7 : 秘密
「ど、して……それ……」
へたりこんだまま呆け顔でプレートを見るチュリカに手を差し伸べながら、
「俺はトゥル・ヤーンだ」
と、アスクは答えた。
「ほら、ぐずぐずしねェでキュウを迎えに行くぞ」
だが、その指先に重みがかかることはなかった。
チュリカはよろよろと自力で立ち上がると、両拳を握り唇を震わせながらアスクに言った。
「初めから、騙すつもりで近付いてきたのね」
アスクは黙ったまま荷物を探り、中からくすんだ色合いの外套を二枚取り出すと、うち一枚をチュリカに手渡した。
「フードは深めに被っとけ。
あと、この帯刀袋は斜めがけだからな。利き腕側に手をかけられるよう調整しておけよ」
言いながら自分も手早く外套を着込む。
「ジェイスも同じプレートを持っていたわ。二人は仲間同士なの?」
チュリカの問いに答えは来ない。
アスクはただ淡々と荷物から短刀や小道具類を取り出して点検し、そのうちのいくつかを外套に装着することに集中していた。
「――勝手過ぎるわ」
チュリカの語気が少しずつ荒くなっていく。
「何も知らないのにこんな目に遭って、その上『全部忘れろ』『理由を聞くな』って、理不尽よ。
そもそも国外でどう生活していけばいいのか検討もつかないし、大体そっちが」
「早く着ろ、時間が無ェっつってんだろ」
遮るアスクの言葉にはイライラした調子が混じっていた。
「何よ、偉ぶって!
命令するならちゃんと質問に答えてからにしなさいよ!」
「何言ってんだ、お前」
今見せたばっかだろ。
呆れたようにアスクはプレートを取り出すと、再びチュリカの前にかざした。
「これが何かはもう知ってんだろ。
今の俺が言う言葉はダ・ラ・ヤーンの代わり、いわば国家命令だからな、逆らえば瞬時に極刑確定だ。
お前は何も『知らない』、『見ていない』、『持っていなかった』んだ。
それ貫いて逃げ延びれさえすれば、命が助かる、弟に飯作ってやれる。これが一番ましな道なんだ。
心配すんな。国境までは俺が必ず守ってやる」
「だって……だって、そんなのってずるい!」
本当の事を教えてくれないのは、ずるい。
国の命令だなんて、ずるい。
守ってやるだなんて、ずるい。
あたしだって、本当の事を知りたい。
国に殺された父さんの汚名を晴らしたい。
「あたしだって!」
チュリカは胸元に手を入れた。
下手したら大罪になるような事だとうすうす判ってはいたが、手が止まらない。例えレプリカだとしても自分が何処まで通用する物を持っているのか試してみたかった。
「ほら、あたしだって持ってるんだから、ジェイスから貰った称号符!
だから知る権利があるでしょ!」
アスクが持つそれと同じく銀色に光るプレートを、チュリカはぐいと眼前に突き出した。
(――でも、所詮レプリカだし……他人のだし)
はなから駄目元覚悟だった為、てっきり馬鹿にした言葉が飛んでくるつもりでいたチュリカの耳に、ごくりと喉を鳴らす音が聞こえた。
「おいおい……嘘だろ……」
かすれた声でアスクが呻いた。
「なんで渡しちゃったんスか、隊長ぉ……」
その一言で、手に持つ銀板に効力があることをチュリカは知った。
お祭り騒ぎに明るく揺れるダーナンの街の喧騒の中、人混みに紛れ通りを足早に抜ける影が二つ。外套を頭から覆い腰と頭を低くして動くその影は鼠のように素早く、浮かれた大衆が気にとめる間もなかった。影はそのまま走る、走る。一方がもう一方を引っ張るようにして走り抜けるその先に目指すのは勿論、悪趣味なぎんぎら屋敷だ。
走りながらアスクはちら、とチュリカを伺う。フードから覗く彼女の口元は歪み、乾いた息切れが激しく続いていた。
「一旦歩こう」
