1 : 収穫祭
祭りの日というものは、どんな街でもいくらか浮き足立っているものだ。
街の大通りを行き交う人々は、皆せかせかと重い荷物を抱えたまま足早に移動し、実行委員達は前の日から準備していた飾りやら機材やらがきちんと予定通り配置されているのかを細かく確認しながら激を飛ばし続ける。
なにせ、今日は10年に一度の特別な日。ここウィスプの街の収穫祭に、わざわざローエンより現ダーナン国王であられるロウ・シノワール陛下がお見えになる日なのだ。噂の美貌の若き王拝顔の機会とあって、妙齢の女達は朝から皆おしろい粉をはたき、紅をさしていた。
もし万が一、王の目に留めていただくことができたら・・・・・・!娘達の目は潤み、うっとりとした表情のまませっせと窓を磨いて花を飾り、国旗と区旗を屋根より垂らし、ごてごてに飾りつけたショウバヅタのリースを扉に打ちつけた大量の釘に飾れるだけ掛けて回っていた。
「なんじゃこの絨毯は!ワシは房の先ひとつひとつに翡翠と赤珊瑚と真珠を交互に植えつけろと言うとったじゃろうが!何故翡翠ばかり植わっとるんじゃ!」
ぎんぎら屋敷でもギョンカがカンカンになって使用人達を怒鳴りつけている最中だった。
彼の服はいつにもまして眩しかった。金糸、金糸、金糸、間に銀糸。平たく加工された宝石を刺繍の間にびっしりと埋め込み、最早元々の服の生地が何色なのか全く判らぬ有様となっていたが、本人は至って満足であった。この日の為に半年以上も前から優れた職人を呼びつけ部屋に閉じ込め、全て手作業で作らせた特注品なのだ。いかにワシが豪奢な男がこれで一目で判るというもの。理想的な装いといえよう。
「……恐れながら申し上げます、御主人様。
元々珊瑚と真珠は海産物ですから、ここら一帯ではなかなか手に入らぬ石なのでございます。
私共も懸命にウィスプと周辺地域全ての宝石店からかき集めてはみましたが、とても屋敷の絨毯全ての房飾りに加工するだけの数は」
「うるさいわッ!」
ギョンカは手にした服とお揃いの手拭布で力いっぱい使用人頭のこめかみを打ちつけた。散りばめられた宝石達が凶器となってぶつかり、薄い顔の皮膚にいくつもの筋をつける。
「ええい、不愉快じゃッ!地味な翡翠ばかり並べおって!せっかくの晴れの日に何たる不備!お前らまとめて処分じゃ、処分!」
聞いていた使用人達の顔が青ざめる。
この屋敷の主人は難癖つけては気に入りの使用人以外の給金を減らす。重ねに重ねた減給のせいで、大抵の使用人は毎月雀の涙ほどしか給金を受け取れない。かと言って勝手に屋敷を出ていくと、今度はギョンカの息のかかったごろつき共の嫌がらせの日々が待っているのだった。
「こんなに豪華な屋敷に住まわせてやっているだけ、有難いと思え」
それが主人のいつもの口癖だった。
「――お待たせ致しました、御主人様」
そこへそっと、しかし艶のある声が背後より降りかかり、ギョンカの激昂を遮った。
振り返ったギョンカの小さな目が限界までわっしと広がり、次いでだらりと弛緩する。
「おほほう!こりゃあまた・・・・・たまらんぞい、レイラちゅわ~ん!」
ギョンカの愛する使用人レイラは、彼に与えられたドレスに身を包んでいた。
赤いドレスは胸元が深く開き豊かな双丘を押し上げ、腰下より長く続く両スリットからは長く真白な脚がちらちらとこぼれる。生地にはやはり金糸をふんだんに使用した刺繍が施されびっしりと宝石が散りばめられてはいたが、不思議と下品に感じさせなかった。豊かな蜂蜜色の髪はカールした一房以外はすべて夜会巻き風に結い上げ、片側の耳上には端が薄桃色をした白い薔薇を一輪指している。首元と足元にはそれぞれお揃いの黒ビロードのチョーカーと靴を身につけ、その装飾は金糸の紋様細工を刺繍するのみとシンプルに徹していた。
