眼光鋭くイェズステルを捉えた。王の正体がシルヴィアだということは極々僅かな者しか知らない筈。それを知っているということは――。
「なんと」
イェズステルは今度こそ声をあげて笑い出した。
「金剛血審石が行方不明なのも合点がいった!
やはりあの時、姫も止めを刺しておくべきだった!」
「――お前がやったのか」
一段と低くなったジェライムの声に、「おお怖い」とイェズステルは大げさに両手を広げた。
「今更何を。本当は、とっくに気付いていたのだろう。
兄上」
3年前。雨の激しい日だった。
珍しく一向に講義に来ないことが気になり、ジェライムはレイアを連れて6番塔から森へ向かって捜索していた。
雷も鳴りだし、これは外に出ることができないだけなのだろうと話していた矢先、かすかながら切羽詰った悲鳴を耳にした。二人が急いで現場に向かうと、ちょうど三人の苔色の装束を着た男達が子供達を襲っているところだった。
ジェライムは小石を拾いそのまま相手の顔面めがけ打ち込み、レイアは懐から投用刃を出し立て続けに放った。ぎゃっと声を上げて顔を抑えた男達の一人に、ジェライムは剣を一気に突き立てて引き下ろした。血を吹きながらぐしゃりと崩れた相手をそのままに、もう一人の喉元を横薙ぎに切り裂く。首の皮一枚で繋がったまま相手は後ろへ傾き、そのままどう、とひっくり返った。
「レイア!逃すな!捕縛が無理なら仕留めろ!」
頷くと、レイアは最後の一人が逃げてゆくのを追いかけていった。
ジェライムは子供達がうずくまっている元へ駆け寄った。
シノワールは妹に覆いかぶさった格好のまま事切れていた。喉と心臓を突かれ、即死だった。その鮮血を受け止め続ける状態でシルヴィアが下敷きになっていた。
ジェライムはシノワールの身体を持ち上げて傍に横たえると、シルヴィアを抱き起こした。カタカタと震えながらシルヴィアは呟いた。
「……ヤーンに会うって、付いてくるの……止めれなかった……。
シノワ……ど、して、かばったの……いらない、わたし……ど、して……」
ジェライムは、彼女の頬を軽く叩いて呼びかけた。
「姫、しっかりしなさい!気を強く持ちなさい!」
だがシルヴィアの耳にジェライムの声は届かなかった。血まみれの彼女が雨に打たれて呟くは、己への呪詛。
「――ッ、あああああああッ!」
突如、シルヴィアは喚き出した。
「私のせい私のせい私のせい私のせいなのッ!
私が死ねばいい、死ねば死ねば死ねば死んでしまえばあああああッ!」
――危険な状態だ。
そう判断し、ジェライムは血まみれのシルヴィアを抱き締めた。
「聞け、シルヴィア!お前はいらない子なんかじゃない!
俺はお前が必要だ!だから戻ってこい、シルヴィア!
シルヴィア!
シルヴィア!」
連呼し続け、一体どれ程経った頃だろうか。やがて齢十の姫の瞳から涙が溢れ出した。
「あ……わた、し……どした、ら……
た、すけ…………」
返事の代わりに、ぽんぽん、と頭を撫でてくれた、その掌の大きさに。
シルヴィアは決壊した。声をあげてわあわあと泣き叫んだ。
「うあああああーーん!!
ジェライム、ジェライムー!ずっと傍にいてえーー!お願いジェライムーー!」
それは物心ついた頃よりその立場を察し、努めて無欲であろう、模範的態度であろうとしていた少女の、初めての心からの願いであった。止まらぬ涙は頬を伝い続け、染み付いた血と共に激しい雨に溶けていった。
「――ああ。約束しよう」
上から降ったその言葉に安堵して、シルヴィアはようやく意識を手放すことができたのだった。