大通りを抜け街もだいぶ進んだ頃、ようやくそう言ってアスクは手を離した。チュリカは座り込んで地に手をつけ、返事もできずに荒い呼吸を延々繰り返している。アスクは荷袋から小さな紙包みを取り出すと中身を水筒に入れてよく振り、簡易カップに注いで渡した。
「これ飲んどけ。楽になる」
受け取り素直に口をつけて、チュリカは僅かに顔をしかめた。甘味と酸味、それに僅かながら塩分も感じる。何とも言えない変な味だったが、我慢してごくごくと飲み干す。汗が張り付いた額を拭いたかったが、フードを外せないため我慢した。
カップをしまうとアスクはすぐに荷を背負ったので、急いでチュリカもアスクの横につき歩き出した。
「――店に馬が飛び込んできたのも、俺が助けたのも、あらかじめ計画していた」
ぽつぽつとアスクは語り出した。
「トゥル・ヤーンが特定外に顔や目的を明かしていいのは、称号符を出す時以外にない。
だから、回りくどい方法でお前に近付いたんだ。
俺も、隊長も」
ちりっと小さく胸が痛んだ。どちらに対してなのかチュリカ自身も判らぬままに。
「俺達が近付いた目的は四つあった。
一つ目。
チュリカ・ベガレッドの保持するチーズの全てに毒性がないか確認をとること。
あの日馬で蹴散らして残飯屋に渡したチーズも、留守の間に残していた熟成中のチーズも、俺達の仲間で全て回収して成分検査にかけ、シロは確証した。
二つ目。
チュリカ・ベガレッドに近付き身辺調査をする。
人物像は勿論、不審な団体に加担していないか、何処まで事を知っているか等も加えて確認しておく必要があった。
そして三つ目。
ロイス・ベガレッドが王宮から持ち出したものの入手」
思わずチュリカは髪留めに手をやり、瞠目した。いつの間に、と言おうとしてキスされた時の事を思い出し、思わず顔を紅潮させる。
「最ッ低」
軽蔑しきった声に対しアスクは何も答えず「最後に、四つ目」と、遠くの一点を指した。
「あの屋敷で――チュリカ・ベガレッドが、国王殺害を企てた罪を被るのを見届ける」
ぎんぎら屋敷はもう目に入るところまできていた。
「チュリカ、俺達は――いや、アイツがどう思っているかは知らねぇけど、俺は、お前を助けたかった。
けど、お前は称号符を使って俺に令を出した。屋敷に戻って真実を知ることを望んだ。
レプリカなんて出しても普通は意味無ぇ。けど、そいつの名が刻まれて、しかも本人に貰ったってことは、この国でおそらく唯一行使可能な特例だ。警邏にも、俺達トゥル・ヤーンにとっても。
だから、俺はお前を連れて屋敷に戻る。知りたいことを教える。
けど、それがどういうことか判るか。
国ってのは、おいそれと個人じゃ動かせねぇ。俺達じゃ庇ってやれねぇ」
淡々と話していたアスクの言葉に、初めて苦いものが入り混じる。
「村娘が国の大事に関わった。どんな結果になろうと刑は確定だ」
チュリカは何も言わなかった。言えずにいた。
頭の中が白く鈍い光を放ったようにしびれ、うまく働かない。口を動かそうにも鉛になったかのように重く、開くことさえできない。
アスクの言うことは本当なのだろう。王は国と神と一体であり、絶対的存在だ。その一大事に一介の村娘が関わってしまった、それだけでもう罪なのに違いない。
「……で、でも」
チュリカは掴んだ服の裾を硬く握り締めた。
「あたし、行かなきゃ。だって、もう知ってるんだもの」
箱の中身も、その秘密も。それに、それに。
「シノワ様、女の子なんでしょ。
お屋敷でそれ知ってる人、ほとんどいないんでしょ。助けなきゃ」
瞬間、アスクが大きく息を呑むのが分かった。
「な、ん、だってぇ……っ!?」
茫然自失となったその顔を、同じく呆然としてチュリカは見た。
「えっ……あ、あの……もしかして、知らなかった?アスク」
「…………」
蒼白のままガチガチに固まってしまったアスクを見て、チュリカは失言だったと酷く後悔した。