2 : パレード
王とその一行がウィスプに入られたという報が街を駆け巡るやいなや、人々はどっと通りに押し合いながら集まった。
手には色とりどりの花びらの入った小さな籠を持ち、皆一様に期待と緊張に目を輝かせながら今か今かと待ち構えている。
収穫祭は国内のどの地方でも行われるものだが、王が回るのはウィスプも含めた10の主要都市のみだ。毎年一地方ずつの視察となるので、各地方にとっては10年に一度の大イベントとなる。同じ収穫祭を王や宮廷の貴人達が地方毎に見比べるのだ、人々の気合も入るというものだ。特に今年いらっしゃるのは13歳の若き王、おそらくこの先何十年もダーナン国を導くであろうお方だ。初めて訪れられるであろうウィスプ地方を是が非にでも気に入っていただく必要があった。
張り詰めた緊張感の中、突如ファンファーレが鳴り響き、王達の到来を高らかに告げた。楽隊が張り切って演奏を初めると観衆達は一気に前へ前へと詰め寄ったため、整備員達が打ち付けた進入防止柵はギシギシと音を立て委員達の肝を冷やした。
やがて、絢爛豪華な馬車群が姿を現われ人々は歓声をあげた。豪華といってもここの領主の悪趣味な豪華さとは全く質が違う。繊細な装飾がふんだんにあしらわれた雪のように白い天蓋付きの箱馬車は全て異なる型であり、六頭引きの馬達はつやつやと健康的な美しさでしゃれた皮引き紐を誇らしげに引いていた。各馬車の窓は開けられ、要人貴人達が満足そうに微笑みながら降りしきる花びらの雨を眺めている。各御者台と馬車内では宮廷付きの兵がしっかりと目を光らせ、大通りにもたくさんの警邏隊が出動している為に、誰の目にも暴漢等への不安は無きに等しく映った。
そうして数台目の馬車が通り過ぎた後、人々が見たのはひときわ美しく立派な金縁装飾の馬車。馬の頭数も護衛兵も多いその窓から見えるお姿は、まさしくダーナン国29代目王ロウ・シノワール・グルゼアスタ・ティ・グ・ダーナン本人に間違いなかった。
王の馬車がゆっくりと通る中、人々は
「シノワール陛下、万歳!」
「ダーナン国万歳!」
と叫びながら、ありったけの花びらをまき散らした。そしてご尊顔をと再びぎゅうぎゅうに押し寄せたため、哀れな一部の老人や子どもは押し潰される痛みに耐えかねて悲鳴を上げた。
すべての馬車が通り抜けた後、人々が開口一番口にしたのは
「おい、陛下を見れたかい」
で、あった。勿論多くの者はよく見れず終いだったのだが、一部の者は得意そうに叫ぶのだった。
「陛下は肖像画通りのお顔だったさ!ありゃあ数年後、間違いなく国中の娘達が焦がれて泣くことになるね!」
それを聞いた娘達はますますうっとりと目を潤ませ、深い溜め息をつくのだった。
「シノワ様、何だかとってもご機嫌ですね」
侍女のオランは揺れでこぼさぬよう慎重にレモン水を注ぎ、引いた幕の隙間から外を眺めている王に差し出しながら言った。
「顔に出ているのだろうか。祭りはいつも心踊るものだからな」
頬杖をついて外を眺めていたシノワは、杯を受け取りつつはにかんで答えた。
パレードが終わり領主の館へと移動する間、中にいた兵達は王の命令により前後の馬車へと移動させられていた。ウィスプに入る前までの移動中も同じく王は兵達を近づけようとはしなかった。これは今に始まったことではない。
危険性の高い場面以外では、王はなるべく自分の周りに人を置こうとはしなかった。若き王シノワールは努力家でもあり容姿にも才にも恵まれてはいたが、唯一かつ最大の欠点は、長年慣れ親しんだ者以外を近づけることを極端に不得手としている所だった。勿論、王の仕事である視察や外交といったある程度の関わりは上手くこなせてはいたのだが、小間使いをはべらせることや貴族間の交流といった、密な関わりとなると極端に敬遠する向きがあった。周りはこの人見知りをすぐさま直すよう口うるさく王に進言してきたが、その都度ガイストとレティアが「持って生まれた性分は時間をかけて是正すべき」と、さりげなく助け舟を出してくれていた。
