2 : 盗難
お腹が空いたとキュウが騒ぐので、あたし達はカジャブ屋で遅めの昼食を摂った。
もちろんジェイスのおごりなので遠慮なくジュースも付ける。
汁気たっぷりでピリッと辛いカジャブは疲れた身体に元気をくれる。ジェイスはうまいうまいと手形の付いた頬を動かしあっという間に三つも平らげ、キュウの感嘆の眼差しを得ていた。
「さて、と」
指に付いた汁を舐め取り満足そうにお腹をさすると、ジェイスがおもむろにあたしの方に向き直った。
「じょうちゃ・・・・・・あー、ねえちゃんに頼みがあるんだが」
「チュリカでいいよ。何?」
「チュリカ。うん、そのまあ、なんだ」
ぼさぼさにしばった頭をがりがり掻いたり無精髭をさすったり、一向に後を続けようとしないジェイスに、あたしは段々イライラしてきた。
「もう、何なのよ、言いたいことがあるならさっさと言って。
あんたのおかげでこっちはやらなきゃいけないことがたくさんあるんだから。
言っておくけど商品台無しにした分はきっちり責任取ってもらうからね。
少なくとも大チーズ一塊につき1トラーべはいただくわ。今日持ってきた分の数をかけて、だいたい」
「そのことなんだがな」
笑顔でジェイスはあたしの言葉を遮った。
「実は今の昼飯代で、持ち金すべて無くなっちまったのよ。
すまんが、迷惑料は俺の身体で支払うってことで、ひとつ頼むわぁ」
「・・・・・・は、
ハァ――ッ!?」
あたしの絶叫は昼下がりのバザールの喧騒に虚しくかき消された。
キュウのはしゃぎぶりといったらなかった。
「おっちゃん」「おっちゃん」と、機材をロバに乗せて帰る道中、ずっとぴょんぴょこ跳ね回りながら彼にまとわり続けた。ジェイスも馬を引きつつ「おう、おう」と、にこやかにそれに応えている。
今日はとんでもない厄日だ・・・・・・。
後ろで楽しそうに騒ぐ二人の声を聞きながら、あたしは暗くため息をついた。
本日の売り上げは、わずかに1トラーべ3ピケノ、それとおっさん。とんでもない大赤字である。お金はともかくおっさんに至っては、むしろ食いぶちが増えただけだ。
神様はどれだけあたしに試練を与えられるおつもりですか。
ぶつぶつと愚痴をこぼしつつも歩き続け、2時間ほどでようやく我が家へと辿り着くことができた。
白い塗装が剥げ落ちた囲いの牧草地、その端に家畜小屋と納屋がひとつずつ、そして脇にある木枠の家が我が家だ。道の周りには更地が続き、隣家まではしばらく歩かなければ出会えない。後ろ手には小さな森が広がり、その奥には脈々とヤルダナ山脈が続いている。
いつもより早い出発でまだ日は落ちきっていなかったので、とりあえずキュウには先に家畜を小屋に入れてくるようにと言った。
「ジェイスには、案内がてら荷物をしまってもらうから」
言いながら施錠を空けようとして、あたしは気付いた。
――開錠している。
急いで戸を空けて中に踏み込んで、あたしは呆然と立ちすくんだ。
「どうしたぁ、チュリカ」
戸の外からジェイスの声が呑気に響く。
「チーズが・・・・・・」
保管していた熟成用のチーズが、すべて棚から消え失せていた。
顔から血の気が引くのがわかる。
カタカタと膝を震わせながら、
「なんで。なんで全部無いの・・・・・・」
あたしは棚や中に下げていたチーズがあった筈の場所を、何度も確認して回った。
探しても探しても、チーズはひとかけらも見つからなかった。
「ど、どうしよう、どうしようどうしようっ」
「まあ、チュリカ、とりあえずは落ち着こうや。
あたふたしたって、何の策にもならねぇしなぁ」
他人事のように呑気な声のジェイスに、あたしは猛烈に腹を立てた。
「そりゃああんたには関係ないから何とでも言えるでしょうよ!
金も払えず付いてきただけのおっさんのくせに、偉そうなこと言わないで!
ここにあったチーズは、大事なものだったんだから!父さんの、父さんの――」
そこまで言いかけて、ハッと気付いてあたしは口をつぐみ、下を向いた。
駄目。これ以上言っちゃ駄目だ。
瞼を固く閉じたまま拳を握りしめ、深呼吸を数回繰り返すうちに、何とか少しずつではあるが落ち着いてきた。壁際の背無し椅子に座り顔を手で覆う。・・・・・・ああ、本当に何て厄日なんだろう。
「チュリカ」
ジェイスが優しく呼びかけた。
「ひとつずつ、順に確認していこうや。
大丈夫、何とかなるさぁ」
「・・・・・・」
「まあ、確かに俺は、金も払えず付いてきただけのおっさんだがなぁ。
ほら、話し合うことで生まれ出る知恵もある、っていうだろ」
「・・・・・・」
「じゃあ、ゆっくり整理してみるから、答えていってくれや。
まず、無くなったものについてだ。
お前さん家にあったチーズは、ひとつも無い。間違いないな?」
「・・・・・・」
「チュリカ」
「・・・・・・うん」
「よしよし、良い子だ。
次。それ以外に、無くなったものはないのか。たとえば、金や貴重品」
「!」
あたしは急いで立ち上がると、奥の炊事場まですっ飛んでいって、ジャガイモを詰めた樽を漁った。
次から次にじゃがいもを飛ばしながら、必死で祈る。お願い、お願い!
