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シルヴィア(2 )

 6番塔の講義室でシルヴィアが初めて教わった事、それは『他言無用の誓いをたてる』ことだった。


「姫がこれから見知る事について、その都度如何なる質問にもお答えします。

 ですが相応の危険が伴う事もありますので、必ず私から離れること無きようお願いします」


 入室し、さっそく話し出したジェライムの印象は先程までとがらりと変わっていた。

 たてがみのように奔放だった髪は香油を使い後方にくしけずられ、整えたシャツの上から深藍色の袖無し胴着を着た彼が傍に近付くと、シルヴィアは妙に落ち着かない気分になった。話し方すらも真面目な口調になり、気さくさが抜け落ちてしまったのが寂しい。


「万が一、私と授業時以外に出会ってしまった場合は、知らぬ態度を徹底して下さい。

 私が代理講師だという事は、ウィス・ガイストとメア・レティアのみが知っております」


「まあ」


 シルビアは驚きの声を上げた。


「あの、それって、もしかして、父上も?」


「ご存知無いでしょう」


 ジェライムの答えに、シルヴィアは唖然とした。


「あの……ジェライム。

 『ティ・グ・ロウ』は、日の光であると教わりました。

 日の光というものは、全てをてらすものです。ですから、父上もこのことを知る必要があると思います」


 シルヴィアの控えめな反論を受け、ジェライムはゆっくりと問うた。


「姫、日の光により生まれるものとは、何だと思いますか」


 真面目なシルヴィアは考える。

 日の光からは様々な恩恵を受ける。生きる力の源、火、聖霊、それから——。

 そこでシルヴィアははた、と講師の望む言葉に気付いた。


「——かげ、ですか」


「貴女は聡明な方です、姫」


 ジェライムは目を細め、シルヴィアの頭を撫でた。嗅いだことのない不思議な香りがふわりと彼女の鼻腔に届く。


「日の光がある限り影は何処にでも生まれますが、相交じわることは決してありません。ことわりの天秤を調整することにより世の平衡は保たれるからです。

 日輪であられるロウもまた然りです。国に潜む闇を見付けることはできても、ティ・グ・ロウ本人がそこへ潜り込む事はできません。ロウは全体を照らすものだからです。

 ですから、闇に潜り調査をかけ、ロウに代わり裁きを行う機関が必要となるわけです。その機関の名を、『トゥル・ヤーン』といいます」


「トゥル・ヤーン……」


 噛み締めるようにシルヴィアは呟いた。

 今までヤーンという存在についてさほど考えたことはなかった。いや、ダ・ラ・ヤーン本人の容貌についてはそのミステリ性から貴族間でちょっとしたゴシップになっていることは知っていた。だが姿を見せぬその理由まで知ろうとはしなかったのだ。


「ヤーンはかげなのですね。だから、『見えないもの』でなければならないのですね」


 シルヴィアの言葉の含みに気付き、ジェライムは頷く。幼い王女は推測力に長けているようだ。


「はい。影が影に潜伏するのに必要な事。それは秘密裏に徹することです。影に溶け込むためには影そのものに同化する技が要となります。

 ですから、トゥル・ヤーンという組織が如何様な繋がりで動くのかを表立って知られてはなりません。我々の存在は可能な限り隠し通す必要があるのです。例えロウであろうとも、ヤーンの組織について言及する権限はありません。私は幼少時よりウィス・ガイストとレア・メティア、そして現ダ・ラ・ヤーンと関わりがあったため、今回代理講師に任ぜられたのです。

 さて、ティ・グ・ロウの代理として同等に権力を行使するからには、ダ・ラ・ヤーンもそれ相応の地位を持っている方でなければ務まりません。

 姫は、日輪環の対極月同士が『まつりごと夫婦めおとで取り組む』という縛りを受ける事は御存知ですね」


 つまり、ダ・ラ・ヤーンは、女性である必要性がある。


 ——『ティ・グ・ロウに近しい』女性である必要が。


 目を見開いたシルヴィアに頷き、ジェライムは告げた。


「王家直系の血を継ぐ女性――それがダ・ラ・ヤーンであらせられるのです。

 シルヴィア様。いずれ、貴女も」



 




  週に一度の、6番塔に向かう日がやってきた。


 落ち着こうとしても自然とシルヴィアの足取りは軽くなる。

 小さなバスケットを胸に抱き締め、幼い王女は走る、走る。今日は講師に言われたように、動きやすい簡素な衣装だ。息をきらせつつも速度を落とすことなく向かう先は、例の巨木のある広場だ。


「次回からは、外に出ていきましょう」


 と、ジェライムは前回の講義後に告げた。


(森の中でどんな授業を行うのかしら……。

 こんなことって、初めてだわ!)