今現在王と共に馬車内にいたのは、長年を共にしてきた侍女のオラン、アジュレー、マカロの三人だけだった。彼女達とガイストとレティア、そして他に数人だけが、この広大な国ダーナンを治めている王が唯一心を許せる相手であった。彼らは他に人がいない時には、シノワールを「王」とではなく「シノワ」と略名で呼んでくれる。それが若き王には嬉しかった。
「ふふふ、それだけの理由じゃないって私には分かっていますけどね」
指を立てて片目を瞑ってみせるオランに、
「んま~ぁ、オラン奇遇ねぇ、私もなのよぉ」
おおげさにアジュレーが同調し、
「私も存じております」
律儀な口調でマカロも続いた。
「一体何のことだ」
シノワは面食らって三人を見つめる。タイプはバラバラなのに妙に連帯感がある彼女達を揃って相手するのは勝ち目が無い。下手に勘ぐったりせず素直に訊くのが一番だと経験上シノワは知っていた。
「お前達の言っている事が解らぬ。意地悪せずに教えておくれ」
「んふ。シノワ様ったらぁ、そぉんなにお顔がゆるんじゃってるのに。
ほんっとにお分かりになってないんですかぁ?」
アジュレーが上目遣いにシノワに寄ってきながら問い詰め、
「ウィスプにいらっしゃって、シノワ様が待ち焦がれているお方といえば、ただ一人」
オランがにやにやしながら追撃をし、
「我が愛しのヤーン」
マカロが短く止めを刺した。
途端に、シノワの顔がぱっと赤く染まる。
あれ、一言も言ったことがなかったのに、どうして。
「シノワ様、あたし達が何年ご一緒していると思っているんですか」
少々呆れたようにオランが溜め息をつく。
「そりゃあ口に出さなくたって分かりますって」
「大丈夫。決して口外しません」
マカロが手を握って誓ってくれるのは有難いのだが。だが。
「い、いつから知っていたのだ」
おそるおそる尋ねるシノワに、呑気な侍女達は、
「いつからって、えっといつだっけぇ」
「あたし達が来てそう経たないうちから、完全にだだ漏れだったわね」
「会う度にうっとりしていた」
「まぁ、許されぬ恋って燃えるもんだわよねぇ」
「シノワ様って磨けば光るタイプだから、あたし達ここでいじってあげようと思ってるんです」
「どうせこっそりヤーンに会う事を考えている筈だから」
揃って互いに好き勝手に言うのを聞きながら、シノワは恥ずかしさのあまり顔を覆って悶えた。
「――シノワ様も、今年で13歳。来年は成人となります」
多少改まった調子でオランが切り出した。
「成人となれば背負うものの重さも桁違いになりましょう。
色恋に関してもそうです。おそらく好きな相手に対しても、あなた様は決して――」
少しの間があった。この先を続けるべきかオランは迷っているようだった。
「いい。わかっている」
短くシノワは答えた。
ダーナン国29代目王ロウ・シノワール・グルゼアスタ・ティ・グ・ダーナン。それが自分の枷。いつ何時壊れるか解らぬ、だが永遠に続くかも知れぬ、重く深き罪人の枷。
馬車内が一瞬静かになった。
「だから、あたし達、今を応援してあげようって決めたんです」
珍しく神妙にアジュレーが呟き、
「もしかしたら。シノワ様、今しか恋愛できないかもしれないから」
マカロも続け、そうして、
「なら、せめて子どもでいられる間くらい、ぱあっと恋しちゃいましょうよ!」
オランが締めて、三人は一斉にシノワの肩を叩いて笑い合った。
「……ありがとう」
シノワは小さく呟いた。叩かれた肩がじんわりと痛い。オランとアジュレーとマカロ。三人がいてくれてどんなに今まで助けられてきたことか。ともすればいつ転落してもおかしくはない三年間を、彼女達はしっかりと守ってくれながら付き合ってくれた。
「お前達が傍にいてくれたお陰で、私はこうして今を生き永らえている。あの日以来、私に人を好きになる資格などない、ましてや相手のことを思えばそれが当然だと思うようにしていた。
だが……そうだな、せめて来年を迎えるまでは、自分の気持ちに正直に、その、少しは頑張ってみようと思う
こ、恋について今後、いろいろと、教えて欲しい。
私は、何も知らないのだから」
頬を染めておずおずと尋ねてくるその姿は、既に王の片鱗は何処にも無く、ただ13歳の恋する者のそれだった。
三人の侍女は顔を見合わせた後一斉に、
「もっちろんですぅー!」
と叫び、その肩をバンバンと叩いたのだった。