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3 : 毒


「それでは皆々様、杯をお上げくだされ!

 収穫の神リツに喜びの祝杯を!ダーナン国に燦燦さんさんたる光を!」


 祝杯の辞と共にギョンカが高らかに銀杯を上げると、人々も一斉に「祝杯を!」と叫びあいながら杯を上げ力強くぶつけ合った。ワインが激しく飛び散り、互いの中身が交じり合う。

 無駄に広いと思われていたギョンカ邸の応接の間は、今や大勢の客人と使用人達とが入り混じった、非常に賑々しい宴会場となっていた。ウィスプに降りた夜の帳も、無数の蝋燭やランプが照らす金色の装飾品や色とりどりの宝石類、壁に等間隔に埋め込まれたギョンカ本人を模したレリーフ像といった、ぎらぎらとした輝きを放つ空間には力を振るえずにいるらしい。

 真昼と見紛うばかりの会場の力入りようとその豪華さにさしものローエンの貴人達も驚きを隠せなかったため、財と力を見せ付けてやれたとギョンカは有長天だった。最も、「金はかかってはいるが、センスとなると別の話だ」と影で批評する文化人も多かったのだが。

 そうして、人々が揃って最初のワインの杯を空け終えた頃になって、ようやく王も杯に口をつけた。

 彼が香りと味わいを確認して口を開くまでの間、広間は奇妙な緊張感で静まり返っていた。

 王の言葉は国の言葉であり、偽りの感想は許されない。収穫祭にて王がその年のワインを確認することは、国の豊穣を占うことに繋がるのだ。味が悪いようであればその後一年は国自体が衰退へ向かうと見なされているため、飢饉等に備えるという名目により担当地方の領主や民はもとより、参加者である貴人達にもそれぞれ莫大な税収が追加されるのだ。観衆達は皆、固唾を呑んで王の言葉を待った。


「・・・・・・香り高く濃厚だ。真に素晴らしい出来である」


 満足気に頷きながら王が言うと、その言葉に会場中にホッとしたような空気が流れた。

 指揮棒が振り下ろされると楽隊の演奏が高らかに始まり、人々は一気にざわざわと動き出す。次々に立食用の前菜が運ばれ、追加のワインを持った使用人達があちこちに飛び回る。

 場は一気に和やかな社交場へと変化し、グラスを片手に移動する人々の衣装の煌きが音楽とともに会場をより華やかに色咲かせた。

 人々が談笑を楽しむ中、給仕人達に混じりワゴンを押した一人の少女がそっと会場に入ってきた。綺羅を競った衣装の中にあって唯一薄汚れたその身なりは悪い意味で目立っていたため、その姿に目を留めた貴人達は眉をひそめ、少しでも近付くまいと少女から背を向けるようにして移動した。

 当の少女はそんな周りの反応を気にするふうでもなく、ただ一点を見つめたままゆっくりと進んでいった。その目線の先にあるのは勿論、うら若き国王の姿である。

 チュリカが待ち望んでいた瞬間がついに来たのだった。

 自分だけが給仕用の服を与えられていない不可解な事実を気に止めるでもなく、ただひたすらにチュリカは興奮していた。


(ああ、なんて噂通り、美しい御方だろう)


 若枝のよう、という表現はあの御方にこそ相応しい。

 一目拝顔すればきっと真偽が判る筈、それだけのつもりでここに来たのに。

 もっと、はっきりと事実を確認したい。

 そして、あたしが知る事をお伝えして、力になれたなら……。


「陛下……」


 喧騒の中、一歩、また一歩と近寄りながらチュリカは呟く。


「私、知っているんです……」


 ギョンカと談笑している王は近付いてくるチュリカに未だに気付いていなかったが、既にその側近達は互いに目配せし合いながら不審な動きの少女に注目していた。帯刀にいつでも手をかけられるよう利き手を空け、牽制するように王の傍に固まる。しかしチュリカはそれに気付かず、熱に浮かされたようにふらふらと歩き続けた。

