4 : 陰謀
「何……何なの」
膝ががくがくと震える。一斉に崩れ落ちた人々の手が助けを請うようにユラユラと藻のように揺れる。聞こえるのは嘔吐しようとする声と呻き声ばかり。
チュリカが慌てて王の方を見ると、口元を押さえがくがくと震えて崩れ落ちかけているのを三人の侍女達が支え、その横で慌てて駆けつけたらしい控えの医師が王の背を擦り指を入れ、何とか嘔吐させようとしているところだった。何も口にしていなかったらしい数人の側近達が帯刀を抜き王を取り囲むと、この非常事態に切羽詰った様子で辺りを伺っている。
「チュリカ様!」
突然、大広間に覆面をつけた大勢の男達が進入してきた。そして少女の名を叫びながら周りにバラバラと集まり、膝を折って礼をとった。額部には紋様のようなものが掘り込まれ、手にも腰にも武具を装備している。その中の長らしい一人が彼女に近付くと、突如その手を両手を取って叫んだ。
「ついに、ついにこの時がきましたなチュリカ様!
御父上のロイス様が望まれていた、偽王粛清の日が!」
『――知らない!こんな人達知らない!』
チュリカはそう叫ぼうとしたが、握られた手首の一点をぎりりと突かれ、そのあまりの痛みに声も出せなかった。
「ロ、ロイス……だと?」
胸を押さえて青ざめていた東方風の衣装の男の目が開き、顔を上げてチュリカを凝視した。
「もしや……ロイス・ベガレット?」
うずくまっていたうちの幾人かが、ぎょっとしたように顔を上げて少女を見る。ギョンカもその一人だった。
「そ、そうか……あの時の娘だったのか……」
四つん這いになったまま呻き、ギョンカはチュリカを震えながら指刺した。
「おのれ……ただの職人の振りをして、ワシを謀りおったな……」
ギョンカは周りの人々に聞こえるよう大声でわめき散らす。
「こやつの父、ロイス・ベガレットはな、7年前、国王暗殺を企てた反逆集団の一人じゃ!
国賊として身を追われていたのを、3年前にワシがこの地で捕らえ、火炙りの刑に処してやったのじゃ!」
「黙れ!無礼者が!」
覆面の男の一人が、ギョンカに剣を突き立て、朗々と広間に響き渡る声で叫ぶ。
「聞け!ロイス様こそこの国の先を案じ、果敢に行動された有志者である!
無能な幼儀王でなく、真の王の擁立こそ我らがロウである太陽神の崇高なる意思!
膿は粛清の途を辿り清流を配す!今日この日こそが新王誕生の日となるのだ!」
「……が……う」
――違う!父はそんな人じゃない!
父こそ、この国の行く末を案じ、荒ぶり無き進事を考えていたのだ。
連行される最後まで、父は幼かったシノワ様の事を案じて策を講じようとしていたのに。
「……あ……っ」
ぎちぎちと手首を突いている指の力が、より強くなる。あまりの痛みにチュリカの頭は真っ白になり、上手く息もできなくなってきた。
「いいかい、チュリカ。
どんなことがあっても、必ず生き抜くんだ。
父さんはお前達を、いつまでも愛しているからね」
愛している。
愛しているよ。
抱き締めながら最後にそう言って、ロイス・ベガレットは無実の罪で警邏士達に連れていかれた。
14歳だったチュリカは、キュウを家に閉じ込め一晩かけてウィスプの街に向かって走り続けた。
街に着いてから一軒一軒扉を叩き続け助けを請うても、誰一人相手にしてはくれぬどころか、罵詈雑言を浴びせられた。
無常に時は過ぎ、夕刻になって泣きながらチュリカは一人処刑場に向かった。周りには野次馬が集まり、訴えようとしてもてんで相手にはされぬまま、やがて場内に父が引きずられてくるのが見えた。その姿は血に染まって膨れ上がり、最早父なのかも判らない程だった。
火刑の為の梁が設置された台に、一段、一段と引き上げられ、縛り上げられる最中も父の頭はぐらぐらと揺れ、意識が朦朧としているのが分かった。
刑を執行する警邏士達が柄杓を使ってざぶざぶと父と梁を濡らし、その古い油の錆びた匂いは離れた場所にまで届いた。
「――父さんッ!」
枯れ果てて割れた声をあらん限り振り絞って、力いっぱいチュリカは叫んだ。
「父さんッ!父さんッ!」
ざわつく場外の喧騒の中、到底聞こえない筈だったその声がロイスに聞こえたかどうかは分からない。
けれどその瞬間、確かに彼は動いた。
よろよろとしつつも胸を張ろうと真っ直ぐに顔を持ち上げ、ロイスが腫れた唇を開き何かを叫ぼうとしたその瞬間、執行の合図と共にその身体に弓火が放たれた。
一気に立ち上る火柱の中、ロイスの身体はよじれ狂う肉の塊となり絶叫し続けた。肉と毛がじりじりと焦げる匂いが辺りに広がり、人々は鼻をつまみ顔をしかめながらも、「国賊め」「いい気味だ」と言い合いながらいつまでも眺めていた。
群集から抜け出たチュリカは、ただひたすら嘔吐し続け、泣きじゃくりながら誓った。
もう、誰も信じない。
父は信じていた国に裏切られた。
母も、以前の暮らしのままならば生きていた筈だったのに。
父の願い通り、絶対に生きて、生きて生き抜いて、キュウを守ってみせる――!
息が、苦しかった。
膝ががくがくと震え、段々と呼吸が荒くなる。覚えのあるその感覚に鳥肌を立たせ、チュリカは震えながら喘いだ。異変に気付いらしく、手首を掴んだままだった男はその手を離す。
……はあ……はあ……はあっ
キーンという耳鳴りと共に、冷たい痺れが押し寄せてくる。
……はっ、はっ、はっ、はっ、はっ
苦しい。
まともに息が吸えない。
……はっはっはっはっはっはっはっは
怖い。
またあの時と同じ発作だ。
(嫌……いや)
たす、けて……おね、が、い……、
――ジェイス……!
世界が暗転する。
真っ暗な視界のまま崩れ落ちていく身体。
だが、いつまでたってもそこに衝撃はこなかった。
ああ。
暖かく包み込むようなその温もり。
覚えのある香煙草の匂い。
抱きとめてくれたその主にチュリカは必死でしがみ付き、泣きじゃくりながらそのまま意識を手放した。