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4 : 鍵

「どうした?今日は何か変だぜ」


 アスクは不審そうにチュリカを覗き込んだ。


「えっ、そっかな」


 慌てて笑顔を取り繕ったチュリカだったが、どうにもぎこちなさが残ってしまうのは自分でも分かっていた。元々笑顔は苦手なのだ。


「ああ、無理すんな、楽にしてろよ。

 ま、なんか落ち込んでるっつーか、ぼーっとしてたみてぇだったからさ」


「うん・・・・・・」


 せっかく誘いに来てくれたのに。もっと楽しく話したいのに。そう思いながらもどうしてもチュリカには元気が出せなかった。

 毎週末、バザールで二人で会うようになってから、もう何度目になるだろう。「返事は急がない」という言葉通り、あれ以来アスクはチュリカにせまるようなことはせず気持ち良く付き合ってくれるので、チュリカは内心ホッとしていた。

 毎週末の昼時になると、必ずアスクは店までチュリカを迎えにやって来る。それでチュリカはジェイスとキュウに店番を頼み、共に昼食をとりに出かけるのがいつの間にか恒例となっていた。店のすぐ近くは嫌だとチュリカが言い張るので、大抵は市の端の方の露店か街まで出て店での食事となる。チュリカはいつまでも油を売るつもりはなかったので、食事が終わり少し談笑するとそのまま店まで急いで戻り、ジェイス達と食事交代をしていた。「もっとゆっくりしてこい」とジェイスには毎度言われるのだが。

 会ったばかりのアスクにさえ気持ちの沈みが分かるのなら、ジェイスに至ってはきっとバレバレなのに違いない。最も、彼は何も聞いてこなかったけど。いや、聞かれたらそれはそれで困る。一体どう尋ねたらいいの。


『ジェイス、ぎんぎら屋敷にいなかった?』


 いやいや、確かに香煙草の匂いがしたし抱きとめられた感じも似ていたけど、顔は分からなかったし格好もお金持ちっぽかったし、何よりあたしを見ても黙っていたからあれは別人だと思う。

 でも・・・・・・何でこんなに胸騒ぎがするんだろう。

 どうしてジェイスに話したらいけない気がするんだろう。簡単なことの筈なのに――。


「・・・・・・、よしっ!今日はいっちょ景気つけるか!」


 突如アスクがパンと手を叩いた。


「俺の上司に食通がいてさ、美味い店いろいろ知ってんの。一度連れてってもらってさぁ。

 確かこの辺だったはず・・・・・・ああ、あそこだ。入るぜ」


 赤レンガを積み上げてできた小さな店の中に入ると、アスクはカウンターの椅子にチュリカを座らせてさっさと注文をした。カウンターを挟んですぐが厨房なため、店主の調理作業が逐一覗ける仕組みだ。

 店主は店の奥からチュリカの両こぶしほども長さのある巨大なえびを2匹取り出してきた。尾以外の殻を手早く剥き取って包丁で背側のわたを取り除くとそのまま刃を押し進めて観音開きに開ききる。そして等間隔に筋をつけたそれを麦粉と卵を混ぜたものにくぐらせ、砕きパン粉をまぶして油に落とした。揚がったえびは横で薄く焼かれたクレープ生地の上に葉野菜と共に包まれ、レモンバターと黒っぽいソースを添えて二人の前に出された。


「揚げ大えびのガレット。美味いぜぇ。

 俺ふくちょ、上司に食わせてもらってからもっかい食いたかったんだ、これ」


「こんな高そうなもの・・・・・・」


 海産物は内陸地方のダーナンには高値でしか取引されない。きっとこの一食でチュリカ達三人の食費5日分くらいはする筈だ。

 昼食代は、毎回アスクが出してくれていた。「それが男のけじめってもんだ」とアスクが得意そうに胸を張るので、罪悪感を感じつつもありがたくそれに甘んじていたチュリカだったが、さすがに今回はそれでは駄目だと思った。