樽の底が見えそうになる頃、あたしの手は小さな木箱を掴んだ。すぐに引き上げ、右のおさげから髪留めを抜くと、内側にはめ込むように隠していた小さな鍵を取り出して鍵穴に差し込む。ピンとはぜたような音がして、箱の蓋が開いた。
よかった、中身は盗られていない。
あたしは安堵の溜め息をついたが、次の瞬間ハッと我に返りジェイスの方を見た。
ジェイスはにこにこしながら「無事みたいだな」と言った。
あたしが気まずい思いでいると、
「ああ、大丈夫、大丈夫。俺は金目のもんに興味はねえんだ。
もし不安なら、いつでも隠し場所変えてといていいぞ」
と、気にしない風でのんびりと言った。
あたしはちょっと迷った挙句、とりあえず前掛けのポケットに小箱をねじ込んでおくことにした。隠し場所は後で考えるとしよう。
「家の中は他に荒らされたような形跡も全くない。
さぁて。これで分かったのは、盗人は金に困ってんじゃなく、元々チーズのみが目的だったということだな。しかも大量に。
チーズ職人による販売阻止か、はたまた怨恨か。チュリカ、思い当たる節はあるか」
「販売阻止ったって、あたしの出してるチーズの量も質もたかがしれてるし、怨恨といっても・・・・・・ここ数年に関しては、特にこれといってないと思う。
――ずっと人に関わらずに生きてきたから」
「ふむ、そうか。錠はきちんとかけていたか」
「もちろんよ」
「人通りもほとんど無く、隣家までもかなりの距離だな。裏手には森と山しかない。ということは、このことから結びつく犯人像は――」
ジェイスったら、なんだかちょっぴり頼もしいじゃない。
あたしはぼさぼさ頭に無精髭のおっさんを、ほんの少しだけ見直し始めていた。
八つ当たりしたのに怒らないし、冷静に考えながら手助けしてくれる。
うん、役立たずなんて言って悪かったな。
「犯人は、おそらく――」
重々しい声でジェイスが続ける。
「手先の器用な、森の野ネズミ達だなぁ」
前言撤回。
馬があるのって本当に便利だ。
警邏台までジェイスがひとっとびで行ってくれたおかげで、半刻もしないうちに警邏士を呼ぶことができた。
「被害時よりそのままの状態か」
一通り被害状況を調べると、警邏士は被害を書面に記録しながら質問をしてきた。
「はい。……あっ、じゃがいもが散らばっているのは私がやりました」
なんでまた、と顔をしかめつつも警邏士は追記した。
「まあ、一応本件の記帳はしておくが、まず犯人は見つからんと思っておけ。
こちらもチーズなんぞ盗むこそ泥のために、いちいち時間をさく暇は無いんだ。金目のものを盗まれなかっただけマシと思うんだな。
全く、いちいち警邏に迷惑をかけやがって。親が親なら子も子だな」
あたしの後ろに隠れていたキュウが、服の端をぎゅうっと握りしめた。
「て、訂正してください……」
震え声であたしは言った。
「最後の言葉……訂正してください。あたし達は何もしていませんし、親はこの件に関係ありません。
それに……父は言っていました。自分は何も知らないと」
「うるさい、恥知らずどもめ」
吐き捨てるよいに言い、警邏士は今度はジェイスの方をちらりと見てにやにやしながら続けた。
「ふん、男を連れ込むことを覚えたか。
馬を持っているってことは、おおかた賭博か何かで一儲けしたんだろう。いい金づるを手に入れたじゃないか」
言われた当のジェイスは「どうも」などと言いながら香煙草をくわえてへらへらしている。あたしはカッとなってジェイスを指差しながら叫んだ。
「こんなむさ苦しいおっさんなんて、頼まれたってごめんよ!第一こいつは無職で文無しの役立たずななんだからッ!」
ひでえなぁと呟くジェイスは無視し、あたしは警邏士に向き直って言った。
「民の為の警邏が聞いて呆れるわ。何もする気がないのなら、とっとと帰って下さい」
「ガキが調子に乗るんじゃねえ。俺を誰だと思っているんだ」
口調を荒げて男が凄みだした。
「警邏は王法の盾、俺に盾突くってこたあ王に歯向かうのと同じだぜ。
身寄りも無え罪人のガキなんざ、俺の報告ひとつで簡単に首が飛ぶぞ」
あたしは、黙ってうつむいた。
男の言う通りだった。
警邏台は民の為という名目のもと、王政の秩序を守る為に全国各地に設置されている。
王を含む十二人の優れた治者が『剣』と揶揄されるのに対し、警邏士達はその人数と法を守る役割が故に『盾』と言われている。剣と盾の双関係によりダーナンの国政は機能しているのだ。
