5 : 副長
「……本当に盗って来たのか」
サウスのしみじみした声に予想外といった含みを感じ、アスクはムッとした。
「んだよ、俺だってここ一番って時は決めるぜ。
誰かさんみてぇに雑用担当でのんびり読書ってわけじゃねぇからな」
「・・・・・・それは私を小馬鹿にしていると、そう取ってよいのだな」
ゆっくりとソファから腰を浮かせながら、サウスの細い目が更に細くなりアスクの目を捉えた。彼は元来沈着寄りな男であったが、出が貴族である故に自尊心を傷付けられることに対しては敏感だ。
この程度で反応するとは相当ストレスが溜まっていたかと、アスクは内心焦った。一見地味な見た目なサウスだが、幼き頃より文武を叩き込まれてきたため総合的な実力はアスク以上である。外に出ても地味な仕事ばかり、それ以外は宿で成分検査か読書の日々。そろそろ鈍った身体を動かしておく必要有、と踏んだのだろう。
「あはは・・・・・・えぇっと、その、雑用もさ、すっげぇ大事じゃん?連日お役所仕事やらチーズの成分検査やら俺はできねぇし、てか、ぜってぇやりたくねぇし。
いやぁ、さすが面倒臭ぇこと専門のサウスさんっ!よっ、神経質っ!」
アスクは褒めたつもりだったのだが、立ち上がったサウスの目を見る限り明らかに初めよりももっと細くなっていた。あれ、俺今何かまずい事言ったっけ。
「気分転換でもするか。来い」
「ちょっと待て!その構え気流道じゃんか!俺苦手なんだよ!」
「ならば尚更鍛えてやらんとな。正当な型を身体で覚えろ」
ぎゃあぎゃあ言い合う二人の後ろでくすっと笑う声が聞こえた。ぎょっとした二人が思わず振り向くと、いつの間にか副長が面白そうな顔で見ていた。
「あー、どうぞ続けて続けて。こういう可愛らしいやり取り、好きなんだ」
サウスは咳払いをして副長に尋ねた。
「一声かけていただければ・・・・・・その後、お加減はいかがですか」
「おかげさまで随分と調子良いよ。キミが良い医者を呼んでくれたお陰だ。まあ、当日までに少しでも回復できるよう、努めるつもりだ」
「そうですか」
サウスは一番柔らかそうな椅子を選んで副長の元へ運んだ。
「もうこれ以上ご無理なさらないで下さい。仮にもダ・ラ・ヤーンの器であられるのですから。自ら危険を冒される必要はありません」
「相変わらず優しいな、キミは」
――だがね、と副長は眼鏡を外しながら続けた。
「ヤーンの属性は見守る事にあるのではない。それはロウの役割であり、王の役目でもあるのだ。我々は全てが同じヤーンの一員、そうだろう?」
サウスは口をつぐむと、簡易帽を脱ぎ捨てる上司を見つめた。
蜂蜜色の髪がほぐれ腰下にまでたっぷりと広がった。透き通るように滑らかな肌、長い睫毛に縁取られた蒼玉の瞳は紅く濡れた唇によく似合う。
レイラと呼ばれていたのは勿論偽名で、真名はレイアスト・ウィンスラー、略名をレイアという。今は痛々しく右腕こそ包帯で吊られてはいたが、それすらも彼女の美を損ねる要素とはならなかった。
「ですが」
言っても無駄だと分かっていても、サウスは言葉にせずにいられなかった。
「貴女の身にこうして危険が及ぶ事こそ、我々が最も恐れている事のひとつなのです。
ダ・ラ・ヤーンに替えはありません。
どうか、どうかもっとご自愛下さい」
「キミは履き違えていやしないか、サジリウス」
レイアは静かな声で呟いた。真名で呼ばれたことにより、サウスは思わず背を正す。
「どうもキミは私を神聖視し過ぎな所がある。
私は器であって、本体ではないという事を忘れるんじゃない。
実際の私の価値なぞお飾り程度のものだ。いつ消えても支障は無い」
「あっ、隊長。来てたんすか。おつかれさまっす」
アスクの声に、レイアとアスクの身体が固まった。
隊長はただ黙ってレイアを見ていた。その視線に気付き、レイアはうつむくと「・・・・・・失言でした」と小さく呟いた。頬が僅かに染まっているのにサウスは気付く。
「――進展はあったか」
隊長の問いは全員に向かってのことだったので、それぞれ順に報告をし合う。中でもアスクの鍵入手は、大きな成果だった。
「凄いな、髪留めから抜き取るなんて、よっぽどうまいことやらないと気付かれるだろうに。
一体どうやったんだか詳しく教えてくれないか」
半ば本気、半ばからかい混じりに訊ねるレイアの問いに、真っ赤になってうろたえるアスクの反応っぷりは既に答えたも同然だった。
「さて、これで随分と事が進め易くなったわけだが」
隊長の言葉に全員気を引き締める。
「ここからは第二段階に入る。あらかじめ決めておいた役割はそのままに、なるべく最小限の被害で抑える覚悟でいけ。
いよいよ日は近い、気を抜く場所を間違えず行動しろ」
アスク達に別れを告げ、隊長と扮装し直したレイアは揃って街中を歩いていた。互いの目的地は別だったが、つかの間の道程内で二人だけで確認しておくべき事がいくつかあった。
「お昼は食べましたか」
気遣うようにレイアが訊ねる。
「いや、いい。もう時間が無い。
それよりもレイア、箱の中身の事は」
「二人とも知らぬままです」
「そうか」
しばらく黙ったまま二人は歩く。
「・・・・・・少女が漏らそうとするそぶりを見せた場合の処置は」
ためらいがちにレイアは確認する。
「俺かお前で即時消去だ。変更も例外も無い」
答える隊長の顔にも声にも感情は一切篭っていなかった。
「分かりました」
レイアの声から迷いは消えた。彼女にとっての全ては上司と共にあった。
「それから」
ぽん、とレイアは頭を軽く叩かれた。
「あまり自分を卑下するな。お前は俺の半身なんだから」
「・・・・・・はい」
レイアはうつむいた。
この人の前でだけは、いつもうつむいてばかりだ。
帽子を深くかぶっていて良かったと、レイアは心から思った。