「あの、これっていくらくらいするのかしら。あたし、今の持ち合わせが・・・・・・」


「ああ、いっていいって。俺の奢りだからさ、気にすんな」


「そんな!いくら何でもこんな高そうなお店」


「だぁいじょうぶだって、昨日ちっとばかし儲けてきたんだ」


 鼻歌混じりにアスクは手でカードを扱うそぶりをした。

 賭博で勝ったってことね。そう理解し、チュリカはようやく安心してナイフとフォークを動かした。

 揚げたての大えびの甘味と柔らかい生地がソースと口の中で絡み合う。


「おっ、おいしい」


「そっか」

 

 満足そうに鼻の下をこすると、アスクも思いっきりナイフとフォークを突き立てて大口開けてガレットをほおばった。彼もえびを食べるのは実に久しぶりなのだった。

 二人はしばらく夢中になってガレットを食べ続けた。


「美味しいもの食べてる時って、幸せね」


 しみじみといった調子でチュリカは呟いた。


「まあ、うまいもん食ってる時はテンション上がるな」


「あたし、アスクと会ってる時って幸せ」


 ぶほっ。思わずむせそうになってアスクは慌てて水を飲み干した。次いで、


「だって、いつも美味しいものを教えてくれるんだもん」


 という呑気な言葉にガクッと肩を落とした。


「いいな。こんな美味しいもの、いつかキュウにも食べさせてあげたい」


「ガキにえびはまだ早ぇよ」


「ふふ。でも、何だかとっても久しぶりに思い出したわ。

 テーブルには青い格子のクロスがかかって、黄色いマリベラの花が飾られてて。作りたて料理が並べられていくのを見ていると、あったかい気持ちになって・・・・・・」


 いつの間にかチュリカの手は止まっていた。


「こっちに越してすぐ、母さんが死んじゃってね。あたしが炊事をすることになったんだけど、ちっとも美味しく作れなくて。でも父さんとキュウは無理して食べてくれてた。お金が無いから、あまりいいものも買えなかったし。

 ・・・・・・なんだか最近、誰かとゆっくり美味しく食べることの幸せ、やっと思い出せてきたの」


 ありがとう、アスク。


 そう言ってチュリカは笑った。


 アスクは黙ってガレットを食べていた。

 良かった、とは思っていた。けれど、こうして会う都度チュリカが心を許していくのが分かると、罪悪感を感じずにはいられない。

 決行の日はもう間もなくであった。そしてそれは、自分を信じる彼女を奈落の底まで傷つけてしまう日でもあった。


 俺が今からやる事は仕事だ。

 腹をくくれ、アストリア。アイツのように、プロになれ。


「アスク、今日はありがとう。・・・・・・また会えるの、楽しみにしてるね」


 店を出て歩きながらそう言った彼女の手首をアスクは掴むと、そのまま裏路地に連れていった。

 突如、アスクはチュリカを抱き締め、荒々しく口付けをした。

 目を開いて身動きできない彼女の身体をアスクは片手で抱き、空いた方の手で愛撫するように髪を弄り続けた。

 ――どのくらいの間そうしていただろう。

 チュリカが我に返った時には、腰が抜けたように崩れかかっていた自分をアスクが助け起こしそうとしていたところだった。


「・・・・・・じゃあ、またな」


 ぶっきらぼうに言い放つと、アスクはいつものように送ろうとはせずにその場を去っていった。

 チュリカは呆けた顔のまま、路地壁にもたれかかっていた。



 

(第一課題はクリアだ)


 早足で宿に戻りながらアスクは自分に言い聞かせていた。


(隊長がもうすぐやってくるだろうから、今日こそはちゃんとした報告ができる。

 良かった、良かったじゃないか・・・・・・)


 キスは仕事の一環だと何度も己に言い聞かせながらも、頬の紅潮と同時に自己嫌悪に陥らずにはいられない。

 

(何だ俺、キスくらいで何でこんな顔になってんだ!ちくしょう、ちくしょうっ!)

 

 

 やり場の無い苛立ちを抱えたまま、拳を握り締めたままアスクは走り出した。

 ――手の中にある、盗んだばかりの鍵の温もりを感じながら。

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