悪趣味なギョンカオーダーのドレスを浮くことなく着こなせるのは、レイラの類稀なる美貌のおかげだということは間違いなかった。
そう、実際今日のレイラは、その場にいた者が皆息を呑んで見とれる程に美しかった。
太い白縁眼鏡を外してきちんと化粧を施し、豪奢なドレスを身にまとった彼女からは、とてもただの使用人とは思えぬ艶と気品が漂っていた。
唯一惜しむらくは未だ痛々しく包帯で吊られているその右腕であった。もっとも、その包帯もギョンカに言いつけられた職人の手により、やたらと豪奢な刺繍が施されてはいたが。
まさか、これほどの上玉だったとは。
予想していたとはいえ想像以上の色気にギョンカは興奮していた。
これが、この女がやっと今夜ワシの物になる。
どう寝乱れさせようか考えるだけでギョンカの鼻息は荒くなり、すっかり絨毯の宝石の事などどうでもよくなってしまった。
それに加え、
「まあ、なんて素敵な絨毯飾りでしょう。
優しい色の翡翠の合間に揺れる赤珊瑚と真珠がとても贅沢に映えていて。
翡翠はかつて不老不死の力を持つとも言われていましたから……まるで御主人様の永遠なる繁栄を願う皆の心の表れのようですわ」
と、溜め息をつきながらレイラが言ったため、
「のほほほほ、そうじゃろう、そうじゃろうレイラちゅわ~ん。我が豪邸に相応しき素晴らしい絨毯じゃろう!」
と、ギョンカはすっかり上機嫌となりレイラの肩を抱いて移動を始めたので、使用人達はホッと息をついたのだった。
「のうレイラよ……今宵こそワシと床を共に」
「ええ。勿論ですわ」
あれほど頑なだった女が間近に顔を向けて妖艶に微笑む。
その愛らしい唇をうっとりと見つめながらギョンカは腰に回した手を形良い尻へと移動してさすり始めたが、レイラが優しく叩いたので渋々断念した。
「今夜までは、我慢されて下さいね、……御主人様」
確かにお預けはぎりぎりまで耐えた方がより美味いのに違いない。
我慢という言葉から程遠い暮らしをしてきたギョンカにとってそれは新鮮な遊戯であったのだが、同時にもう限界だとも感じていた。
「レイラぁ、レイラぁ、ワシの美姫やぁ。今宵よりお前はワシのものじゃぁ。
たあっぷりと寵愛してやるからのぉう」
ねちこく口説き口説かれながら、ギョンカとレイラは応接の間へと歩む。
今日はここで王を迎えての盛大なパーティーが催される予定であった。
そして今日のこの場は、ギョンカにとって永遠の繁栄を約束されるであろう重大な場ともなるのだ。
莫大な富と地位と極上の女。
明日の今頃は全てがワシの手の内じゃ。
ギョンカは低く喉を鳴らすようにして笑った。
そんなギョンカの横で、レイラも静かに微笑んでいた。
広大なギョンカ邸の門前にて警護番達も大忙しだった。
ひっきりなしに業者や使用人が出入りをするのを、その都度呼び止めては通過許可を出せる否かを即座に判断しなければならないのだ。
今日は屋敷に我がダーナン国王が直々にお見えになる日、少しでも怪しいそぶりを見せる者を決して入れるわけにはいかない。
自分達の減給もかかっているため、彼らも必死だった。
「おい、そこの娘!」
警護番の一人が方眉を上げて声を上げる。ちょうど干菓子屋の相手をしているところに、脇からスッと入り込もうとした少女がいたからだ。粗末な身なりからしておこぼれでも狙っている類だろうか、大きな麻袋を肩にかけている。
「痛ッ、何すんのよ!」
突如肩を掴んで引きずられ、チュリカは叫んだ。
「おいおい、何を勝手に中に入ろうとしているんだ。ここはお前のような乞食なんぞが入れる場所ではない。とっとと失せろ」
チュリカの顔は強張り、次いで一気に赤くなった。服を買う金が無い為に残された古い母の服を繕いながら着ていた彼女は、他人から見たらどう思われるかをそれまでなるべく考えないようにしていた。
「っ、あたしは!お屋敷の旦那様に頼まれて、チーズを!」
「黙れ!戯言を言うな!