 もう少し、あともう少しで御前に、


「――災者は処す」


 背後から鋭く囁かれた言葉に少女は硬直した。

 明確な殺意を含んだ声だった。


「次は無い」


 殺意の主はそう続けると、そのままチュリカの脇をなめらかに通り過ぎた。

 燃え上がるようなドレスを身にまとったその女が移動するとたちまち待ち構えていた数人の男性が取り囲み、うやうやしい態度で自己紹介をしては手の甲に口付けをしていく。

 右手の包帯をそっとかばいながらもにこやかに会釈するその美貌の主を、チュリカはただ呆然と見ていた。 彼女のその可憐な唇から出たものが脅迫だとは、にわかに信じることができなかった。


「おお、来たか来たか」


 そんなチュリカの動揺には全く気付いた様子も無く、ギョンカが大股歩きでワゴンに近付いてきた。


「待っておったぞ。濃厚なチーズはワインに合うからのう」


 そう言いながら、チュリカの運んできたワゴンを覗き込む。そこには銀の小皿に盛られた熟成チーズのカナッペがぎっしりと並べられていた。


「ほう、なかなか美味そうじゃな」


 ほくほくと言った調子でギョンカはカナッペを一つつまむと、分厚い舌を突き出しながらべろりと救うようにして口に入れ、咀嚼した。


「うむ、実にいい味じゃあ」


 満足そうに頷く領主を見て、周りの客人達も物珍しそうに集まってきた。観衆に向かってギョンカは得意そうに叫ぶ。


「この娘はこう見えても腕のあるチーズ職人として有名でしてなあ。ワシがその味に惚れ込んで、今日の日の前菜にと採用したのです。さあさあ、皆様もよろしければご賞味くだされ!

 ほれ、ここへ!」


 呼び声と共に何人もの使用人達が、ガラガラとワゴンを押して広間に入ってきた。それぞれに並べてあるのはチーズの乗ったカナッペの小皿だ。

 こんなにも大量に準備していたとは。

 唖然とするチュリカの腕を掴むと、ギョンカは声高らかに呼びかけた。


「ウィスプの若き女性職人の特製チーズ、ローエンのように洗練されてはおりませんでしょうが、その舌触り・風味の違いを、是非一度お確かめくだされ!」


 そう言われては口の肥えた貴人達に断る理由も無かった。

 皆いそいそと小皿を取り、上品に口へと運ぶ。

 成程、言われてみれば痺れるような深い味わい、ワインにも合う味には間違いない。取り立てて際立った旨味があるわけではないが、香草でも入っているのか不思議な風味が後を引く。

 ワインを片手にカナッペをつまみ、客人達の評判は上々で瞬く間にワゴンは空になっていった。


「どうですか、王もお一つ」


 ギョンカは小皿を王の元へと持って行き、手渡した。

 毒見としての役割は既に大半の者が食していることで済んでいるだろう。王はそう判断して、そっとカナッペを口に運んだ。


「うむ。不思議な風味だな。確かにワインに合いそうだ」


 ゆっくりと噛み締めながら王が呟き、チュリカの頬が熱くなる。


(王が、あたしのチーズを食べてくださった)


 辛い日々が報われた気がした。

 やはり、王は雲の上の方だ。自分のチーズを食していただけた、ただそれだけでこんなにも舞い上がってしまう。

 会場にいる高貴な客人達がワイン片手に舌鼓を打つ姿を見るのは、とても誇らしかった。



 ――カシャン。



 何かが砕け落ちる音がした。

 

 チュリカ達が振り向くと、一人の女性が胸を押さえるようにして崩れ落ちるところだった。

 それを助け起こそうと手を伸ばした隣の男性も、同じように杯を取り落とすと、麻痺したように痙攣を始める。



 ――カシャン。


 ――カシャン。



 次々に皿や杯が落ちる音が重なり、人々が呻きだす。


 悲鳴を上げながら喉を掻きむしる女達。

 痺れた手足を何とかして動かそうと、四つん這いのままガタガタ震える男達。


 顔面蒼白になって立つチュリカの前に広がるのは、地獄絵図だった。


 笑いさざめいていた美しい貴人達の姿はどこにも無く、喉をかきむしりながら助けを請い、這いずり回るその集団を、彼女はただ呆然と見つめるばかりであった。



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