 バスケットに入れた焼き菓子とお茶は休憩時間用にと思いついたものだ。


(ジェライムに、行楽ではないとしかられるかしら)


 胸を弾ませるのは好奇心からだけではなかった。シルヴィアは6番塔の講師に会うのが楽しみだった。彼は気難しかったり、理屈っぽかったり、適当にあしらったりなどしない、好ましい大人だ。

 広場は静かだった。鳥の鳴き声と葉の擦れる音しかしない。


(まだジェライムは来ていないみたいね)


 ふと、シルヴィアに悪戯心が湧いた。そうだ、今日は私が木の上からおどかしてみよう。

 バスケットを下ろすと、シルヴィアは助走をつけながら思い切り飛びつくようにして太い幹にしがついてみた。分厚い皮が爪に食い込み、そのままがりがりがり……と情けなく落ちる。諦めずにもう一度、より遠くから助走をつけ、身を打ち付けるようにしてしがみつく。ついたはいいが、そこからどうすれば上に登れるのかが分からない。……がりがりがり。

 シルヴィアが『しがみついては落ちる』、を幾度も果敢にくり返していると、何処からか低い呻き声のようなものが耳に入ってきた。くっくっくと低く震えるその音は、上から聞こえてくる。見上げれば、枝葉の合間から男性らしき身体が覗いていたので、シルヴィアは真っ赤になった。


「じぇ、ジェライム!?見ていたのですか!?」


 くつくつ笑いは暫く続いたが、やがてするすると実に滑らかにジェライムは降りてきた。

 その姿を見てシルヴィアは恥ずかしさも忘れ、嬉しくなった。初めて会った時と同じ、ぼさぼさ頭にくだけた格好だったからだ。

 いつも講義の際は簡素ながらもきちんと身なりを整えていたが、シルヴィアにはこちらの方が好きだった。実際、ジェライムは上背もあり顔立ちも良いので、見目を整えられるとどうにも緊張しがちになる。


「もう、早く教えてください」


「いや、あんまり可愛らしかったんで、つい」


 口元を震わせながらジェライムはシルヴィアに近寄り、屈み込むとすっと手を伸ばした。

 びくりとしたシルヴィアが感じたのは、髪にそえられた温もり。


「あーあー。木の肌屑だらけだ」


 摘んでは捨て、摘んでは捨て。その間シルヴィアはぎゅっと目を瞑り、されるがままになっていた。


「はい、きりが無いのでこの辺で。

 それに、今日の授業にその汚れっぷりは使える」


 ぽかんとした顔で見上げた王女に、6番塔講師は片目を瞑った。


「今日は城下街へ降りますから」



 生まれて初めての、城下街。

 生まれて初めての、男の子の格好。


「ダ・ラ・ヤーンは基本的に単独行動も危ない場所へも出ることはありません。

 ですが、国の様子や民の意識、警邏の動き等、実態を把握しておくべき事は際限なくあります。

 各地に散らばるトゥル・ヤーンの情報だけを頼るのではなく、自らも今の国を成り立たせているその姿を目にすることが、ロウへの手助けとなります。その為にも、今日からこうして少しずつ外へ出て、学習していきましょう。ダーナンという国の姿を」


 シルヴィアは神妙な顔で頷いた。


「一度この門を出れば、再び潜るまで姫はシルヴィアという名を忘れて下さい。

 失礼ながら私もこれより言葉遣いをくだけたものへ変えます。よろしいですか」


「はい」


 頭に巻き布をし、粗末な男子服に着替えたシルヴィアは、ぐっと拳を握りしめた。

 その手をジェライムが握る。


「大丈夫だ。我々の周りには数人のトゥル・ヤーンがついている。

 では、ここから俺のことは『ジェイス』と呼んでくれ。 

 それから、姫の呼び名だが……」


 ジェライムは僅かに考え、


「『ラジャ』、でいいか」


と訊ねた。


「はい。あの、その名には、何か意味があるのですか」


「ああ」


 ジェライムはにやりと口角を上げた。


「――あの木の名さ」



 そうしてジェイスとラジャは街へと続く門の下をくぐったのだった。







「シルヴィ?シルヴィ、どうしたんだ?ぼうっとして」


 不思議そうに問う双子の兄の言葉に、シルヴィアは我に返った。


「何でもないの。ちょっと課題のことを考えていただけ」


 慌ててさじを取り直すとせっせとスープをすくい、そんな妹を怪訝そうにシノワールは見ていた。

 妹は6番塔の授業について、何ひとつ教えてくれはしない。


『規則なの。絶対駄目なの』


 そう繰り返すシルヴィアに業を煮やし幾度かこっそりついて行こうとしたが、その都度ガイストやレティアの手の者に連れ返されるのだった。


『シノワ様にはまた別件でシノワ様にしか教わらない講義がございます故』


 物々しくガイストが告げたが、そこで納得する王子ではなかった。


(――いつか見てやるぞ、絶世の美女とやらを)


 シノワールはさじを運び続ける妹を見ながらそう誓ったのだった。


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