こんな地方の下っ端とはいえ、警邏士だという事実には違いなく、逆らえば即ち王政への反抗とみなされ、あたしとキュウの命など簡単に踏み潰されるのは間違いない。
あたしが黙ったままなのに気を良くし、男は近付くと、あたしの顎をぐいと持ち上げて下卑た笑みを浮かべた。
「ふん、身体は鳥ガラだが、ツラはまあまあ見られるようになってきたな。
男を覚えたんなら、さっそく今夜にでも俺のことも満足させてもらおうか。なあに、悪いようにはしねえよ」
悔しい。悔しい。最低な煽りへの憤りで視界が滲む。
だけどこいつに逆らえば……駄目、キュウのことだけは何に変えても守るって決めたじゃない。
あたしが抵抗しないとわかると、男は「来い」と乱暴に腕を掴んだ。そして、そのまま意気揚々と戸口を出ようとし――派手な音を立ててすっ転んだ。
「おっとっと」
つられて転倒しかけたあたしの身体を、ジェイスがすくうように支えてくれた。
「戸口は出っ張りがあるから、ちゃんと前見て歩かなきゃ危ないぜ。おっさん」
「うるさい!」
お前が言うな、とわめきながら、男は戸口をまたごうとして、またもや盛大に転んだ。
「ほらなぁ、落ち着けって。おっさん」
茹でダコのようになった警邏士に声をかけ、
「ところで、あいつのことなんだが」
と、ジェイスはのんびりと外につないでいる牡馬を指差し、続けた。
「どうして俺みたいな奴が乗りまわしているんだか、おっさん、知りたくはないか」
「うるさい!お前は馬鹿か!どうでもいいわ!」
「聞いといた方がいいと思うんだがな」
細長い香煙草をくわえたまま器用にゆっくりと煙を吐くと、ジェイスは一言、
「トゥル・ヤーンの監査」
と言った。
途端に、警邏士の動きがぴたりと止まった。
そのままそろそろとジェイスの方を見て、乾いた笑い声を立てる。
「ははは……出鱈目も大概にしろ、馬鹿馬鹿しい」
「まあ、こんな身なりじゃあ信じちゃくれないだろうね。そこが狙いなんだし」
頭をがりがりとかきむしりながらジェイスは言い、妙に落ち着いた態度のままじっと警邏士を見つめた。男は段々とうろたえだし、
「信じねぇぞ、俺は信じねぇ。そんな汚ねぇ格好した監査がいてたまるか。
しょ、証拠だ証拠、監査をかたるからには証拠を見せやがれ!嘘ならガキ共々まとめて詐欺罪で処分だ!」
とわめき散らした。
「ほい」
ジェイスは胸から何かを取り出すと、警邏士の前にかざした。革紐に通したそれは銀色のプレートで、中には紋章と数字が刻み込んである。
警邏士の顔から一気に血の気が引くのが傍から見ててもわかった。
「あ、あ、あ……」
「悪ぃが、今は休暇中なんだ。今から言うことを守ると約束すりゃあ、一連の出来事は忘れてやる。
今すぐ出て行き、二度とこの家に近付かないこと。俺の存在を周りに漏らさないこと、この二つだ」
休暇中に面倒臭い処理はしたくねぇからな。のびをしながら呟くジェイスの言葉に、がくがく震えていた警邏士は、びぃんとばねのように背を伸ばし、
「ととと、とんだ御無礼を致しました!申し訳ありませんッ!
無論監査殿のことは誓って他言致しません!し、失礼します!」
と叫ぶと、最大級の敬礼をし、文字通り転げるようにして去って行った。
呆然としているあたしとキュウに、ジェイスは
「さぁて、腹減ったな。晩飯にしようや」
と、一人呑気な声をあげ、にやりと笑ってみせたのだった。
≪補足≫
※警邏士
警察のようなもの。
王政下において国の隅々まで法が浸透するよう、人口の割合が等間隔になる位置を計り、そこに警邏台(詰め所)を設置。階級毎に担当の警邏士が異なる。
警邏の基本理念は「法は民の為に有。倫理と秩序を尊び、王政の繁栄を助長す」である。
しかしながら権力を私欲の為に用いる警邏士も後を絶たない。
地方になるほどこの傾向は如実。
戦争になれば担当士は出兵もする。
武勲により上級階級の担当も可能。
非常に優れた警邏士は、難度の高い試験を受け王宮直轄の警邏宮に務めることも可能。
―――
※通貨
使用できる単位が身分によって決まっている。
↓ リルー(屑銭)
↓ ピケノ
↓ トラーべ
↓ サモア
まで平民が使用可。(低価値順)
一通貨単位辺り20まで数えられ、それ以降は次単位に繰り上げる。
(例:20ピケノ=1トラーベ)
ただしサモアより上の単位は貴族以上の使用となるため、サモアに繰り上げ換金の上限はない。