旦那様は何でも一流の物しか使わん。お前の見え透いた嘘なんぞお見通しだ!」
チュリカの言い分を勝ち誇った顔で門番は一蹴し、その背をどんと突き飛ばした。いきなりのことで受身が取れなかったチュリカは、チーズの重みも手伝って派手に道路に身体を打ちつけてしまった。幸い念入りに舗装された後だったが、それでも剥き出しの肘と膝の擦れたような痛みから擦り剥いたであろうことが分かる。
「物乞いをするなら街で目立たんようにやるんだな。
今日はどこでも財布は緩いだろうから、いくらでも稼げるだろう」
せせら笑う声を背にして、よろよろとチュリカは立ち上がった。服に付いた砂埃を払いながら警護番を睨みつけたが、彼らは既に次の通過者を相手にしていてこちらを見ていなかった。
怒りと諦めとで一瞬本気で帰ろうかと思ったチュリカだったが、あの日ギョンカからチーズ買取りの話を受ける際に言われた台詞を思い出した。
「生産者の特権として、お前には当日会場にてチーズのオードブルを給仕してもらおう。
陛下の御前じゃぞ、光栄に思うがいい」
その言葉を今までチュリカは何度も反芻していた。
そしてその度に、あの夜見た巨大な宝石と封書の中身が彼女の脳裏を駆け巡り、彼女は酩酊にも似た奇妙な高揚感を味わうのだった。
(あたしだけが、あの事を知っているんだ)
(きっと国民の誰もが、ううん、お城の人達ですら一部にしか知られていないことかもしれない)
王をどうしても間近で拝顔したい、一言でいいからお話しをしたい。
引き受けた当初は法外な買取金額に目が眩んでいたチュリカだったが、今では最早彼女にとっての目的は王に近付くことに変わりつつあった。
「お願いします、本当に商品のチーズを卸しに来ただけなんです。
ギョンカ様直々にお声をかけていただいたんです。どうか本人に確認してみて下さい、お願いします」
チュリカとしては精一杯丁寧に嘆願したつもりだったが、警護番達はただ追い払う仕草をしただけで事態は何一つ変わらなかった。諦めずにチュリカがもう一度請おうとしたその時。
ガラガラと一台の馬車が音を立てて近付いてきた。
四頭立ての立派な箱型馬車だ。途端に、警護番達の背筋がピン!と伸びて敬礼体勢になった。彼等にとってこの馬車は既に幾度も目にした馴染みのものであり、また主人に失礼の無いようにと念押しされた相手でもあった。
馬車は一旦門前で停まり、御者と警護番達との間で簡単な挨拶が交わされていた。
チュリカはぼんやりと馬車を見ていた。立派だなぁ綺麗だなぁ、と単純に見とれていただけだったため、馬車の掛け布がちらりと引かれて中から誰かが自分を見ているとは露ほども気が付かなかった。
再び馬車を出そうとして、御者は馬車内の主人が自分を呼ぶ合図をしたのに気付いた。即座に主の意向を確認した御者は、チュリカの方を振り返ってこう告げた。
「お嬢さん、よろしければ馬車にお入りなさい。屋敷までお送りしましょう」
勿論、チュリカに異論は無かった。
唖然とする警護番達を尻目に、馬車はガラガラと優雅に走り出した。
「……あっ」
いそいそと馬車に乗り込みお礼を言おうとしたチュリカだったが、口から漏れたのはただ驚いた声だけだった。
向かい合っていたのが、あの日ぎんぎら屋敷でぶつかった男だったからだ。
相も変わらず季節外れの厚手の黒マントに揃いの黒い羽根付き帽子、そして銀縁装飾の入った白い仮面を装着している。
男は黙ったままじっとチュリカを見ていた。仮面で覆われた中で唯一僅かに覗く瞳も、深く被った帽子のつばのせいでよく見えない。
「あの、その節はありがとうございました。
今日もこうして助けていただき、本当に感謝しています」
相手が高貴な身分であろうことは違いなさそうだったので、チュリカは失礼の無いよう慎重に礼を述べた。
「門兵は」
ぼそっと男が呟いた。仮面のせいでくぐもって聞こえたため、うまく聞き取れなかったチュリカは、思わず「えっ?」と聞き返した。
「門兵は、お前を入れようとは、しなかったのか」
男は繰り返した。
「あ、はい、全く取り合ってくれませんでした。
その、私が……こんな身なりですから……」
言いながらチュリカは服の裾を握り締めた。
砂埃の残った顔と髪、繕いだらけの汚れた古着、擦り剥けた肘と膝からはじんわりと血が滲んでいる。立派な身なりの男性と二人きりで向かい合うのには、あまりにも惨めで不釣合いな格好だった。
男はそれ以上何も訊ねてこなかった。
それきり馬車内は静かになり、騒ぎに揺れる広大な庭園を駆け抜けてようやくぎんぎら屋敷の前に辿り着いたのだった。