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3 : 小箱の中身

 チュリカの父ロイス・ベガレッドは、ローエンの宮廷学舎の学師の一人であった。


 宮廷学舎はその名の指す通りルルドラ宮廷内に設置された宿舎込みの巨大学習施設である。貴族の子、もしくは地方学舎から文武に秀でた富裕層の子達が集められ、8歳から14歳の6年間寝食を共にして学習する。

 学師達は宿費が免除されるという理由で大半が学舎に住み着いていたが、ロイスは律儀に毎晩ローエンにある自宅に帰宅した。彼は幼き娘と乳飲み子である息子、そして病弱な妻を何よりも愛していた。

 彼が帰宅すると真っ先に、娘のチュリカが教書を握ったまま飛び込んで出迎えてくれる。そうして片時もロイスの傍を離れることなく、彼女はおぼつかない口調で教書の文字をなぞり読みしながらロイスに質問を繰り返す。つまりは学舎の教書が彼女の遊具となっていたのだ。その為チュリカは学書の中にある知識を随分と吸収してしまい、


「お父さんみたいな学師になりたい」


 と言って、大いにロイスを喜ばせた。



 チュリカが13歳の時に、それは起きた。

 幼い弟のキュウの誕生日ということで、その日は家族で盛大に祝う筈だった。しかし帰宅時間を過ぎても父は帰ってこなかった。外が雷雨だったこともあり家族は不安でご馳走もろくに食べずに待っていたが、やがて睡魔に勝てず眠ってしまった。

 ガチャガチャ、という音でチュリカは目覚めた。

 首を持ち上げ戸口に目をやると、もどかしそうに鍵が回ると同時に扉が開き、ずぶ濡れ姿の父が飛び込んでくるのが目に入った。燭台の下で針仕事をしていた母が、慌てて拭き布を持って駆け寄ったが、ロイスはそれに構うことなく母の肩を掴んで押し殺しつつも強い口調で囁いた。


「すぐに荷物をまとめるんだ。ここを離れる」


「あなた、急にどうしたの。一体何が」


 動揺した母の問いかけにかぶせるようにして、ロイスは言った。


「崩御だ」


 その一言でたちまち母の顔色が変わり、何かを察したらしく頷いた。

 家族は可能な限り衣類を重ねて着込み、金目になるものと最低限の食料を持ち出すと、雷雨の中ひっそりと家を出た。たくさんの荷物を持った父、眠ったキュウをおぶった母の顔は共に文字通り真っ白だった。チュリカは訳の分からぬまま、震えながら後を追い続けた。

 しばらく歩くと、ロイスは道の端に止まっていた二頭立ての箱馬車に乗り込むよう家族に言い、中で待機していた男に金の入った袋を握らせた。どうやら父が手配していたものらしく、男は黙って馬車から降りるとひっそりと去っていった。そうして、馬車は荒々しく駆け出した。父の必死の御者により馬は延々と駆け続け、明くる日の昼過ぎにようやっと家族が辿り着いたのは、山の中腹にある粗末な一軒屋だった。


「いいか・・・・・・ここはウィスプ地方の、ヤルダナ山脈のふもとに位置する場所だ」


 家族でぐったりと外椅子に寄りかかっていると、弱弱しい声で確認するように父は呟いた。


「私達は、これよりチェレアーン地方からやって来た身寄りの無い家族、という設定でここで暮らす。チェレアーンの訛りはさほど難しくないから、覚えておきなさい」


「あなた、いつまでここで過ごすことになるの」


 ほつれた髪を撫でつけながら不安そうに尋ねる妻に、


「分からない。数日になるのか数年になるか。

 とりあえずはここで中央の出方を伺う。国外に出るのは本当に最後の手段だ」


 思案しながら答えるロイスの顔は、暗く陰っていた。

 チュリカにはこうなる理由がさっぱり分からなかった。だが『崩御』というその言葉の意が王にかかる不幸であることは理解していた。

 確か昨年先王が崩御して以降、まだ齢十の新王が補佐を強化して即位したばかりの筈だった。

 まさか・・・・・・新王が?

 しかし疑問をたやすく口にして訊ねられるのははばかられた。

 そうして、手探り状態での一家の生活が始まったのだった。




 チュリカは寝台の端に掛けていた。

 深夜だった。ジェイスはキュウと共に両親が使っていた隣の寝室に寝ている筈だ。ジェイスが来たその日からチュリカは一応部屋の施錠は毎日しているのだが、今日は念入りに鍵がかかっているかを再確認していた。

 しばらく思案した後、やがて意を決したようにチュリカは立ち上がると、着替えの入った箪笥の一番下の引き出しを引いた。そうしてそのまま最後まで抜き取ると、空になった空間の手前の方に隠しておいた小箱を取り出した。

 彼女は髪をときほぐしていたが、寝る時はいつも髪留めを腕輪代わりに手首につけていた。そうやって、今までこの髪留めを片時も手離したことはなかった。

 髪留めの中に隠した小さな鍵を取り出し、鍵穴に差し込み、回す。ピンと開いた箱の中にあるものをじっと見つめ、そして彼女はそれを手に転がした。

 無数のカットが施されたそれは、燦然と輝く巨大な金剛石だった。台座として複雑に絡み合う金と銀の枝葉の先には、実を模したルビーがびっしりとちりばめられている。

 しばらくそれを眺めた後、チュリカは箱に入っていた小さな封書を取り出した。

 彼女は今までこれを読んだことはなかった。それが父の遺言であったからだ。

 あの日、無数の兵達がこの家を取り囲んだ夜、父はチュリカにこの小箱を託した。


「いいかい、チュリカ。

 決してこの箱の中味を見ず、目の届かぬ場所に隠し、何を聞かれても知らぬ存ぜぬで通すんだ。

 そして中身は知らずとも、隠し場所は忘れてはならない。

 キュウを頼む。どんなことがあっても必ず生き抜くんだ。

 父さんはお前達をいつまでも愛しているよ」


 チュリカは律儀に約束を守り、決して中身を見なかった。

 チーズ泥棒が入った日、思わず初めて中身を確認した。その時は盗まれていないことに安堵したのだが、こうしてゆっくり見るとその価値が途方もないことであろうことが分かる。


(中身を見てしまったからには、詳細を知る必要がある)


 チュリカは封を切ることを決意した。昨日ぎんぎら屋敷で会った男の事が、頭から離れなかった。小さな疑惑はいったん火がつくと消えることなく肥大化してゆく。何か刺激的な事で気を紛らわせたかった。


 蝋を溶かして紋押しした封印を剥がし、中の書類に目を通した瞬間、読むべきではなかった事を彼女は悟った。


 そこに書かれていたことは、田舎の一少女が胸に秘めておくにはあまりにも大き過ぎる事実だったのだ。


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